「無明」を取り除くにはどうするかというと、「此の物(自分自身)」には元来、条件は無いのですから、その条件の無い「此の物(自分自身)」に「自我を認める」と、どうすることも出来ないことになるのです。
ですから今度は逆に「人間(にんげん)の本質というものは本来固定した何も無いものが自分の本性(ほんしょう)であるということだ」と確定するのです。
これを「信決定(しんけつじょう)」といいます。
今度はそれを人生(生活)に対して自由により良い方向に「縁」をつくるのです。
「方向転換」をすればよいのです。
人間(にんげん)には「精神生活」をいう不思議な働きをする道具が具わっています。
それを上手に使うと、さきほど述べたような「道理」を理解することが出来るのです。
それが人間(にんげん)の「智慧、自覚」です。