勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

虎の尾

2007-06-15 01:46:43 | Weblog
虎の尾を踏む
 強暴な虎の尻尾を踏みつけることから連想して、たいへん危険なことを、虎の尾を踏むという。そんな虎の尾に似た花穂をつける植物、オカトラノオが美しい。
同じ場所で咲くオカトラノオの花穂はどれも同じ方向に伸びるという。



-とらのお-

スターになった気分でしたよ
山道で歌ったら
木漏れ日のスポットライに
谷川の生伴奏です

“虎尾草(とらのお)”という白い花が
ペンライトのように
ゆれていました

-星野富弘さん-

曲がった花穂の先端が反転気味になる姿が、絵画の虎の尾によく似ている。
 
◇ 虎にまつわる諺を集めてみました ◇

虎の威を借る狐

虎穴に入らずんば虎子を得ず

虎口(ここう)を脱する

虎口(ここう)を逃れて龍穴に入(い)る

虎は死して皮を留め(残し)人は死して名を残す

虎は千里行って千里帰る

騎虎の勢い

虎を描きて犬に類す


他にも慣用句に「虎視眈々」「虎の子」「前門の虎、後門の狼」「虎になる」「張り子の虎」etc. と虎に関する言葉は多い。  

親子

2007-06-14 00:23:12 | Weblog
上野不忍池でボートに乗る父子、弾む会話が聞こえてきそう。
 
 カイツブリの親は、水中に潜っては魚を取り、離れたところにいる3羽のヒナに食事を運ぶ。ヒナたちが岸に近寄ろうとすると、池の中央に追いやる。鳴き声をあげると黙らせる。

 向島百花園に生まれたカルガモの親子。3羽のヒナが孵ったが、2羽は外敵に襲われ1羽になってしまったそうだ。親ガモは子ガモのあとを黙って見守りながらついて歩く。

親思う心に勝る親心
 親の愛は海よりも深いという。福岡県で昨年8月、飲酒運転の乗用車に追突され海に転落し、幼児3人が水死した事故で罪に問われた被告の初公判があった。
 幼子のご両親は、手記に記している。
「いまだ事故当時のことを思うと、それだけで嫌な想いがよみがえってきて、恐怖と不安にかられてしまいます」
そして被告には極めて不満と、不信感を持っているという。

 あの可愛い3人のお子さんのことを思い、自分のことのように憤りを感じる。

 被告は、飲酒は認めたものの正常な運転が困難になるほどではなかったと、求刑の危険運転致死傷罪(最高20年)は否認した。(朝日新聞から)

 海に転落した被害者を助けもせず現場から逃げたうえ、身代わりを頼んだり、事故後に大量の水を飲み飲酒を隠そうとした被告。弁護側は業務上過失致死罪(5年)を主張しているという。

 飲酒運転を隠すため現場から逃げ、飲酒が立証されなければ、20年と5年の差が出て逃げ得になる。なんと不合理な法律だろう。
ひき逃げをすること自体が大きな罪として、飲酒運転以上の罪を科さなければ、ひき逃げを助長させるだけで、この法律は意味がないと思うのだが。

 報道によると、弁護側も事実を捻じ曲げてまで罪を軽くしようとしている節がうかがえる。弁護ってそういうものなのだろうか。そうして裁判に勝利して、弁護士は正義感に酔えるものなのか。僕の愚鈍な頭では理解できない。

 このご両親、多くの励ましの一方で、ネット上でいわれのない中傷も受けていたそうだ。これも許せない。
 

 危険運転致死傷罪で処罰されるべき泥酔運転者が、 事故を起こした後逃走し(ひき逃げ)呼気中のアルコール濃度が下がってから逮捕されたり、また逃走して車を隠したのち更に飲酒をしたり(事後にアルコール濃度を計測しても「事故時点までの飲酒」と「降車後の飲酒」のどちらが原因であるか判別できなくなる)、事故を起こした後に大量の水を飲んで血中アルコール濃度を下げるなどで証拠の隠滅を図ったりした場合などで、業務上過失致死傷罪のみにとどまる事例もあり、科されるべき刑事罰の重さを比較して「逃げ得」状態も発生しているという指摘もある。(Wikipediaより)
 

いずれあやめか?

