みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#471 神の法第四戒

2020年01月03日 | 神の法
第4戒
自由のしるし
 
p135~
The Sign of Freedom
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

すでに見たように、安息日は、休息の日、贖いの日、解放の日。

ヨベルの安息日の大宣言は、全地のすべての住民に対して自由を宣言すること(レビ記25:10)。

しかし、奴隷の保障と「休息」は擬似休息になることがあった。

刑罰として強制的に奴隷にさせられる人がいた。

償いを行わなかった泥棒は、奴隷として売られた(出エジプト記22:3)。

借金の代わりとして人が売られる場合もあった(申命記15:12)。

クラークが述べたように、労働の値が、償わねばならない金額と同等になった場合、その労働は終了した。

またそれは最長でも6年間に限定されていたと考えられている。

自由を捨てて、自ら奴隷になる人もいたが、安息年には解放された。

奴隷の身分であり続けることを望んだ人もいた。

その場合、自分の耳を突き刺して、自分があたかも女性のように、恒久的な従属の状態にいるということを示した(出エジプト記21:5~7)。

不信者は、生まれながらの奴隷であるから[訳注:つまり、生まれながらのサタンの奴隷を象徴するから]、この形式を取らずに終身の奴隷として留まることがあった(レビ記25:44~45)。

奴隷が主人に鞭打たれることがあり(出エジプト記21:20、申命記23:15)、虐待によって不具にさせられた場合は、それがユダヤ人であれ外国人であれ、自由の身になった(出エジプト記21:26~27、レビ記24:17)。

奴隷は割礼を受けなければならず(出エジプト記12:44、創世記17:12)、聖なる食物を食べることができた(レビ記22:10、出エジプト記12:44)。

奴隷は、家の中である権利と地位を与えられ(創世記24:2)、相続に与った(箴言17:2)。

第4戒が述べるように、安息日に休息する権利を有していた。

借金と盗みの場合を除き、奴隷は生まれながらの奴隷か、もしくは、自由選択による奴隷のいずれかであったから、逃亡奴隷は自由になることができた。

そのような奴隷を主人のもとに戻すことは禁止されていた(申命記23:15~16)。

クリスチャンは自発的に奴隷になることはできない。

彼らは、人の奴隷になるべきではない(1コリント7:23)。

または「再び奴隷のくびきにつながれてはな」らない(ガラテヤ5:1)。

奴隷制や社会主義、福祉主義という、似非保障や擬似解放の道を、クリスチャンは選択してはならない。
クリスチャンの安息日は、社会主義の奴隷制ではない。

◇◇ 

新年あけましておめでとうございます。

今年もどうぞ宜しくお願い致します。
 
・・

神の御心とは何か。

それは、すべて聖書に書かれているはず。

神の御心を知るために聖書を学んでいる。

聖書律法は、神の祝福を受けながら、この世を豊かに歩んでいくための生活指針、すなわち神がわれわれに従うよう望んでおられる願いであり、御心そのもの。

今や、この世の人間教(学)によってがんじがらめに絡め捕られてしまい、神による啓示が塞がれてしまっている。

われわれが旧約律法に対して盲目なのは、敵の策略による。

この世を支配している人間教(バベルの塔)をぶっ飛ばすべく、今年も神の御心をさらに深く追及していきたいと思う。

敵の霊に容易に騙られないために必要な武器のひとつが神学、すなわち御心の探求だ。 

この邪悪な闇の時において、敵の霊を叩き潰せるように、神のすべての武具を手に取れ(エペソ6:13)。


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