☞ The Battle for the Mind Dr Steven J Lawson
10分49秒から15分09秒まで。
gabage in, gabage out.
がらくたを受け入れるとがらくたが出て行く。
つまり、がらくたを受け入れるなということ。
われわれクリスチャンの場合、心はすでに新生されているので、取り込む情報に注意さえ払えば道を逸れることはない。
然り、アーメン。
◇◇
続く箇所は、ある兄弟たちだけではなく、新しい兄弟たちだけでもなく、姉妹たちだけに語られているのではありません。
この箇所は、神の家族の中へと新しく生まれた私たち一人一人に語られているのです。
神は私たちに新しい知性を与えて下さいました。
その時、私たちはキリストへと回心しました。
神は私たちにキリストの知性を与えて下さいました。
私たちは新しい知性を受け取ったので、この知性を守る義務があります。
私たちはじっくりとこの知性を見張る必要があります。
つまり、ここで語りかけられている人々は兄弟姉妹であり、あなたや私も含まれています。
次に、必要とされる純粋について注目して頂きたいと思います。
引き続き8節を見ていますが、次のように書かれています。
すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての純粋なこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、もしも一粒の徳があるなら、もしも称賛に値することがあるなら、そのようなことに心を留めなさい。
そのようなことに心を集中させ続けなさい。
8節の最後のことばにコメントを加えたいと思います。
そのようなことを思い続けなさい。
心を留める、集中する、思い続ける(dwell on)とはどういう意味でしょうか。
dwell onとは考え続けるという意味です。
精神的に注目するという意味です。
パウロは、これらのことを考え続けなさいと言っているのです。
これらのことに焦点を当て続けなさいと言っているのです。
こららのことに心を留めなさいと言っているのです。
私たちクリスチャンにとって重要なことは、この動詞が命令形で使われているということです。
これは命令であり、義務。
これらのことに心を留めるように、神は命令しているのです。
今ここに集うクリスチャンにとって、任意ではありません。
今ここに集う10代の若者にとって、真実なのではありません。
今ここに集う20代の人たちにとって、真実なのではありません。
中高年の人たちにとって、真実なのでもありません。
海を越えて、今の世のクリスチャンに対する使徒命令であります。
dwellという意味のギリシャ語について発音してみますが、ロギゾマイということばであり、そのことばの中に英語の単語が含まれています。
その動詞の中に、logarithm、或いはlogicということばを聞くことができます。
対数をとろうとする時、 懸命に考えようとするでしょう。
心を留めようとするでしょう。
このことばは数学的専門用語であり、緻密な計算という概念を有しており、大変な集中力を要する何かを研究することを意味します。
十分に考慮するという意味です。
聖書的には、十分注意して考える、計算する、評価する、熟慮するという意味です。
ピリピ書において、パウロは、われわれクリスチャンは精神的に集中して、知性をもってこれらのことに心を留めるように命じているのです。
これらのこととは、法にかなったこと、適切なこと、正しいことを表す事柄。
さらに知っておくべきことは、これらのことに心を留める(dwell on)という動詞が現在形で使われているということ。
つまり、一日24時間、週7日間、私たちはこれらのことに心を留める必要があるということです。
これらのことに心を集中させることに休みはありません。
これらのことを熟慮することに安息日はありません。