必要は発明の母

2014-10-08 20:57:06 | Dano Column
ポップ・ミュージックに初めてシタールが使われたのは1965年、ビートルズの「ノーウェジアン・ウッド」だといわれている。彼らが主演した2作目の映画である「ヘルプ!」にはインド料理店のシーンがあるのだが、そこで演奏されていたシタールにジョージが興味を持ったことがそもそものきっかけだった。

このシタールの導入について、完成された楽曲として公表したのは確かにビートルズが最初なのだが、それよりも先にレコーディングで使用したのはヤードバーズだったという話もある。さすがにそこはイギリス、映画に出てきたようなインド料理店も数多く存在し、シタールを演奏できるインド人など実はそれほど珍しいというわけでもなく、ラジオではインド音楽を放送する番組も制作されていた。こうしたなか、シタールを導入してみたら面白そうだと考えたミュージシャンも当時少なからずいたということなのだろう。

ともあれ、ビートルズがシタールを導入したことの影響は大きく、ローリング・ストーンズやキンクスなど他のグループも次々とシタールサウンドを取り入れるようになり、それらはやがて「ラーガ・ロック」と呼ばれる大きな潮流となっていった。さらにモンタレー・ポップ・フェスティヴァルやウッドストックにおけるラヴィ・シャンカルのシタール演奏が当時のロックミュージシャンやロックファンに与えたインパクトは計り知れない。

このようにシタールサウンドが広く受け入れられた背景には1950年代のビート・ジェネレーションと呼ばれた人たちの存在があったと思われる。彼らは西洋の物質文明を否定し、老荘思想や仏教などの東洋的な思想や自然観に共感したが、こうした彼らの存在は1960年代後半のヒッピームーヴメントの先駆けであり、当時の若い世代が東洋的なものを受容するための意識の変化を準備したと言えるだろう。

この1960年代に多忙なセッション・ミュージシャンとしてあっちこっち飛び回っていたヴィンセント・ベルは、「ラーガ・ロック」流行のさなかにあってシタールを演奏する仕事も増えてきたのだったが、彼にとってシタールはとても面倒な楽器だった。チューニングも面倒、壊れやすい、場所を取るので保管に困るといったことだけでなく、直接床に座って弾かなければならないのがつらかったようだ。

「必要は発明の母」というわけで、そこで文句ばかり言っているだけでなく、なんとか問題を解決するべく工夫をこらすのがヴィンセント・ベルの面白いところ。彼はギターと同じチューニングで、ギターと同じように演奏しながらもシタールの音を出すことができて、ホーンなど他の楽器に負けないよう電気的に増幅できるものをということで、1961年のベルズーキ以来関わりのあるダンエレクトロとともにエレクトリック・シタールを開発してしまったのであった。このような、ギター自体に手を加えて音を変えるというのは当時の発想で、今ならモデリングやシミュレーターのような感じでソフト的にやってしまうところだろうけどね。
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