小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

女のシューティング

2017-01-02 03:05:26 | Weblog
大晦日に、シューティングの試合をやっていた。

シューティングの試合を見るのは、初めてだった。

興味が無いからである。

それと。見たくないからである。

女にもシューティングの試合がある、ということを知って、びっくりした。

あれは、やめよーぜ。

シューティングは、オープンフィンガーグローブ、をつけての、「顔面攻撃あり」の試合である。

当然、「顔面攻撃あり」、の試合では、グローブをつける。

素手での、格闘は、極真カラテのように、「パンチは顔面攻撃、禁止」である。

そんなことは、当たり前である。

素手で、「顔面攻撃あり」の試合をしたら、もう、殺し合い、である。

オープンフィンガーグローブにするのは、組みあい、関節技、が、出来るように、するためである。

顔面パンチあり、キックあり、組みあい、あり、の、シューティングという格闘技を、作ったのは、初代タイガーマスクの、佐山サトルだろう。

要するに、格闘に、極力、制限を減らし、より、ケンカに、近い、格闘技を求めた、ためだろう。

しかし、シューティングの、オープンフィンガーグローブは、ボクシングのグローブより、ずっと薄い。

それは、組みあい、の戦いを、有効にするためだが。

あの、薄いグローブでは、立って、打ち合う分には、(ボクシング同様)それほど、危険とは、見えないが、相手に馬乗りになって、殴るのは、危険きわまりない。

立って、殴り合う分には、相手は、ディフェンス出来る。

ダッキングや、ウィービングなどで。

そして、立って、殴り合う分には、パンチが当たっても、カウンターでない限り、有効なパンチは、なかなか、きまりにくい。

しかし。

相手に馬乗りになった状態で、殴るのは、危険きわまりない。

相手の顔は、マットで固定されているから、逃げようがなく、完全な、有効打であり、危険、きわまりない。

僕は、シューティングのルールを、よく知らないが、馬乗りの状態で、ひじ打ちをしたら、それこそ、殺し合い、である。

歯が折れ、鼻が折れる。

確かに、シューティングの試合は、ケンカに一番、近く、ストリート・ファイトになったら、シューティングの選手は、非常に強いだろう。




ブルース・リーは、「燃えよドラゴン」の、オープニングで、オープンフィンガーグローブを使って、サモ・ハン・キン・ポ、と、シューティング的な試合いをしている。

では、ブルース・リーが、求めたものは、シューティングなのか?

それは、絶対、違う。

シューティングは、ルールを決めた、スポーツであり、ブルース・リーが、追及したのは、スポーツではなく、ルールの無い、ストリート・ファイト(ケンカ)である。

だから、ブルース・リーは、練習で、眼突き、や、金的攻撃、まで、練習している。

(もちろん、本気でやることは出来ないから、あくまで、練習である)

「燃えよドラゴン」の、オープニングの、オープンフィンガーグローブを使っての、シューティング的な試合い、は、より、実戦(ルールなしのケンカ)を、練習するために、やっていることである。

決して、それが、目的ではない。

ブルース・リーが、求めたものは、ルール無しの、ストリート・ファイト(ケンカ)であり、武術である。



まあ、女のシューティング選手も、(僕には、さっぱり、その心理が、わからないが)、やりたい、と、自分の意志で、やっているのだから、禁止することは、出来ないが。

僕は、ああいう試合は、見たくない。

古代ローマでは、奴隷制があり、奴隷は、コロシアムで、観客(市民)の見世物として、死ぬまで戦わされた。

観客(市民)にとっては、それが、面白くて仕方がない、見世物だった。

それが人間性なのだ。

てめえ、は、格闘も、運動も、全く、しないで、醜く腹が出た、モヤシのくせに、「やれ。やれー」、なとどいう、下等な、ヤツらの神経が僕には、全く理解できない。



また。

シューティングの試合は、美しくない。

シューティング選手は、ケンカにも、強いだろうが、シューティングの試合は、美しくない。

タイ式ボクシングでも、相手をつかんでの、膝蹴り、は、(僕は)、なくした方がいいと思っている。

その方が、パンチと、キックだけに、専念した格闘になるから、パンチと、キックと、そのディフェンスの技術が、より、研ぎ澄まされ、より美しい格闘となると思う。

ボクシングは、パンチだけに、限定した格闘技であり、条件を限定した方が、格闘の技術が洗練される、のである。

だから、ボクシングのテクニックは、非常に、高等なテクニックなのである。

一方、シューティングのように、格闘の、条件を無くせば、無くすほど、テクニックの定石が無くなり、テクニックの体系というものが、なくなってしまう。

なので、戦闘が、グチャグチャになってしまう。

たとえば。

テコンドーは、フット・ボクシングというほど、足技の技術が、見事である。

もう、ほとんど、足だけで、戦っているからである。

それに比べると、日本の、ポイント制の、空手、は、パンチとキックを、両方、使っていい、というルールだから、結果、キックが少なくなり、キックの技術が、落ち、パンチだけ、の攻撃になっている。



ボクシングにしたって。

国際式ボクシングと、キックボクシングの、パンチの威力、パンチのテクニックは、国際式ボクシングの方が、圧倒的に、優れているのだ。

攻撃を、パンチだけに限定しているからだ。

一方、キックボクシングは、パンチとキックのコンビネーションで戦う、格闘技だから、パンチの威力や技術は、国際式ボクシングの、パンチに比べると、はるかに劣る。

これは、どんなスポーツでも言えることであって、もし、サッカーを、手も使っていい、というルールにしたら、どうなるか?

グチャグチャになって、とても、見れたものではなくなってしまう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする