みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#42 The Days of Vengeance, NO.42

2024年08月17日 | 報復の日々

p106~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

ペルガモ:偽預言者と無神の王に対する裁き

2節12-17
Rev 2:12  また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。 
Rev 2:13  「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。 
Rev 2:14  しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行なわせた。 
Rev 2:15  それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。 
Rev 2:16  だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。 
Rev 2:17  耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』 


13節続き。


この最後の名称、皇帝崇拝と神格化された国家主権主義こそ、この箇所の意味の中心なのだが、見落とされている基本的ポイントが多数存在する。

このメッセージにおいて、サタンは、神秘的な宗教を選び、神との契約を破棄した不信仰なユダヤ人共同体であるシナゴーグと一体化した存在と見なされている。

新約聖書全体を通して、主な教会の敵は背教のユダヤ教であり、その代表者たちは、ローマ行政長官の前にクリスチャンを引きずり出すのが常だった。

Act 4:24  これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。 
Act 4:25  あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。 
Act 4:26  地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』 
Act 4:27  事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、 
Act 4:28  あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。 
Act 12:1  そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、 
Act 12:2  ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。 
Act 12:3  それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。 
Act 13:8  ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。 
Act 14:5  異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、 
Act 17:5  ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。 
Act 17:6  しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。 
Act 17:7  それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。」 
Act 17:8  こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。 
Act 18:12  ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、 
Act 18:13  「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています。」と訴えた。 

 (Acts 4:24-28; 12:1-3; 13:8; 14:5; 17:5-8; 18:12-13; 21:11; 24:1-9; 25:2-3,9, 24) 

ヨハネが12-13章で明らかにしているように、教会を破壊するために、サタンはユダヤ人とローマ帝国の背後に力を移している。

 

 


#41 The Days of Vengeance, NO.41

2024年08月16日 | 報復の日々

p106~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

ペルガモ:偽預言者と無神のい王に対する裁き

2節12-17
Rev 2:12  また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。 
Rev 2:13  「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。 
Rev 2:14  しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行なわせた。 
Rev 2:15  それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。 
Rev 2:16  だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。 
Rev 2:17  耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』 


13節。

ペルガモの信徒たちは、サタンの座で暮らしている。

Robert H. Mounceは、いずれの想定も他の想定を排除しないが、この表現の意味についていくつかの提言をしている。

多くの記述は、砦から町を見下ろす、偉大なる王座のようなゼウスに捧ぐ祭壇について言及している。

他に、救い主と呼ばれたが、その象徴は蛇だったアポロの息子に関連する記述がある。

明らかに、これはクリスチャンにサタンを思い起こさせる。

Rev 12:9  こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。 
Rev 20:2  彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、 

南方から古代の道を通ってペルガモに接近すると、丘陵上の町の外観は平野にそびえる大きな王座のように見えた。

しかしながら、この表現は、アジアにおける皇帝崇拝の公的カルト拠点としてのペルガモの名声と関連付けられて良く理解されている。

サタンが公式の席、すなわち国家的地位を確立していたのが、まさにここだった。

西方において、ローマがサタンの活動拠点となったように、ペルガモは、東方においてサタンの活動拠点となった。

Rev 13:2  私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。 
Rev 16:10  第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。 

 

 


#40 The Days of Vengeance, NO.40

2024年08月16日 | 報復の日々

p105~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

ペルガモ:偽預言者と無神の王に対する裁き

2節12-17
Rev 2:12  また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。 
Rev 2:13  「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。 
Rev 2:14  しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行なわせた。 
Rev 2:15  それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。 
Rev 2:16  だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。 
Rev 2:17  耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』 


12節

ペルガモはもうひとつの重要なアジアの町であり、数多くの有名な偽カルトや極めて卓越した存在であるゼウス、ディオニュソス、アポロの息子(救い主として公式に認められていた蛇の神)、そして最も重要なことだが、カエサル崇拝のために主役を演じていた。

