みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Blood Is Primarily For God, #1

2014年10月04日 | 聖書研究・信仰

主の血潮は、贖いのため、すなわち、我々が神の御前に立たなければならない時に必要だ。

(最後の審判の日にではなく、今この瞬間瞬間だ。今この瞬間瞬間、主の前に立ち続けている)

犯し続けている罪々に対する赦しのため。

今この瞬間瞬間主の前に立ち続けているなら、今この時の我々の罪々はすでに赦されてしまっている。

神が犯し続けてきた罪々を見逃したからではない。

主の血潮を見て過ぎ越したのだ。

見逃したのではない、過ぎ越したのだ。

主の血潮は、我々のためではなく、神のために流された。

主の血潮がどれほどに貴重か、今はおぼろげながらにしか分からない。

新約及び旧約聖書問わず、血は「贖い」と深く関連している。