何か、You-Tube 、で、変な関連動画があらわれた。
数日前に、ニュースで見た、世界的に、流行っている、「ピコ太郎PPAP」、とかいう、やつだ。
もちろん、僕は、こんな、バカバカしいのは、絶対、見ない。
もちろん、僕も、一度は、見てみたい、小さな誘惑にかられる。
思わず、口ずさんでしまいたくなるような、単純な、歌詞とメロディーだ。
しかし、僕は、自分の意志で、見ないでいる。
こういうのは、バカげた(中毒性)がある。
(中毒性)というと、オーバーだが。
ちょうど、麻原彰晃の、「ショ、ショ、ショ、ショ、ショーコー。ショーコー。麻原ショーコー」、のメロディーと、同じようなものだ。
それは、自分で判断する意志がない、世間の流行に、受け身で、乗らされて、洗脳されてしまう、自我のない、人間が、好んで見たがる種類のものだ。
それによって、頭が冴え、勉強の効率が良くなったり、するのなら、いいが、あんなのは、むしろ害がある。
パチンコ、麻雀、スマホのピコピコゲーム。などのように、時間を無駄にするだけだ。
しかし、それが、人間性の一面でもあるのだ。
「大事は小事より起こる」、であり、小事に洗脳される者は、大事にも洗脳される、のであり、それが、ヒトラーを、無考えに、信奉してしまった、かつてのドイツ国民の心理に通じているのである。
これは、何らオーバーなことではない。
世間の人間は、ドリフター(漂流する者)なのである。
逆に、哲学者とは、世間の趨勢に対し、とどまって考える者、なのである。
数日前に、ニュースで見た、世界的に、流行っている、「ピコ太郎PPAP」、とかいう、やつだ。
もちろん、僕は、こんな、バカバカしいのは、絶対、見ない。
もちろん、僕も、一度は、見てみたい、小さな誘惑にかられる。
思わず、口ずさんでしまいたくなるような、単純な、歌詞とメロディーだ。
しかし、僕は、自分の意志で、見ないでいる。
こういうのは、バカげた(中毒性)がある。
(中毒性)というと、オーバーだが。
ちょうど、麻原彰晃の、「ショ、ショ、ショ、ショ、ショーコー。ショーコー。麻原ショーコー」、のメロディーと、同じようなものだ。
それは、自分で判断する意志がない、世間の流行に、受け身で、乗らされて、洗脳されてしまう、自我のない、人間が、好んで見たがる種類のものだ。
それによって、頭が冴え、勉強の効率が良くなったり、するのなら、いいが、あんなのは、むしろ害がある。
パチンコ、麻雀、スマホのピコピコゲーム。などのように、時間を無駄にするだけだ。
しかし、それが、人間性の一面でもあるのだ。
「大事は小事より起こる」、であり、小事に洗脳される者は、大事にも洗脳される、のであり、それが、ヒトラーを、無考えに、信奉してしまった、かつてのドイツ国民の心理に通じているのである。
これは、何らオーバーなことではない。
世間の人間は、ドリフター(漂流する者)なのである。
逆に、哲学者とは、世間の趨勢に対し、とどまって考える者、なのである。