ペルガモは、カエサルやローマ、そして7つの都市すべてに対して、荘厳な寺院を誇っていた。

また、ペルガモは、ローマ皇帝カルトによって教会が破壊されることがしばしば起きた町だった。

神性な統治国家主義の拠点に、キリストは、鋭い両刃の剣を持つお方としてご自身を宣言する。

一方、ローマ帝国は自ずからを創造主、万物の定義人であると主張した。

生と死を支配するローマ帝国の力は、絶対かつ最終的であった。

迫害の権利はローマ帝国独自に起源を有するとローマが主張したのに対して、キリスト教は、三位一体の神以外のすべての権力と権威は派生的であり、さまざまな支配者や権威は創造されたものであり、神の支配を受けると告げた。

Rom 13:1  人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。 
Rom 13:2  したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。 
Rom 13:3  支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。 
Rom 13:4  それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。 

天においても地においても、すべての権威を掌握しているのはイエスキリスト。

Mat 28:18  イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。 

そして、剣の最終権威はキリストにある。

統治者としての主、そして地の王の支配者。

Rev 1:5  また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、 

キリストは国民にその法を布告した。

支配者たちが、神によって定められた司法権による命令を適応、実施しないのなら、主は鋭い剣を彼らの喉元に振り下ろすであろう。

 

 

 


#39 The Days of Vengeance, NO.39

2024年08月15日 | 報復の日々

p104~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

11節
Rev 2:11  耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。

対立する者たちや誘惑を打ち負かす忠実なクリスチャンは、第2の死によって損なわれることはない。

これが、元々1世紀の教会に対して言われていたという事実は、この書物の他の箇所の理解に役立つ。

黙示録20:6に、「第2の死によって損なわれない人々は、第1の復活に預かる人たちであり、キリストともに祭司や王となる」と書いてある。

ヨハネは、それは歴然とした現実であると確信していた。

Rev 1:6  また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。

当然の事ではあるが、第1の復活は、世の終わりにおける肉体の復活と関連付けることはできない。

1Co 15:22  すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。 
1Co 15:23  しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。 
1Co 15:24  それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。 
1Co 15:25  キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。 
1Co 15:26  最後の敵である死も滅ぼされます。 
1Co 15:27  「彼は万物をその足の下に従わせた。」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。 
1Co 15:28  しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。 

むしろ、第1の復活は、エペソへの手紙においてパウロが教えたことと関連があるに違いない。

Eph 2:1  あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、 
Eph 2:4  しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、 
Eph 2:5  罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、・・あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。・・ 
Eph 2:6  キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。 

クリスチャンは、あらゆる時代において、キリストにあって新しい命に到る第1の復活に預かる者であり、アダムにある第1の死から清められている。

彼は永遠の命を持ち、裁かれず、死から命へと通り過ぎてしまった。

Joh 5:24  まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。 

 

 

 


#76 基礎教理 Loving Your Enemies, NO.2

2024年08月14日 | 基礎教理

Sinclair Ferguson: Loving Your Enemies


14分08秒から24分24秒まで。

◇◇

それ故、イエスにあって病人を癒すために働くその力、足萎えを歩かせるために働くその力、目の見えない者に視力を与えるその力は、堕落した世に対して反文化的方法によって、弟子たちの生活を解放し、変貌させた力とまさに同じ力であります。

主イエスキリストの奇跡は、堕落した世において、主の王国の力を見せつけるのです。

堕落した世において、主イエスキリストの弟子たちは、王者の生活を見せつけるのです。


この箇所以外に明確に示されている箇所はありません。

イエスの弟子は敵を愛せよという、あらゆる文化的生活様式とは真逆なる主の命令。

イエスがこの教えを与える特殊な背景があり、それはマタイ5章17-20にある教えであります。

Mat 5:17  わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。 
Mat 5:18  まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。 
Mat 5:19  だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。 
Mat 5:20  まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。 

