大晦日に、シューティングの試合をやっていた。
シューティングの試合を見るのは、初めてだった。
興味が無いからである。
それと。見たくないからである。
女にもシューティングの試合がある、ということを知って、びっくりした。
あれは、やめよーぜ。
シューティングは、オープンフィンガーグローブ、をつけての、「顔面攻撃あり」の試合である。
当然、「顔面攻撃あり」、の試合では、グローブをつける。
素手での、格闘は、極真カラテのように、「パンチは顔面攻撃、禁止」である。
そんなことは、当たり前である。
素手で、「顔面攻撃あり」の試合をしたら、もう、殺し合い、である。
オープンフィンガーグローブにするのは、組みあい、関節技、が、出来るように、するためである。
顔面パンチあり、キックあり、組みあい、あり、の、シューティングという格闘技を、作ったのは、初代タイガーマスクの、佐山サトルだろう。
要するに、格闘に、極力、制限を減らし、より、ケンカに、近い、格闘技を求めた、ためだろう。
しかし、シューティングの、オープンフィンガーグローブは、ボクシングのグローブより、ずっと薄い。
それは、組みあい、の戦いを、有効にするためだが。
あの、薄いグローブでは、立って、打ち合う分には、(ボクシング同様)それほど、危険とは、見えないが、相手に馬乗りになって、殴るのは、危険きわまりない。
立って、殴り合う分には、相手は、ディフェンス出来る。
ダッキングや、ウィービングなどで。
そして、立って、殴り合う分には、パンチが当たっても、カウンターでない限り、有効なパンチは、なかなか、きまりにくい。
しかし。
相手に馬乗りになった状態で、殴るのは、危険きわまりない。
相手の顔は、マットで固定されているから、逃げようがなく、完全な、有効打であり、危険、きわまりない。
僕は、シューティングのルールを、よく知らないが、馬乗りの状態で、ひじ打ちをしたら、それこそ、殺し合い、である。
歯が折れ、鼻が折れる。
確かに、シューティングの試合は、ケンカに一番、近く、ストリート・ファイトになったら、シューティングの選手は、非常に強いだろう。
☆
ブルース・リーは、「燃えよドラゴン」の、オープニングで、オープンフィンガーグローブを使って、サモ・ハン・キン・ポ、と、シューティング的な試合いをしている。
では、ブルース・リーが、求めたものは、シューティングなのか?
それは、絶対、違う。
シューティングは、ルールを決めた、スポーツであり、ブルース・リーが、追及したのは、スポーツではなく、ルールの無い、ストリート・ファイト(ケンカ)である。
だから、ブルース・リーは、練習で、眼突き、や、金的攻撃、まで、練習している。
(もちろん、本気でやることは出来ないから、あくまで、練習である)
「燃えよドラゴン」の、オープニングの、オープンフィンガーグローブを使っての、シューティング的な試合い、は、より、実戦(ルールなしのケンカ)を、練習するために、やっていることである。
決して、それが、目的ではない。
ブルース・リーが、求めたものは、ルール無しの、ストリート・ファイト(ケンカ)であり、武術である。
☆
まあ、女のシューティング選手も、(僕には、さっぱり、その心理が、わからないが)、やりたい、と、自分の意志で、やっているのだから、禁止することは、出来ないが。
僕は、ああいう試合は、見たくない。
古代ローマでは、奴隷制があり、奴隷は、コロシアムで、観客(市民)の見世物として、死ぬまで戦わされた。
観客(市民)にとっては、それが、面白くて仕方がない、見世物だった。
それが人間性なのだ。
てめえ、は、格闘も、運動も、全く、しないで、醜く腹が出た、モヤシのくせに、「やれ。やれー」、なとどいう、下等な、ヤツらの神経が僕には、全く理解できない。
☆
また。
シューティングの試合は、美しくない。
シューティング選手は、ケンカにも、強いだろうが、シューティングの試合は、美しくない。
タイ式ボクシングでも、相手をつかんでの、膝蹴り、は、(僕は)、なくした方がいいと思っている。
その方が、パンチと、キックだけに、専念した格闘になるから、パンチと、キックと、そのディフェンスの技術が、より、研ぎ澄まされ、より美しい格闘となると思う。
ボクシングは、パンチだけに、限定した格闘技であり、条件を限定した方が、格闘の技術が洗練される、のである。
だから、ボクシングのテクニックは、非常に、高等なテクニックなのである。
一方、シューティングのように、格闘の、条件を無くせば、無くすほど、テクニックの定石が無くなり、テクニックの体系というものが、なくなってしまう。
なので、戦闘が、グチャグチャになってしまう。
たとえば。
テコンドーは、フット・ボクシングというほど、足技の技術が、見事である。
もう、ほとんど、足だけで、戦っているからである。
それに比べると、日本の、ポイント制の、空手、は、パンチとキックを、両方、使っていい、というルールだから、結果、キックが少なくなり、キックの技術が、落ち、パンチだけ、の攻撃になっている。
☆
ボクシングにしたって。
国際式ボクシングと、キックボクシングの、パンチの威力、パンチのテクニックは、国際式ボクシングの方が、圧倒的に、優れているのだ。
攻撃を、パンチだけに限定しているからだ。
一方、キックボクシングは、パンチとキックのコンビネーションで戦う、格闘技だから、パンチの威力や技術は、国際式ボクシングの、パンチに比べると、はるかに劣る。
これは、どんなスポーツでも言えることであって、もし、サッカーを、手も使っていい、というルールにしたら、どうなるか?
