ホシナトオル - 寝ても覚めても (audio only)
ホシナトオル 「broken records」
このアルバムは2、3年ほど前にリリースされたものだけれど、CD化されたときに手に入れて聴いている。
ジャケットのくたびれたクマのぬいぐるみに、もし見覚えがある人がいたら、その人はホシナトオルと私のご近所さんである。ご近所さんといえば、CDが届いた時にわかったのだが、私とホシナトオル氏は実はすぐ近くに住んでいるのである。それなのに実際に会ったことはなく、もっぱらネットでの細々としたやりとりのみをしている。そうした距離感がお互いにとっていいのだと思う。
「broken records」が出たときはシティポップの文脈で評価する向きが多かったし、「はっぴいえんど」や「サニーデイ・サービス」との類縁性についても語られていたような覚えがある。確かにサウンド的にはヤング・ラスカルズなど、シティ・ポップの創始者たちが影響を受けた音楽を思わせるようなものだったり、少し冷めた感じや気怠さだったり、両者に通じる部分はあるように思う。
60年代の「政治の季節」が終わって、いわゆる「祭りの後」の白々した雰囲気と現代の白けた空気というのもどこか似ているのかもしれないが、ホシナトオルの根底にある疲労感やニヒリズムはもっと深く複雑なもののように思える。
例えば、いつまでやっても終わらない仕事、そんなに気持ちの良くないセックス、どんなに眠ってもすっきりしない目覚め、どこへも連れて行ってくれない音楽やアート、全てを忘れさせてくれて弾けさせてくれるわけでもないアルコールなどなど、結局そんなものかと失望し、諦めてしまわざるをえないような、ぼやっとした感じ、ずるずるだらだらした感じ。
ある部分ではとてもいい加減なのに、ある部分にはとても不寛容、そんな真綿で首を絞められているような状況にあって、このままではジリ貧であると知っていても、ここから出たところで何かが好転するわけでもないこともわかっている。居場所はないわけではないし、声に出して訴えたい不満があるわけでもない。身動きできないほど縛られているわけではないのに、特に何かしたいわけでも、動きたいわけでもない。ただなんとなく疲れている。
このように、実は深刻で重い現実があるのに、それがまるで虚ろにふわふわと漂っているような手ごたえのない世界に向き合うにはサウンドとユーモアの感覚が必要だ。ホシナトオルの楽曲はその距離とバランス感覚において絶妙だ。
こんな世界をホシナトオルはくたびれたクマのぬいぐるみのように佇みながら歌う。自らも雨風にさらされ、埃にまみれながらもその歌は聴く者を時には激しく揺さぶりながらも優しく癒す。
ホシナトオル 「broken records」
このアルバムは2、3年ほど前にリリースされたものだけれど、CD化されたときに手に入れて聴いている。
ジャケットのくたびれたクマのぬいぐるみに、もし見覚えがある人がいたら、その人はホシナトオルと私のご近所さんである。ご近所さんといえば、CDが届いた時にわかったのだが、私とホシナトオル氏は実はすぐ近くに住んでいるのである。それなのに実際に会ったことはなく、もっぱらネットでの細々としたやりとりのみをしている。そうした距離感がお互いにとっていいのだと思う。
「broken records」が出たときはシティポップの文脈で評価する向きが多かったし、「はっぴいえんど」や「サニーデイ・サービス」との類縁性についても語られていたような覚えがある。確かにサウンド的にはヤング・ラスカルズなど、シティ・ポップの創始者たちが影響を受けた音楽を思わせるようなものだったり、少し冷めた感じや気怠さだったり、両者に通じる部分はあるように思う。
60年代の「政治の季節」が終わって、いわゆる「祭りの後」の白々した雰囲気と現代の白けた空気というのもどこか似ているのかもしれないが、ホシナトオルの根底にある疲労感やニヒリズムはもっと深く複雑なもののように思える。
例えば、いつまでやっても終わらない仕事、そんなに気持ちの良くないセックス、どんなに眠ってもすっきりしない目覚め、どこへも連れて行ってくれない音楽やアート、全てを忘れさせてくれて弾けさせてくれるわけでもないアルコールなどなど、結局そんなものかと失望し、諦めてしまわざるをえないような、ぼやっとした感じ、ずるずるだらだらした感じ。
ある部分ではとてもいい加減なのに、ある部分にはとても不寛容、そんな真綿で首を絞められているような状況にあって、このままではジリ貧であると知っていても、ここから出たところで何かが好転するわけでもないこともわかっている。居場所はないわけではないし、声に出して訴えたい不満があるわけでもない。身動きできないほど縛られているわけではないのに、特に何かしたいわけでも、動きたいわけでもない。ただなんとなく疲れている。
このように、実は深刻で重い現実があるのに、それがまるで虚ろにふわふわと漂っているような手ごたえのない世界に向き合うにはサウンドとユーモアの感覚が必要だ。ホシナトオルの楽曲はその距離とバランス感覚において絶妙だ。
こんな世界をホシナトオルはくたびれたクマのぬいぐるみのように佇みながら歌う。自らも雨風にさらされ、埃にまみれながらもその歌は聴く者を時には激しく揺さぶりながらも優しく癒す。