主が来られたのは、神の法を廃棄するためにではなく、成就するためにであるという教え。

御国の力は、シナイ山でモーゼに与えられた偉大な神の法において期待され、預言されていたすべての成就により明瞭に示されている。

主が深い関心を持っていたことについては、5章の最後21節以降に書かれています。

モーセを通して与えられた神の法を廃棄するのではなく、この大いなる原則を実証することが重要であると考えていました。

イエスの弟子たちは、神の法の成就の生ける具体例だったのです。

事実、強烈な方法で、神の法の内なる意味、内なる成就と、パリサイ人や律法学者に特徴的だった歪められた法を比較・対比しています。

何故か。

パリサイ人と律法学者は、古い契約の福音の中にある神の贖い、解放、変容の祝福を得ることができていなかったからです。

神の法に全き従順を続けるために必要な基盤を持っていなかったがゆえに、パリサイ人や律法学者は、神の法と契約を結び、それを守る必要がありました。

このようなことは、常に同時進行でなければなりません。

神の祝福と契約を結び、そして、神の命令と契約を結ぶ。

これが当時彼らが行なっていたことです。

彼らは、隣人愛に対する祝福の適応を狭小化していました。

全く違った意味で、旧約聖書は隣人を愛する奨励に満ちているにもかかわらずです。

隣人の動物が溝に嵌まっているのを見つけたら、面倒を見てあげなさい。

では、敵の動物が溝に嵌まっているのを見たらどうするのか。

敬虔的思いから、モーセは人々に言いました、「溝に嵌まっている敵の動物の面倒をみなさい。そうすれば、あなたの人生を特徴づける生活様式において、神の贖罪の愛の力を実証することになります」と。

後に使徒パウロがローマ書8章3節と4節において宣言した同じ原則を、主イエスは私たちに宣べています。

Rom 8:3  肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。 
Rom 8:4  それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の義が成就されるためなのです。 