グチャグチャになって、とても、見れたものではなくなってしまう。
シューティングの試合を見るのは、初めてだった。
興味が無いからである。
それと。見たくないからである。
女にもシューティングの試合がある、ということを知って、びっくりした。
あれは、やめよーぜ。
シューティングは、オープンフィンガーグローブ、をつけての、「顔面攻撃あり」の試合である。
当然、「顔面攻撃あり」、の試合では、グローブをつける。
素手での、格闘は、極真カラテのように、「パンチは顔面攻撃、禁止」である。
そんなことは、当たり前である。
素手で、「顔面攻撃あり」の試合をしたら、もう、殺し合い、である。
オープンフィンガーグローブにするのは、組みあい、関節技、が、出来るように、するためである。
顔面パンチあり、キックあり、組みあい、あり、の、シューティングという格闘技を、作ったのは、初代タイガーマスクの、佐山サトルだろう。
要するに、格闘に、極力、制限を減らし、より、ケンカに、近い、格闘技を求めた、ためだろう。
しかし、シューティングの、オープンフィンガーグローブは、ボクシングのグローブより、ずっと薄い。
それは、組みあい、の戦いを、有効にするためだが。
あの、薄いグローブでは、立って、打ち合う分には、(ボクシング同様)それほど、危険とは、見えないが、相手に馬乗りになって、殴るのは、危険きわまりない。
立って、殴り合う分には、相手は、ディフェンス出来る。
ダッキングや、ウィービングなどで。
そして、立って、殴り合う分には、パンチが当たっても、カウンターでない限り、有効なパンチは、なかなか、きまりにくい。
しかし。
相手に馬乗りになった状態で、殴るのは、危険きわまりない。
相手の顔は、マットで固定されているから、逃げようがなく、完全な、有効打であり、危険、きわまりない。
僕は、シューティングのルールを、よく知らないが、馬乗りの状態で、ひじ打ちをしたら、それこそ、殺し合い、である。
歯が折れ、鼻が折れる。
確かに、シューティングの試合は、ケンカに一番、近く、ストリート・ファイトになったら、シューティングの選手は、非常に強いだろう。
☆
ブルース・リーは、「燃えよドラゴン」の、オープニングで、オープンフィンガーグローブを使って、サモ・ハン・キン・ポ、と、シューティング的な試合いをしている。
では、ブルース・リーが、求めたものは、シューティングなのか?
それは、絶対、違う。
シューティングは、ルールを決めた、スポーツであり、ブルース・リーが、追及したのは、スポーツではなく、ルールの無い、ストリート・ファイト(ケンカ)である。
だから、ブルース・リーは、練習で、眼突き、や、金的攻撃、まで、練習している。
(もちろん、本気でやることは出来ないから、あくまで、練習である)
「燃えよドラゴン」の、オープニングの、オープンフィンガーグローブを使っての、シューティング的な試合い、は、より、実戦(ルールなしのケンカ)を、練習するために、やっていることである。
決して、それが、目的ではない。
ブルース・リーが、求めたものは、ルール無しの、ストリート・ファイト(ケンカ)であり、武術である。
☆
まあ、女のシューティング選手も、(僕には、さっぱり、その心理が、わからないが)、やりたい、と、自分の意志で、やっているのだから、禁止することは、出来ないが。
僕は、ああいう試合は、見たくない。
古代ローマでは、奴隷制があり、奴隷は、コロシアムで、観客(市民)の見世物として、死ぬまで戦わされた。
観客(市民)にとっては、それが、面白くて仕方がない、見世物だった。
それが人間性なのだ。
てめえ、は、格闘も、運動も、全く、しないで、醜く腹が出た、モヤシのくせに、「やれ。やれー」、なとどいう、下等な、ヤツらの神経が僕には、全く理解できない。
☆
また。
シューティングの試合は、美しくない。
シューティング選手は、ケンカにも、強いだろうが、シューティングの試合は、美しくない。
タイ式ボクシングでも、相手をつかんでの、膝蹴り、は、(僕は)、なくした方がいいと思っている。
その方が、パンチと、キックだけに、専念した格闘になるから、パンチと、キックと、そのディフェンスの技術が、より、研ぎ澄まされ、より美しい格闘となると思う。
ボクシングは、パンチだけに、限定した格闘技であり、条件を限定した方が、格闘の技術が洗練される、のである。
だから、ボクシングのテクニックは、非常に、高等なテクニックなのである。
一方、シューティングのように、格闘の、条件を無くせば、無くすほど、テクニックの定石が無くなり、テクニックの体系というものが、なくなってしまう。
なので、戦闘が、グチャグチャになってしまう。
たとえば。
テコンドーは、フット・ボクシングというほど、足技の技術が、見事である。
もう、ほとんど、足だけで、戦っているからである。
それに比べると、日本の、ポイント制の、空手、は、パンチとキックを、両方、使っていい、というルールだから、結果、キックが少なくなり、キックの技術が、落ち、パンチだけ、の攻撃になっている。
☆
ボクシングにしたって。
国際式ボクシングと、キックボクシングの、パンチの威力、パンチのテクニックは、国際式ボクシングの方が、圧倒的に、優れているのだ。
攻撃を、パンチだけに限定しているからだ。
一方、キックボクシングは、パンチとキックのコンビネーションで戦う、格闘技だから、パンチの威力や技術は、国際式ボクシングの、パンチに比べると、はるかに劣る。
これは、どんなスポーツでも言えることであって、もし、サッカーを、手も使っていい、というルールにしたら、どうなるか?
グチャグチャになって、とても、見れたものではなくなってしまう。