2007-06-13 03:15:05 | Weblog
いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)
  菖蒲(あやめ)、杜若(かきつばた)ともにアヤメ科の草花で、紫・白の花をつけ、似ているため区別が難しいことから、いずれも優れていて甲乙つけがたいことをいう。
 花菖蒲が美しい季節である。ショウブハナショウブアヤメカキツバタハナショウブ、区別がつかない。 
 「あやめ」を文字変換すると「菖蒲」となる。ということは菖蒲(しょうぶ)と菖蒲(あやめ)は同じもの?
 どうも違うらしい。菖蒲湯に使うショウブは、朝廷の儀式や、端午の節句に薬用として使われるサトイモ科の植物である、と図鑑にある。
 菖蒲(あやめ)はアヤメ科アヤメ属で、古く平安朝の昔、ショウブをアヤメと言っていたが、江戸時代にショウブとアヤメが区別されたそうだ。
 では、花が咲く菖蒲(しょうぶ)はなんだろう。それをハナショウブといい、ノハナショウブを園芸種に改良したもので、赤紫の原種に比べて、白や薄い青紫、濃色の赤紫、絞りなど変化に富む。つまりショウブとハナショウブとは、まったく別のもの。 

 杜若(かきつばた)もアヤメ科アヤメ属で、アヤメは山地の乾いた草原に咲くが、カキツバタは水辺を好む。
 ハナショウブとカキツバタの違いは、ハナショウブの花びらには明確な黄班が入いっているが、カキツバタには入っていない。
 ということで、調べた本人も結局はなんだかわからない。つまり、ショウブもハナショウブも、アヤメもカキツバタもすべて別のものだということだけわかった。

移り気

2007-06-12 03:22:07 | Weblog

-近道-

近道をしようとして
知らない家の庭に
入ってしまった

枯れた花と紫陽花の鉢ひとつ
作業服と子供服の洗濯物

欠けたガラスの陰から
内職らしいかすかな音
近道なんてありません

-星野富弘さん-


-移り気-

花びらに
落とした涙の
一滴(ひとしずく)
心変わりに泣き濡れた
恋の雫(しずく)か 嘆きの露か
涙に映る花の色
移りにけりな いたずらに
花の移り気
つゆ知らず
落ちた涙の
一滴(ひとしずく)


-ワスレナグサ-
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紫陽花の花言葉は「移り気」だそうです(マウスオンでご覧ください)
全国的に梅雨入りが遅れているらしい。
昨日は、朝からの雨は上がったが、紫陽花の花も葉も
そして虫までがうれしそうに生き生きとしていた。
今年の夏はラニーニャ現象で猛暑になるとか・・・♪
心配される水不足
梅雨の季節は鬱陶しいが、雨も降らないと困るようだ。

鳥越夜まつり

2007-06-11 02:57:25 | Weblog
台東区の鳥越神社例大祭は、都内随一といわれる千貫神輿が町を練り歩く勇壮な祭りである。
 昼過ぎまで雷雨に見舞われたが、夕方には晴れ間も覗き、あたりが暗くなる午後7時過ぎ、まつりのハイライト、40張の提灯に火を灯した提灯神輿が宮入をする。
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 夜の闇の中、高張り提灯に囲まれた神輿は、荘厳かつ幻想的な夜まつりを演出し、見るものを惹きつける。
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 一部には不心得な担ぎ手もいるため、神輿渡御のメインの沿道は高いフェンスで囲まれ、警察による物々しい警備で、見る側は興をそがれる思いもするが、そんなことは気にせず、充分まつりの雰囲気を楽しんできた。

 町会の総代は、先祖から受け継いだ祭りを絶やさないためにも、警察に頼らず、フェンスのない本来の祭りに戻すための協力を呼びかけているが・・・。

 今回は、かわいいサプライズを2枚用意しました。

バラ色は何色?

2007-06-10 04:35:58 | Weblog
あなたのイメージするバラ色は、どんな色ですか?

 僕にとってのバラ色とは、濃い目のピンク色。そして誰もが同じ色をイメージしているものと信じて疑わなかった。ところがである、ある人にバラ色を尋ねてみると、「濃い赤」と答えた。

エェ~!
そんなバカな。
他の人にも聞いた。
えんじ色。
うそでしょ?

 何人かに尋ねたが、皆それぞれに違うイメージを持っている。十人十色というけれど、バラ色にもこんなに違いがあるとは大きな驚きである、と共に大きな発見である。

 調べてみましたばら色。こちら をご覧ください。17番が薔薇色です。これも僕のイメージよりはちょっとだけ濃い。あなたがイメージしていたバラ色、教えてください。

高慢

2007-06-09 02:42:29 | Weblog
すかしゆり
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マウスオンでどうぞ


ブラインドのすき間から
さし込む朝の光の中で
二つめのつぼみが六つに割れた
静かに反り返ってゆく花びらの
神秘な光景を見ていたら
この花を描(か)いてやろう
などと思っていたことを
高慢に感じた
「花に描かせてもらおう」
と思った

-星野富弘さん-


 僕はよく、星野富弘さんの詩を取り上げる。星野さんはご存知のように、中学校の教師として赴任後2ヶ月足らずで、クラブ活動中に頚椎損傷を負い、首から下の運動機能を失う。寝たきりの闘病の中、口に筆をくわえて詩画を描くようになり、詩画集をはじめ多くの著書を出版する。


