小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ニューハーフ考察

2013-07-11 02:48:00 | 考察文
たまたまニューハーフの動画を見て、美しいニューハーフに魅力を感じた。

もしかすると、どんなに美しい女より、美しいニューハーフの方が魅力があるかもしれない。

まず性器の問題。男の性器は、はっきりと生殖器官として目に見えて、存在する。男の視点や男の感性から見れば、男のマラと金玉は、美しくなく、むしろグロテスクに見える。しかし、女の性器は、というと、・・・存在しないのである。女の性器は、男の性器を受け入れるための役割として、むしろ欠けている組織なのである。つまり女には性器がないのである。女の視点から見ると、はっきりと存在している男の性器は、非常に魅力的に見えるだろう。だから、フェラチオなんて行為は、男の視点から見ると、淫乱な女にだけ起こる汚い行為のように見えるが、女の視点からすれば、ぜひとも、やりたくて、仕方がないほどの欲求を起こさせるのである。

ここらへんのことは、古典精神分析学のフロイトの考察に近いが、確かに当たっている面があると思う。

そしてもう一つ。男には、どっしりとした不動の精神がある。もちろん女にも精神はあるが、男の精神と比較した場合、女の精神は、男のように、どっしりとした物ではなく、非常に軽い軽率な薄っぺらな物である傾向がある。(一応、学問的考察なので、女性差別、云々は言わないで頂きたいものである)

そして、これは感覚的なことなのだが、女の精神が薄っぺらな原因は、女には性器がなく、性器といわれているものは、単に閉じられた形をしているだけであって、体の欠けた穴であり、消化器官と同じように、精神が女の穴から入っても、それは体の中で、どっしりと、とどまることが出来なく、頭からつつ抜けに体外へ出て行ってしまうような感覚を感じさせる。というか、体に穴が開いているから、そこから精神が抜け出でしまう、ような感覚を起こさせる。

一方、男には、体に欠けた穴というものがないから、それが、精神を外へ逃がさず、どっしりと体内にとどまって存在しうるのである。

ちゃんとした性器を持っていて、どっしりとした精神を体内に持っていて、それでいて、外見だけは女と変わりなく美しければ、これは外見が美しいだけの女以上に、魅力的に見えるのは、当然ともいえる。

それと、もう一つは、(当たり前のことだが)、男でありながら女に変身している、という、まれな特殊能力を持っていることの魅力である。というか、男でありながら女のように美しい、という不可能なことを実現している事実に対する魅力である。

しかし、だからといって、美しいニューハーフが、恒久的に、美しい女より、魅力的でありつづけることは、あり得ない。当たり前のことだが、男同士では子供が生まれない。女の子宮は、男にとって、そこから生まれてきた、生命の故郷であり、苦しい時、男はそこへ戻りたい、という子宮回顧願望が起こり、そしてニューハーフには、本物の乳房が無い。乳房だけではなく、曲線美のある女の体がない。声もニューハーフでは女の声が出せない。というか存在しない。そして、精神にしても、よくもあしくも、長所欠点をあわせ持っていても、それが女の精神なのだから、それが女を女たらしめいてるのだから、男は、それを求め、受け入れるしかない。否。女の精神というものは、先天的なものもあるだろうが、多分に、女に生まれた、という生物学的条件によって形成されている、と見るべきだろう。

だから、美しいニューハーフの魅力は、一時的なものであって、結局は、男は女にしか魅力を感じられないのである。これは生物学的な宿命である。
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