勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

枯れてなお

2007-03-17 00:23:08 | Weblog
 寒の戻りというのだろうか、暖冬といわれたこの冬もやはり寒い日が来た。都心では、この冬初めての雪が降り、記録が残る131年間で最も遅い初雪が観測されたという。残念ながら僕は見ることができなかったが。

-ねこじゃらし-

生きていて強く
枯れてなお
あたたかな野の草

老いることの
大切さを思う
枯れることの
美しさを思う

ー星野富弘さんー

 暑い日があって、寒い日がある。寒い季節が来て、暖かい季節が来る。そうして時は流れ人は老いていく。寒は戻っても、若さは戻らない。

-吉田兼好・徒然草からー

かたちを改め、齢(よわい)を若くせよとにはあらず
拙(つたな)きを知らば、なんぞやがて退かざる
老いぬと知らば、なんぞ閑(しず)かに身を安くせざる
行い愚かなりとしらば
なんぞこれを念(おも)ふことこれにあらざる。

 衰えた容貌を替えろとか、歳を取り戻して若返れとか、無理をいうのではない。自らの衰えや、修行の怠惰を自覚したならば、一歩退くことも必要だ。行いの愚かなことは、原因は自分にあると自己批判しなさい。

 兼好は、強欲に引きずられることなく世の無常(死)を自覚せよ、といっている。その反面・・・

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは
雨に対(むか)ひて月を恋ひ
垂れこめて春の行方知らぬも
なほあはれに情け深し



よろずのことも、始め終はりこそをかしけれ
 
 桜の花は満開だけを、月は満月だけを見て楽しむべきものだろうか。そうとは限らない。物事の最盛だけを鑑賞することがすべてではない。

 何ごとにおいても、最盛そのものではなく、最盛に向かう始めと最盛を過ぎた終わりとが味わい深いものだ。ともいっている。(角川文庫・徒然草より)


 過ぎ去った時は戻らないが、記憶は残る。冬を越して枯れ、冷たい風にゆれるねこじゃらしの向こうに、かすかに見え隠れする遠い日の思い出に若き日が蘇る。

思い出の向こう側から
一人の少年が走ってくる
あれは白い運動靴を
初めて買ってもらった日の
私かも知れない
白い布に草の汁を飛び散らせながら
あんなにも
あんなにも嬉しそうに
今に向かって 走ってくる

-星野富弘さん-

 歳を重ねて思うことがある。若さゆえの無茶もあった。若いからできたこともあった。それらを含めて今がある。美しく老いることは難しい。しかし我がブログのタイトルの副題のように「一生感動一生青春」の心を持ち続け、気持ちだけは若くありたいと願い、若い方たちには、今できることを精一杯成し遂げることを勧めたい。若い時は二度と来ないのだから。
2007.03.17