 そんな富弘さんの何気ないつぶやきには、彼の眼だから見える、はっ、とさせられるような出会いがある。絶望の中から、生きる希望を見出した彼のやさしい言の葉に、時には高慢な自分を発見し、時には生きる指針を教えられ、花に託した命の声が聞こえてくる。
これからも折に触れ、彼の言の葉を心の杖として、我が身の支えにしたいと思うのです。

赤い宝石

2007-06-08 02:46:15 | Weblog
赤い宝石と呼ばれるサクランボの季節がやってきた。

『さくらんぼ』

さくらんぼに 空が映る
麦畑を駆けて来た風が映る
洟(はな)を垂らした子供が映る
坂道を登るお葬式が映る
酔っ払いが映る
円(まる)くなった世界が移る
さくらんぼに
さくらんぼが映る

-星野富弘さん-
 さくらんぼは、さくらんぼの木になる、当たり前のことである。産地ではさくらんぼのことを桜桃(おうとう)と呼び、温度変化や日照時間など、気候の変化を受けやすく、大変デリケートな果実だという。昔、さくらんぼ酒を漬けてみた。甘いだけで味はいまいち。やはり梅酒には適わない。さくらんぼに目のない僕は、生で食べるのが一番美味い。それも軽く塩を振って食べるのが好き。
 春にはその開花に一喜一憂した墨田公園のソメイヨシノは葉を繁らせ、川面を駆けて来た初夏の風に揺れている。あれほど美しく咲き誇って、我々の眼を楽しませてくれた桜の木も、今は誰も見向きもしない。
 ふと見上げると、黒い実に混じって、真っ赤な実が揺れている。エッ、これはさくらんぼ?食べてみたが、酸っぱいだけで美味くない。さくらんぼはさくらんぼの木になる。桜の木になる実はなんだろう?それはただの桜の実?
画像はすべて、桜の木になった実です。それをさくらんぼとは呼ばないようです。
 

サギ

2007-06-07 04:05:04 | Weblog
 一般的に「シラサギ」と呼ばれ、日舞では「鷺娘」、お城では「白鷺城」などと、美しさの代名詞にもなっている鷺。浅草には「白鷺の舞」の行事もある。
 鷺の中でも最も大きいダイサギの長い足と首、そしてくちばしで、ゆっくりと水の中を歩きながら餌を探す姿は優雅である。
 『鷺は洗わねどもその色白し』 ともいわれ、人の運命も生まれたときから定まっている、ということわざもある。
 また、『鷺を烏(からす)と言いくるめる』 ともいい、道理を押し曲げてでも自説を主張することにもたとえられる。
 国会では社会保険庁の年金問題が大きく取り上げられている。国民の年金をずさんな管理と、身勝手な運営で国民を欺いてきた。これを『詐欺』と呼ばずに何と呼べばいいのだろう。
5千万件が宙に浮いているという。日本の人口は、2005年3月末の時点で1億2686万9397人であったそうだ。数字の上では、人口の半数近くの年金が不明なわけだ。
 詐欺は犯罪である。Wikipediaによると、『詐欺罪とは、人を欺いて財物を交付させたり、財産上不法の利益を得ること、または他人にこれを得させることにより成立する犯罪のこと。日本では刑法に規定されている。未遂も罰せられる』 とある。彼ら責任者の行為が犯罪でなくていいのだろうか?
真っ白な美しい姿の鷺も、真っ黒な社保庁の引き合いにだされ、怒っているかな。

泰山木

2007-06-06 02:35:24 | Weblog

 一昨日、上野公園を歩いた。漂う甘い香りに見上げると、繁った木々の中にひときわ大きくて、真っ白い花を見つけた。木もまた大きい。今ごろ木蓮?いや、木蓮はこんなに葉が繁るはずがない。調べようと思ったが、きっかけがない。
昨日、正子さんのコメントで、庭の「たいさんぼく」がまだ咲(わら)わない、とおっしゃっていた。ぼくは膝をたたいた。富弘さんの詩にあった「たいさんぼく」はこれかもしれない。

 調べてみると、やはりモクレン科モクレン属、常緑高木で花は芳香あり、と出た。花期は6月~7月はじめ頃、梅雨空に似合う花だそうだ。
「泰山」は、大きくて高い山。だから「泰山木」。「大山木」とも書くそうだ。


