小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

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山田辰夫

2009-07-27 19:20:20 | Weblog
俳優の山田辰夫が死んだ。ちょうど最近、You-Tubeで、彼のデビュー作「狂い咲きサンダーロード」を見つけたところだった。あれを昔、観た時には、生理的に二度と観たくない映画だと思った。非常にリアルで残酷だからである。はじめて彼を知ったのは、渡辺裕之主演の「オン・ザ・ロード」である。バイクの好きな青年の役だった。当然、役だけじゃなくバイク好きだろう。

「狂い咲きサンダーロード」はリアルで残酷である。彼は暴走族で敵のグループに電動ノコギリで、片手と片足を切断されてしまう。残酷である。その後の彼の演技も、とても観ていられないほどリアルで、残酷で、あれを観た後、数日は気分が悪くなった。ああいう映画は作らない方がいいと思った。少なくとも私は見た後、観ない方が、よかったと、つくづく思った。残酷すぎるので、少なくとも子供には見せない方がいいのではないだろうか。

だがラストは、敵に復讐し、義手義足の片手、片足でバイクで行く先も知れず走りだす、というオチで多少、救われた。

当時は、残酷で見たくないと思っていただけだが、今では違う。人間の残酷さをこそ、直視しなくてはならない、と思うようになったからである。作り物の映画だけではなく、人間は残酷である。

エロティシズムのニーチェと言われるバタイユの、神なきエロティシズムの哲学を決定づけたのは、中国の一枚の写真である。それは、罪を犯した青年が、裸にされ、木に縛られ、衆目の中、阿片を嗅がされて、痛みをなくされ、意識があるまま、死刑執行人が、まず片手を切断し、次に片足を切断していくのである。彼は意識があるから、切断された自分の手足を見せつけられる。非常に残酷である。バタイユは、あの状態にこそ、絶対者のないエロティシズムを見出した。あれも非常に残酷であるが、バタイユにとっては単なる残酷の享楽ではない。そもそも、エロティシズムというものには、絶対者がなくてはならず、絶対者に対する崇拝、あるいは、その逆の反抗がエロティシズムなのである。

三島由紀夫は、哲学者バタイユに非常に関心を持ったが、氏も絶対者とエロティシズムの関係に、強い興味を持っていた。氏がバタイユに関心を持つのは当然である。You-Tubeで三島由紀夫の発言などを見ると、非常にバタイユを連想させる。だが三島はバタイユを敬しつつも、氏の思想はバタイユと同じではない。氏のエロティシズムには、絶対者がどうしても必要だった。絶対者がなければ、無理にでも創り出さねばならなかった。さて、残酷に処刑された写真の青年であるが、彼が救われる方法は、笑う事である。彼を苦しめることが、衆人の期待する反応なのであるから、カントの言う因果律を破ってしまえばいいのである。
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