mickey romance the next move?

2017-05-11 23:35:28 | Music Life
the mickey romance experiment


Mickey Romance について書くことはある意味とても簡単であり、ある意味とても難しい。なぜかといえば、彼自身がすでに多くのことを書き記しているからである。

例えばここに彼のツイートをまとめたものが2つある。

ツイートまとめ1(バンド編)

ツイートまとめ2(BIG BEAT編)

要するにこれらを読めば後は実際に彼の音楽を聴けばそれでいいのであって、それ以上加えることなど実は何もないのである。

これらを読んでわかることは、Mickey Romance にしても久留米に生まれ育った悪ガキたちの一人であり、バンドを始めるきっかけは「誰よりも目立ちたい」とか「女の子にモテたい」とかのありがちな理由だったり、コピーするのが面倒だから自分たちで曲を作ったとか、若気の至りを尽くしてライブ会場を出入り禁止になったりとか、武勇伝と呼ぶにはあまりに情けないようなことばかりやらかしてきたということである。こういった話は仲間同士でバンドを組んだ中高生にはよくありがちな話であり、さほど珍しいことではない。

だがしかし、そんな情けないバンド活動に、まるで映画のクライマックスのような、信じられないミラクルが起きるのである。

このようなエピソードに触れると、「やっぱり福岡は違うねえ、日本のロックの聖地だねえ」などと、その土地が持っている特殊性や空気感などについて語り始めてしまうが、もちろん、その土地が持つ力を否定するわけではないにせよ、まずは、音楽について語らねばならない。

久留米の悪ガキが何故に会場全体をシンガロングさせる楽曲を生み出し得たのか。その答の一つになるのが一人のレコード店主との出会いであろう。ファンタジックな世界に見られる「師匠と弟子」の物語が、余りある沢山のレコードを介して展開されてゆくのである。甘美でせつないポップスや呪いをかけられたロカビリー、そして情け容赦のないハードコアパンクまであらゆる音楽のエッセンスをそのワイズな嗅覚で嗅ぎ分けていきながら、久留米の悪ガキは Mickey Romance になっていくのである。

いくつかの紆余曲折を経てTEENAGE CONFIDENTIALが結成されたのは2002年。このとき彼は30歳を過ぎていた。FLAMIN GROOVIES の曲名に由来するこのバンドは2枚のアルバムを残したが、1stの「ROCK'N ROLL KISS」、2ndの「AFTER SCHOOL RENDEZVOUS」ともに、性急なビートと存分に鳴らし切られたギターサウンドとスタンダードナンバーになりうるようなポップでキャッチーなメロディーを備えた楽曲に満ちたこれらのアルバムは、日本のパンクロック/パワーポップ史に残る名盤である。このバンドがたった2枚しかアルバムを残し得なかったのはつくづく残念なことである。

  

TEENAGE CONFIDENTIAL解散後、Mickey Romanceはハードコアパンク界ではレジェンドであるthe swankys(私は知らなかった)の再結成ライブにあたり、サウンドディレクション的な役割を担うこととなる。本人の弁によれば、この体験がハードコアパンク人生で最も濃いものであったという。

その後は、mickey romance experimentやザ・センセーショナルズ、またはソロ名義であったり、The CleEmのギタリストとしてであったり音楽活動を続けてきたが、それらは今まで培ってきた自分のスタイルを打ち破ろうとする、まさに試行錯誤の連続であり、傍からは迷走とも取れるものであったかもしれない。そんな中、ロックンロールへの疑義であったり、いつまでも若い頃から変わろうとしないオヤジ連中に愛想をつかしたりで、今は音楽を捨てたかのように振る舞っているが、実は水面下で何かが始まろうとしているのかもしれない。

Mickey Romance 次の一手は?
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