『たいさんぼく』

ひとは 空に向かって寝る
寂しくて 空に向かい
疲れきって 空に向かい
勝利して 空に向かう

病気の時も
一日を終えて床につく時も
あなたがひとを無限の空に向けるのは
永遠を見つめよといっているのでしょうか

ひとは 空に向かって寝る

-星野富弘さん-


今宵も空に向かって寝よう、永遠を見つめながら。  


Good-night





花わらう

2007-06-05 09:01:36 | Weblog
 草花に関する漢字は草冠が付くものが多い。花・華・葉・茎・芽・蕾・蕊(しべ)、みな草冠が付く。しかし、花の蕾が開くという意味の『咲』 という字は、花に関係するのに口偏である。何故なのだろう。漢和辞典によると、「咲」という漢字の意味は、「わらう、えむ」とある。「咲」は本来「わらう」という意味の漢字だったらしい。
蕾が開くことを「花わらう」と表現したことから、「咲く」という意味に変化したのだそうだ。
 笑いの効用がいわれて久しい。笑うことによって、がんに対する防御機能を持つといわれるNK細胞が増えるという。
 うっとうしい梅雨の季節も、おおいに笑って、健康で花のように美しく咲こうではありませんか。

寸陰惜しむ

2007-06-04 00:57:22 | Weblog
 朝顔は早朝に咲き昼前にしぼむ。しかし昼顔は午前10時頃に花が開き、夕方に閉じるという。夕方に花を咲かせ、翌朝にしぼむ夜顔(よるがお)もあるそうだ。また、同じように夕方に花が咲き翌朝しぼむ夕顔は別科で、かんぴょうの原料になる。同じ顔でも人も花も、様々な顔があって面白い。

『昼顔』

雑草と呼ばれている草だけれど
一日で終る花だけれど
手をぬいているところがあるか

今日が一生
昼顔の花

-星野富弘さん-


『偶成』

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘(ちとう)春草の夢
階前の梧葉 已(すで)に秋聲

-朱 熹-
 

こちら でこの漢詩の意味と吟詠を聞くことができます。

 若い頃、去年と今年と来年に違いがあるとは思わなかった。同じように年が過ぎ、同じように年が来る、そう思っていた。60歳を過ぎてから、去年と今年という年が、まったく違う事を知った。一年一年が、いや、一日一日がより大切になった。

猫に紫陽花

2007-06-03 00:06:02 | Weblog
 6月に入り梅雨も間近、紫陽花も美しさを増してきた。紫陽花には猫が似合う、と言った人はいないと思うが、猫に小判ならぬ、猫に紫陽花はお似合いかもしれない。
 『猫に小判』『豚に真珠』『馬の耳に念仏』『犬に論語』さらに『馬耳東風』『犬に念仏猫に経』などと役に立たない、無駄なことを表す諺も多い。さしずめ「勿忘草に一眼レフカメラ』といったところだろうか。

 ところで「猫糞」の読み方をご存知でしょうか?
意味は、猫は自分の糞を足で砂などをかけて隠すことから、悪事を隠して知らないふりをすること。特に拾った金を黙って自分のものにしてしまうこと。

 そうです、これは「ネコババ」と読むそうです。PCで「ねこばば」を変換してみてください。

生き方上手

2007-06-02 00:37:42 | Weblog
はたして幸福とはなんでしょう。

 95歳を越えた現役の医師、日野原重明さんは、著書「生きかた上手」のなかで、スイスの哲学者、カール・ヒルティの『眠られぬ夜のために』の一節を引用してこういっている。

 「人生の幸福は、困難に出合うことが少ないとか、まったくないとかいうことにあるのではなく、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある」

 若いころ、自分に投げかけられた言葉のように感じ、励まされ支えられた言葉だそうだ。

 さらに歳を重ね、今もしっくりなじむ言葉に出合ったのが、アウシュビッツ強制収容所での日々をつづった、ユダヤ系オーストリア人の精神医学者ヴィクトール・E・フランクルの著書『夜と霧』の中にある次の言葉だそうだ。

「しあわせは決して目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果に過ぎないのです」

 小学生のとき『青い鳥』のチルチルを演じた彼は、「しあわせは外にではなく、心の内にある」という台詞を今もそらんじているという。

 昨夜来の雨もやんだ6月初日の午後、青空の下を行く人々の姿は、皆、幸福そうで、見ている僕まで幸福な気分になった。

単位

2007-06-01 01:52:39 | Weblog
 若い人たちの数の数え方がおかしい。歳を1個、2個と数え、割箸や箸を一本、二本、あるいはひとつ、ふたつと数える。
 
 我が家の隣にコンビニがある。PCに夢中になり、食事の支度がおろそかになることもしばしば。不本意ながらそんな時よく利用している。数品の食料を買い、レジに行くと「箸は何膳にしますか?」と、ちょっとたどたどしい日本語で聞かれた。中国から来ている人のようだった。思わず僕は「ひとつ」と答えた。

 外国から来た人が正しい日本語を使っているのに、若者を嘆いている僕が、何十年も日本人として生きて来て、無意識にその若者と同じ間違いをしている。そんな自分が恥かしくなった。
<
 我が家の箸置きです