肉によって弱くなっったがゆえに、剥き出しの律法ができなくなったので律法学者は肉によって神の法を弱体化しました。

律法が無力化したのは、私たちの肉によって弱体化されたからです。

そこで、神がなさったことは、御子を肉の罪の似姿において罪のために世に送り出すことでした。

律法の義の要求が私たちの内で成就するために、神は肉において罪を処罰しました。

誰ひとり肉によって歩まず、神の霊の力によって歩むためです。

主イエスが力強い教えを与えた状況は以上です。

第2に、主イエスが与えた処方箋に注目して頂きたいと思います。

その力を感じる必要があります。

43節
自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛しなさい。 

律法学者は、レビ記19:18を受け入れていました。

Lev 19:18  復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。 

旧約聖書における呪いのことばにようにおぼろげな方法で、彼らはこのことばを受け入れていました。

しかし、そのことばは、人生の処方せんとして与えれたものではなく、特殊な状況における反応例として与えられたのです。

法に反しつつ、彼らはこれらのことを握りしめ、生きる規範としました。

「汝の隣人を愛し、汝の敵を憎め」と。

彼らがあなたの小さな王国の外にいるのなら、異邦の犬として彼らを軽蔑しなさい。

ヨナがしたことをしています。

教えの中でイエスが指し示していることは、旧約聖書の教えを彼らが誤解しているだけではありません。

旧約聖書の教えは、「隣人を愛し、面倒をみることを奨励するのみならず、隣人が敵だった場合にも愛し、面倒を見よ」という勧めであると主は繰り返し告げます。

箴言24章17節にこうあります。

神の契約の法を、個々の信徒の実践的生き方に応用する。

「Pro 24:17  あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない。」

何故か。

なぜなら、神の法において、汝の敵の面倒をみるように神が命じているからです。

福音後半において、イエスは、その原則を例証しています。

イエスのことばを聞いた人々の怒りに対して、イエスは良きサマリア人の例えを話します。

サマリア人は切羽詰まった状況にある敵を見つけ、彼を愛します。

しかし、ある意味において、この箇所におけるイエスの基本的教えは、良きサマリア人の例えよりもはるか遠くを行っているように見えます。

自分の敵が失望し無防備であった時、良きサマリア人はその敵の面倒を見ます。

イエスは弟子たちに強く力説します。

「汝の敵があなたたちに敵対行為を実行する時、彼らがあなたがたを迫害する時、彼らの面倒を見なさい。」

マタイ5章の前半、「彼らがあなたがたを憎む時、彼らがあなたがたにあらゆる悪を行なう時、彼らの世話をしなさい。」

もちろん、あなたがたに対するあらゆる悪を不正に行う場合であっても。

あなたがたの敵が弱り果て、無防備になり、憐れみがあなたがたの心から溢れる時だけでなく、あなたがたの敵があなたがたを迫害する時も、とイエスは言います。

真に新生している霊から、汝の敵への愛の油が流れ始めます。

主イエスキリストに委ねられた人々の命の中に、福音の力が証明され、そして立証されるために。

しかし、イエスが与える処方箋に関して本当に恵み深いことは、主がご自身の教えを実践したということです。

主イエスの教えを愛することのできる理由は、まさにこのことではないでしょうか。

さらに言えば、これとまさに同じこと宣べを伝える宣教師をあなたが愛することのできる理由も同じではないでしょうか。

宣べ伝える原則を自ら実践する人たち。

主イエスキリストが十字架に付けられて、最後の3時間の間に放った力強い7つのことば「父よ、父よ、彼らをお赦し下さい。」

敵に囲まれたダビデが詩篇22編で次のように語ります。

憐れみの心をもって、彼は叫びます、「父よ、彼らをお赦し下さい。」

イエスがこの原則を教える一般的な状況があります。

汝の敵を愛するための特別な処方箋があります。

第3に、私たちが主の教えに従うことができるための動機があります。

ちょっと時間を取ります。

いらっとしないことを切に望みますが、英文法の勉強をしましょう。

私はイングリッシュ(英国の)という言葉が好きではありません。

私はスコットランド人で、イギリス人ではありません。

 

 

 


#680 神の法第六戒

2024年08月14日 | 神の法

第6戒
9.軍法と生産

p278~
Military Laws and Production
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

戦いにおいて殺害されないように、この贖い金は兵士の命のためのものだった。

ミディアン人との戦いにおいて、およそ12,000のイスラエル人がミディアンの地を焼き払い、男を殺害し、675,500頭の羊、72000頭の家畜、61000頭のろば、32000人の未婚の女を無傷のまま捕えた。

これらの中から、十一献金または一部が主に捧げられた。

神の法に従って、信仰によって、神の命令に従順であるがゆえに、戦争が行われる場合、イスラエルの経験則に従い、人々は神の保護と繁栄を頼ることができた。

第4に、懲役制の免除は法によって与えられた。

軍役の目的は、恐れのない神の戦いを戦うこととされた。

Deu 20:1  あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、主が、あなたとともにおられる。 
Deu 20:2  あなたがたが戦いに臨む場合は、祭司は進み出て民に告げ、 
Deu 20:3  彼らに言いなさい。「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。 
Deu 20:4  共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」 

軍役免除は、いくつかの階級において実施された。

(1)新しい家を建てたが、奉納しておらず、楽しんでもいない人。

(2)ぶどう園を植えたが、果実をまだ収穫していない人。

(3)妻と婚約したが、まだ彼女と交わってしていない人。そのような男は戦地で心が分裂してしまう。

最後に

(4)恐れがある臆病者は皆、彼の兄弟が、その者の心を和らげない限り、軍の士気に危険を及ぼす者として辞退された。

Deu 20:5  つかさたちは、民に告げて言いなさい。「新しい家を建てて、まだそれを奉献しなかった者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者がそれを奉献するといけないから。 
Deu 20:6  ぶどう畑を作って、そこからまだ収穫していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が収穫するといけないから。 
Deu 20:7  女と婚約して、まだその女と結婚していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が彼女と結婚するといけないから。」 
Deu 20:8  つかさたちは、さらに民に告げて言わなければならない。「恐れて弱気になっている者はいないか。その者は家に帰れ。戦友たちの心が、彼の心のようにくじけるといけないから。」 
Deu 20:9  つかさたちが民に告げ終わったら、将軍たちが民の指揮をとりなさい。 

申命記24:5によれば、新婚男性の免除は義務であった。

新しい妻を取ったが、1年間妻の実家に出向いたことがない、仕事に就いていない場合、めとった妻を励ますために、1年間家で自由に過ごすことができる。

その他兵役を免除されるのは、(5)レビ族だった。

Num 1:47  しかしレビ人は、彼らの中で、父祖の部族ごとには、登録されなかった。
Num 1:48  主はモーセに告げて仰せられた。 

レビ族は戦うこともあったが、懲役は免れた。

 

 


#27 信仰の防衛:パート1 私の思考パターン

2024年08月14日 | 信仰の防衛

第1章
キリスト教神学

p33~
Chapter 1
Christian Theology 
Part One 
The Structure of My Thought  
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til

