「人は本来迷っていない」ということを知(識)って、自心(自身の心)の外に悟りを求めてはいけないのです。
この「迷っていない」と言うことを知(識)ることを「悟り」といっています。
迷いとか悟りというのは仮の名前で、その本体は「無自性(自性が無い)」であるということを実証(自分自身で証明)しなければなりません。
「心外無仏法(心の外に仏道も仏法も無い)(今の外に仏道、仏法は無いということ)」です。
「人は本来迷っていない」ということを知(識)って、自心(自身の心)の外に悟りを求めてはいけないのです。
この「迷っていない」と言うことを知(識)ることを「悟り」といっています。
迷いとか悟りというのは仮の名前で、その本体は「無自性(自性が無い)」であるということを実証(自分自身で証明)しなければなりません。
「心外無仏法(心の外に仏道も仏法も無い)(今の外に仏道、仏法は無いということ)」です。