妙体 2
2016年07月23日 | 禅
分かってみれば、迷っていることそれ自体が「妙体」なのです。
「事実」 なのです。
「事実というのは、真理の証明者だ」 と言われた人があります。
事実でありながら(自分のことでありながら)それがどんなにしても
肯定出来ないわけです。
肯定出来ないということもちゃんと分かっているわけです。
その上に何が分かりたいのかということになるではないですか。
分かってみれば迷いのままにすべてそれで事が済んでいるのです。
「事究竟(じくぎょう)」 といいます。
「戒」 のほうでいえば 「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」 と言います。
全部それぞれのままに 「脱落している」 ということです。