引き続き、神とは何ぞやという神に関する教理が続く。

◇◇

ア)神のご人格

神の属性について論じてきたが、「神は絶対的な人格である」と要約しうるのではないだろうか。

神の属性とは、神の側からの見た自意識と道徳的活動を表す。

知的、道徳的活動に関して、神はご自分の存在以外の何物にも依存しないという認識は、神の人格に関する改革派教義と一致する。

神が世界を規範とした真理、善、美の原則を超える原則は存在しなかった。

真、善、美の原則は、神の存在と同一であると考えるべきだ。

それらは神の属性。

非キリスト教の哲学体系は、神の人格を否定しないものもあるが、神の絶対的人格を否定するという点で一致している。

クリスチャンである私たちは神に似た者になることができ、人格者であるという点で神に似ていなければならない。

しかし、神は絶対的な人格である一方、私たちは有限的人格であるということから、神とは異なる存在である言うことができる。

無神論者は、神は私たちが望むよりも偉大な人格であるかもしれないが、それでも、絶対的人格と有限人格の区別を質的な人格として維持してはならないと主張する。

 

 

 


#38 The Days of Vengeance, NO.38

2024年08月13日 | 報復の日々

p103~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

9-10節
Rev 2:9  「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。・・しかしあなたは実際は富んでいる。・・またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。 
Rev 2:10  あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。 


彼らの苦痛を知っておられるお方は最初であり最後の人、すべてを支配するお方であるがゆえに、安息を与える権利を有する。

苦悩することを恐れるな。

スミルナのクリスチャンの中には、ユダヤ人の扇動により投獄を余儀なくされようとしている者たちがいた。

これもまたキリストとサタンとの宇宙的闘争の一部であると主は彼らを納得させる。

ローマ帝国と協定を結んだユダヤ人による執拗な迫害は、悪魔に起源を発し、イエスキリストの支持者たちへの敵対心に、そして主の王国をとるに足りないものに留めおこうとする熱狂的な目論見に基づいていた。

勝利に予定されている王や祭司らの容赦なく行進してくる群れとの負け戦に対して、主は必至になって報酬を支払っている。

私たちを打ち破ろうとする悪魔の試みの背後には、神の絶対的な訓告がある。

サタンは、ヨブの家畜の群れを盗むようにカルデア人を唆した。

しかし、ヨブは義なる反応をした、「主は与え、主は取り去った。主の御名を褒め称えよ」 (Job 1:21)。

悪魔の邪悪な行動に対する、敬虔で、あらかじめ定められている目的とは、あなたが試されているということ。

サムエル・ラザフォードは次のように書いている。

「悪魔は、私たちに剣の使い方を教える神の剣客にすぎない。」

クリスチャンの試練はサタンによってではなく、神によって定められている。

そして、収支は破壊ではなく、清めである(cf. Job 23:10; 1 Pet. 4:12-19)。

Job 23:10  しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。 

1Pe 4:12  愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、 
1Pe 4:13  むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。 
1Pe 4:14  もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。 
1Pe 4:15  あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。 
1Pe 4:16  しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。 
1Pe 4:17  なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。 
1Pe 4:18  義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。 
1Pe 4:19  ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。  

スミルナにある教会の艱難は酷いものだったが、その期間は短期10日間で終結した。

ダニエルと3名の友は10日間の試みにあったが、彼らは試練を通り抜け、高い光栄へと昇格した (Dan. 1:11-21)。

Dan 1:11  そこで、ダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。 
Dan 1:12  「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。 

同様に、スミルナにある教会に対するユダヤ人の迫害も短期間続いて、教会は自由の身となった。

1000年間の勝利と引き換えに10日間の艱難

Rev 20:4  また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。 
Rev 20:5  そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。 
Rev 20:6  この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。 

試練の時、教会内部の多くの命が犠牲となった。

命の冠を勝ち取るために、彼らは死に至るまで忠実であることが求められた。

これは、聖別されたクリスチャン集団のために特別に祝福された席ではない。

すべてのクリスチャンは、死に至るまで忠実であることが求められる。

それ以外のクリスチャンについては何も聖書には書かれていない。

「耐えるなら主とともに統治し、主を否認するなら、主によって否認される。」(2 Tim. 2:12)

