その場所に「事実」は今現在あるのです。
それなのに苦しみが起きるのです。
その元を「無明」というのです。
「無明」とは自分が自分ではっきりしないということです。
「人とは何か、自己とは何か」と問われると、私たち衆生は考えれば考えるほど混乱して解らなくなるものです。
それは「考え方」が「事実」のように「錯覚」を起こすからです。
本気になってそのことを考える人達だったら居ても立ってもいられないようになると思います。
しかしそれをいくら考えてみてもどうしようもないのです。