「観念と事実」をはっきり自分自身で承知することです。
承知の出来ない人は「坐る(修行する)」ことに因って承知をして生活をしていきさえすれば「観念と事実」との違いが分かってきて、「法の生活が出来る」というのが仏教の教えです。
「心仏仏及衆生、是三無差別」というお言葉があります。
「心仏及衆生」とは心と仏と衆生と三つありますが「そのまま」で差別が無いという意味です。
一切目に見えるもの、聞こえるもの、世の中の現象は全部衆生ということです。
何故かというと「無自性(全てのものには自性がない)」だからです。
「無」というのは「有無の無」では有(在)りません。
仏教では比較する何物も無い物を「無」という言葉で言い表しています。
つまり「真実体」ということです。
「そのもの自体」を「無」といっているのです。