2Ti 2:12  もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。 

「私の名の故に、あなたがたは皆に憎まれる。」

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる (Matt. 10:22)。

命の冠、それは救いそのもの。

 

 


#5 イスラエル救済 Is Biblical Israel identical with Ethnic Israel? NO.4

2024年08月13日 | 創世記

金城師の群れであるが、1884年問題や副読本などがあり何か違和感を感じていた。

その旨一旦記事に記載したが、信仰上の大きな問題点とは思わず取り消した。

セブンスデー・アドベンチストについて

他の動画等を確認したが、金城師の群れはセブンスデー・アドベンチスト教会であり、基礎教理をしっかりと学んだ人以外は離れた方が良いと思う。

歴史、宗教史、カトリックの動向など、それなりに参考になる記事もあるので、内容によっては今後も参考とさせて頂くつもりである。


#75 基礎教理 Loving Your Enemies, NO.1

2024年08月12日 | 創世記

Sinclair Ferguson: Loving Your Enemies


最初から14分08秒まで。

◇◇

救いの達成のために原点に戻る。

これを実行するかしないかは真のクリスチャンであるかどうかの分かれ道と解く。

主は、背教者、偽預言者、迫害する者、グ●ーバ●スト、カ●リック、国家を愛せよと命ずる。

祈ることすら躊躇するのに愛せよとは。

◇◇

マタイ福音書を開いて下さい。

マタイ福音書の数か所に渡って、読んでいきたいと思います。

4章の終わり、23節から始めて、5章節の数か所をお読みします。

Mat 4:23  イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。 
Mat 4:24  イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになった。 
Mat 4:25  こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。 
Mat 5:1  この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。 
Mat 5:2  そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。 

飛んで、10節。

Mat 5:10  義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。 
Mat 5:11  わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。 
Mat 5:12  喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。 
Mat 5:13  あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。 
Mat 5:14  あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。 

そして、17節。

Mat 5:17  わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。 
Mat 5:18  まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。 
Mat 5:19  だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。 
Mat 5:20  まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。 

そして、43節。

Mat 5:43  『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 
Mat 5:44  しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 
Mat 5:45  それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。 
Mat 5:46  自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。 
Mat 5:47  また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。 
Mat 5:48  だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。 

ご一緒にお祈りください。

今この時、神のご加護を求めます。みことばによって、ともに神の御顔を求めます。
恵みあふれる私たちの神、御父よ。
今日命と息吹きをあなたが与えて下さったことに、心の底から賛美します。
あなたの聖なるみことばを学ぶことのできる心を与えて下さったことに、心の底から賛美します。
聖霊によって、私たちの霊を新たにして下さったことに、心の底から賛美します。
私たちの命、心、意志、良心、御前にあるすべてのものを下げます。
あなたの聖なるみことばを通して、私たちの主イエスキリストご自身が、私たちの教師となり、預言者となり、王となれれますように。
御前に跪きます。
閣下とともに、この部屋を満たす栄光とともに、皆でお祈りします。
主イエスキリストの言葉づかいを聞くことのできる力を与えて下さい。
主の偉大なる御名によって、皆とともにお祈りします。
アーメン。

自分の十字架を取って、主イエスキリストに従うということ。

主の弟子となるということは、この世とは異なる生活習慣へと召し出されていることを意味します。

それは、一言で言うと、超自然的であり、神的であるということに尽きます。

自分の十字架を取り、主の弟子としてイエスキリストに従うということは、この世とは異なる生活習慣へと召し出されていることを意味するが故に、超自然的であり、神的であるということ以外に可能な答えはありません。

