ネイサン・ダニエルとダンエレクトロ小史(7)

2019-10-09 18:03:21 | Dano Column
これまでダンエレクトロの成長の背景にあった、一九五〇年代後半から一九六〇年半ばまで続いたエレクトリック・ギター・ブームはついに終焉を迎え、一九六七年頃からは全盛期の売り上げの二十五%ほどになり、廉価モデルを製造していたメーカーは大打撃を受けた。そのような中、ネイサン・ダニエルはMCAにダンエレクトロを売却した。一九六六年のことであった。彼にはブームの翳りが予測できていたが、最盛期には五百人以上の従業員を雇用し、毎日百五十本から二百本のギターを生産していたダンエレクトロの企業価値はまだ維持されていた。MCAの会長は実は買収に反対していたと言われているのだが、ネイサン・ダニエルが買収後も経営にかかわることを条件に買収は成立した。

MCAは Music Corporation of America といい、一九二四年、シカゴに設立されたタレント事務所であった。一九四〇年代からパラマウント映画、米デッカといったメディア事業を次々と買収していき、総合的なメディア企業として成長した。一九九〇年に松下電機産業に買収され、一九九五年にはシーグラムに買収され、一九九六年には社名をユニバーサル・スタジオに変更、一九九八年からはユニバーサル・ミュージックを発足させるといった事業展開を図っている。

MCAの買収後、一九六七年にダンエレクトロはコーラル・ブランドを新たに立ち上げ、セミ・アコースティック・ギターを中心としたラインアップで販売を進めたが、今までのような通信販売からギターショップでの販売に切り替えたことやギター・ブームの終焉も相俟って、MCAの販売戦略はうまくいかなかった。

MCAは一九六九年にダンエレクトロの工場を閉鎖し、ウィリアム・へリングという人物に二万ドルで売却したという。その後の事情は複雑で、ダン・アームストロングが登場し、この時期のダンエレクトロをめぐる問題に関わってくるのであった。

ダン・アームストロングは透明なアクリル・ボディとカートリッジ式で簡単に着脱できるピックアップを採用したギターであるルーサイトやオレンジ・スクイーザーというコンプレッサーの開発で知られているルシアーであるが、ダン・アームストロングとダンエレクトロの関係はというと、まず、ダンエレクトロをモディファイしたギターを製作したというところにある。

ダンエレクトロの工場が閉鎖された頃、ダン・アームストロングとネイサン・ダニエルは会ったことがあるという。ダン・アームストロングのショップにネイサン・ダニエルが訪れ、ちょうどダンエレクトロのギターを調整していたアームストロングの作業を静かに見つめていたというのである。

その後の事情は複雑である。ダン・アームストロングがウィリアム・へリングからダンエレクトロのボディと商標権を買い取ったとか、アームストロングは実際は何もせず、モディファイ品のためのピックアップを蝋づけしただけだったのだとか、Unimusicという会社が介在して、ダンエレクトロの残りの部品の購入を承諾し、アームストロングに楽器の改良を依頼したのだとか、様々に話は出てくるが、どれも裏付けが取れない話のようである。しかしながら、ダン・アームストロングが残ったパーツを使用してベースやギターを製作し、アンペグを通じて販売されたということは確かである。
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