活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

因縁果5

2020年06月02日 | 法理

私たち衆生の存在というのは、「私」という考え「心(しん)」によって観念的に自分自身を眺めているものに過ぎません。

 

したがってどんなにしても、本来の自分というものを自分自身で知(識)ることは出来ないのです。

 

私たち衆生にはそれぞれ固有名詞が付いていますが、みんな「因縁果」の集まった一つの物です。

 

一つに成っていますから区別する何物も有(在)りません。

 

そころがそういう話を聞いて「因縁果で作られている物が自分なのか」と、観念的に思うものです。

 

これは「妄想」に過ぎないのです。

 

しかし、「妄想」だと気が付かないほど世の中の一切が観念に因って作り上げられてしまいました。