そんなわけで、マタイ5章にある主イエスの命令は、本物のクリスチャン弟子訓練にとって、極めて劇的です。

「汝の敵を愛せよ」という今朝のみことばにおいて、主イエスキリストは、同時に二つのことを行なわおうとされます。

最初に、主は真のクリスチャンと偽のクリスチャンの違いを明らかにします。

今の世の中ができることは、自分を愛することを教えるだけです。

今日の宗教ができることは、隣人を愛するように勧めるだけです。

しかし、福音の力を引き出し、イエスキリストの主権を際立たせるために、主は汝の敵を愛せよと命じているのです。

この世や宗教界とは全く異なることをせよという命令は、神性であり、超自然的なことばによってしか説明できません。

真のクリスチャンと偽のクリスチャンとの間の対比を暴露するイエスの言動は、私たちに向けられています。

何故なら、語られている通り、それは、私たちのために明示されていて、福音を開く鍵を明らかにしてくれるからです。

福音を開く鍵とは、まさに神ご自身がなさったことであります。

使徒パウロが唱えたことがそれです。

「キリストにあって、神はご自身の敵と和解された」と。

2Co 5:18  これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 

ここに神の愛があります。

「私たちがまだ罪人だった時、キリストは自身の敵のために死んでくださった。」

Rom 5:8  しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 

このことを理解することは大変重要であります。

わが友よ。

福音の神髄を理解する、神ご自身の御心を理解するためには、イエスのこの教えを理解することに尽きると言ってもいいでしょう。

この命令「汝の敵を愛せよ」という主イエスの命令を成し遂げるために、この世において唯一考えうる権威である福音を、そして福音を与えて下さった神をしっかりと理解する必要があります。

罪人に対する神の愛を認めるのであれば、当然私たちは主イエスキリストの命令をも承認することになります。

この命令を身をよじることなく承認するのであれば、当然私たちはまず第一に自分自身を、次いで他人も承認することになるのです。

これが主イエスキリストの無制限の愛です。

イエスが命するような命令には本来の意義があります。

特殊な意味において、この命令は、福音の理解という点において、福音に服するという点において、ある考えられうる欠落があることを顕かにします。

この命令を聞いて、主に「はい、しかし、この状態は一体何なのでしょうか」と言いたくなる衝動に駆られないでしょうか。

「はい、主よ。しかし、この状況は一体何なのでしょうか」と。

「はい、主よ。しかし、この人たちは一体どうなのでしょうか」と。

そういうことをしているうちは、わが友よ、あなたはこの命令の背後にある福音をあまり重要視していないと受け止められてしまいます。

これらのみことばが、主イエスの偉大なる命令を明らかにするだけでなく、福音における神の慈悲に対する心の反応を明らかにしてくれます。

再び山上の垂訓を読む時、「神は何と慈悲深いお方か。神は罪人である私を愛してくれている」と叫びながら、初めて主イエスキリストを求めた地点へと私たちを誘ってくれます。

4つの見出しをつけて、ご一緒にこれらのことを見ていきたいを思います。

第1に、主イエスがこの教えを与えた状況を考えたいと思います。

第2に、この教えに刻まれている規定について。

第3に、この教えに従順であるために、主が与えたもう動悸について。

最後に、この教えの実践において、主が助けて下さる方法について。

最初に、この命令が与えられた状況についてお話ししましょう。

その状況は、実は2重の意味があります。

主イエスは宣べている状況には2重の内容があります。

一般的な意味合いは、マタイ4章の最後から5章の始めに見出すことができます。

主イエスは、ご自身そのものであられる神の国の到来と存在を宣べ伝えていた。

その到来とともに、そこから放出される新しい力がある。

主が宣べ伝える力だけではなく、4章の終わりに書いてあるように主イエスが卓越した奇跡を成し遂げることができた力。

御国に関するその教えは、自ずからの宣教によって放出される御国の力を、主は見える形で実証されたのです。

そして、御国の力が堕落した被造物に回復をもたらす方法を示して下さいました。

ある日、最後の回復が起こり、王としてイエスキリストが御国を先導する御国の良き知らせが与えられています。

主イエスキリストがなす万能の力において、まるで、目に見えるミニチュアの模造体のように。

そして、天の御国の具現として、主はやって来られます。

主ご自身がその国の王。

天使たち、ケルビム、セラフィムは主の御前でひれ伏します。

謙遜し、受肉してやって来られ、ご自身の王権を現わします。

山上の垂訓、マタイ5章から7章で弟子たちに教えているように、主は、肉体の超自然的、奇跡的変容の力を目に見える形でお示しになりました。

しかし、それだけではなく、弟子たちの生活習慣が変容するという点においても、御国が劇的にかつ永続的に実在することを主は証明されました。

それ故、山上の垂訓全体は、イエスが成したすべての奇跡のように、天の御国の生活形態、そして、神の国に属する人たちの国民性を、この世に目に見える形で指し示めすことが意図されているのです。