ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

糸瓜

2006-11-05 05:31:50 | 平々凡々

 

 朝、会社の最寄り駅の改札を出て、ふと見ると駅のフェンスに糸瓜が生っていた。それも大きな糸瓜が数多く。 毎日通るので見ているはずなのに気付かなかった。気ぜわしいのか、景色を愛でる余裕が無かったのか。早速カメラを取り出して、パチリ。駅に向かう人たちが怪訝そうにすれ違う。

へちまといえば風呂での垢すり道具だった。いまは、色んなツールがあるが、昔は(というと馬鹿にされるが)糸瓜しかなかった。最近の浴用布は綿から化学繊維まで色んなものが出ているが、糸瓜はアレルギーなどの心配は無く、結構丈夫だった。思い出したが、軽石も風呂場においてあって、これは湯に浮くのだが、足の裏をこすっていた。何でも桜島の噴火で取れた石らしいが本当かどうかは知らない。

確か、糸瓜は完全に乾くまで干して線維だけを取り出すのだが、自分で作ったことは無い。親父が作っていたのだろう。同じようなものにひょうたんがある。やはり食するものではないが、酒や水などを入れるものだ。

このひょうたんについては、中学校の国語に「セイベエとひょうたん」という短編が載っていた。名作短編らしいが、ひょうたん好きの子供がせっせとひょうたんを磨く話であり、とりたてて面白い話では無いが、記憶に残っている。どこにでもいる、ごく普通の人が、懸命に苦心して精を込めると、それを認める人が必ずいるのだ、と。子供心に感銘を受けたのであろうか。 よく覚えてはいないが、いまだにひょうたんをみれば思い出す。

 ついでだが、中学校の国語で題名は定かではないが、「大きな5つの顔」にも感銘を受けた。アメリカの歴代大統領の顔が岩山に掘られているのだが、子供がその顔を見ながら彼らのように立派な人に成りたいと念じていたら、老人となって気付いたら自分が彼らに似た人に成長していた、というストーリーだった。世の中にはすばらしい人が沢山居て、自慢やひけらかすことなく、精一杯生きているのだ、と。

 世界史を履修していない問題世の中が騒がしいが、教科書は実に大切なことだと思う。偉そうに言うのではないけど、最近の道徳が欠如したかのような世相を少しでも良くなるような基本的教育を念頭に、叡智を集めて欲しいものだ。我が国の伝統文化は決して恥ずかしいものではなく、誇れるものだと信じている。文化は後世に引き継いでゆかなくてはならない。

 今日から、2泊3日で仕事に出かけます。しばらく留守にしますが、みなさんよろしく。


コメント (18)
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