みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#604 神の法第六戒

2020年09月23日 | 神の法
第6戒
死刑

225~
The Death Penalty
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

(以下、ニューヨークヘラルド紙の記事「A barbarous Form of Punishment」からの引用)

Chessman は死刑に対抗する戦いの世界的シンボルとなることに成功した。
12年前、彼は強盗と婦女暴行(カリフォルニア法の妙な法では誘拐とされた)の罪で有罪となった。法廷は彼を有罪としたが、彼は最後まで無罪を主張した。疑いの根が残り、このケースはいつまでも疑義が晴れない事件となるだろう。しかし、昨夜カリフォルニア州の主権によって殺された男は、その州の法定が元々判決を下したのと同じ男ではなかった。
カリフォルニアは、若い暴漢に判決を下し、法律、恐らく市民権についても地道に勉強していたその男を処刑した。
命の尊厳に敬意を払いつつ、法は命に対する畏敬の念を繰り返し教えるべきだ。カリフォルニアが昨日犯したように、言うことを聞かない息子に「こうするんじゃなく、言うことを聞け」と言い付ける常軌を逸した父親のようであってはならない。
死は最後。死は再考の余地を与えない。誤りやすい人間の判断に基づく司法体制において、数学的に一定の確かさがある誤審の訂正に対する余地も残さない。司法による殺人が意味する典型的な計画性は、その行為を感情的犯罪というよりも冷ややかな悪意ある犯罪としている。

ガス室という概念は、西洋文明の理想的目標とは正反対だ。

--以上、引用終わり。

そのような信仰(信念)によって、全人類の中で最も悪意のある人たちは死刑を好む人たち。

人間に対する犯罪において、彼らは人間教(ヒューマニズム)に対して赦し難い罪を犯す。

人間に卓越性を与えるために、ヒューマニスト(人間教徒)は、論理的に、現実的で客観的なスタンダードとしての正義の概念を破壊する必要がある。

人間は法の上位に位置し、それ故正義の上位に存在しなければならない。

以上から、正義は(自己)正当化と組織的な憎悪へと(その価値を)引き下げられる。

コメント:

ヒューマニズムが創造教理を否定したいわけ

人間教は絶望と妄想のはざまで揺れ動く

マイナス思考に導く陰謀論にご注意

マイナス思考に導く陰謀論にご注意 2


*最後の記事「マイナス思考に導く陰謀論にご注意 2」にこうある。

>プレ・ミレを捨てない限り、自信を持つことができないので、人を恨む以外に逃げ道はなくなります。

せっかく改心して、主イエスを信じて救われたにもかかわらず

クリスチャン→プレミレ→古い人→進化論→適者生存→共産主義哲学→
→組織的憎悪(上の記事The Death Penalty参照)→ヒューマニスト→ノンクリスチャン→???

という破滅の波に押し流されることになる。

プレミレ教を徹底的に排除しなければ、多くのクリスチャンが信仰を奪い取られるであろう。

この流れを作っているのはサタン以外にあり得ない。