小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

トップアスリートどもは傲慢でおこがましい

2020-11-15 19:23:36 | 考察文
トップアスリートどもは傲慢でおこがましい。

よく、自然災害、などが、起こった時、プロスポーツ選手、や、トップアスリートどもは、「勇気を与えたい」、などと言っているけど、この発言は、傲慢で、おこがましく、僕には、ちゃんちゃら、おかしい。

彼らは、普段から、全力で、戦っているけど、「勇気を与える戦い方」、というは、いつもの、戦い方と違うのだろうか?

まったく、違いはない。

僕は、トップアスリート、や、プロスポーツ選手、から、「勇気」、を、もらったことなど、一度もない。

パラリンピックの選手からは、「ああ。障害があるのに、頑張っているなー」、と、何も言わなくても、勇気をもらっている。

その他、僕は、小説を書いているので、(死ぬまで書く)、膨大な量の、作品を、寝る間も惜しんで、書いている、小説家、の存在を、思うと、ファイトが沸く。

それは、何も、小説家に限らず、芸術家全般、その他、学者、研究者、など、頑張っている人間、全般に言える。

特に、病気をもって、病気と戦いながら、頑張っている人間からは、何も言わなくても、勇気を受ける。



とはいえ、トップアスリート、や、プロスポーツ選手でも、義援金を出す、選手は、立派だと思う。

(勇気は全くもらわないけどね)

小説家は、(すくなくとも僕は)、「もうこれでいいや」、という、「限界」、や、「満足感」、や、「達成感」、というものが無い。

小説家(芸術家、学者全般)、は、フロイトの言う所の、「死」、の願望などない。

少なくとも、僕は、そうである。

生きて生きて、生き抜いて、健康状態を保っていれば、小説が書けるのだ。

人間は、肉体は、老いても、精神活動は、老いない。

小説家に、「引退」、という言葉は無い。

宮沢賢治、石川啄木、その他、近代文学者、の多くは、若くして、死ななければ、その後、死ぬまで、小説を書き続けたのだ。

小説家が、小説を書けなくなるのは、死んだ時、だけである。

死んだ人間には、あらゆる精神活動が、出来なくなる。

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