「因縁」というのは、すべての物は寄り集まって唯、組み立てられただけの事なのです。
別の言葉で言えば、あらゆる条件が唯重なり合って全てが出来上がっているだけのことなのです。
それですからその中に永続的な「私(わたくし)」という固定的な変わらない物というような物は一つも存在しないのです。
しかしこの事だけが「不変」なのです。
ですから私たち衆生がどういう世界へ入って行っても「その世界(規則)」からいえば「無条件」であり「無条件同士」の組み立てられたものですから、元来「約束(規則)」の無いものなのです。
「約束(規則)」が無いものですから「自由」であるということです。
しかしここで「自由」であるということについて「問題」があるのです。
それはどういうことなのかというと、「自由」であると言うことについて先ず大半の人が、「それでは何をしてもよいではないか、勝手放題の事をしても差し支えないものじゃないか」ということを先ず先に考えるものです。
これが「我見」であり、おシャカ様も昔は有(在)ったのです。