活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

妙体 1

2016年07月22日 | 

「妙体」 というのは、「摩訶不思議(まかふしぎ)」 とか色々名前がついていますが

固まりがないものということから 「認めるものがない」 ということをいっています。

 

「法」 としては、そういうものです。

しかし、「人(ひと)」 ということからいうと、どんなにしても

「ものがない」 ということは信じられないものです。

 

ですから、「法」 を求める上では三つの条件として

「大信根・大疑団・大奮志」 が欠かせない要訣だといわれています。

 

「大信根」 というのは、「衆生本来仏なり」 というのに、

「何とかして迷倒の衆生となる」 といわれた関山国師の御言葉が

生きてきます。

 

本来、仏であるといわれたのに何故(何とかして)、ここにひっかかるわけです。

「何とかして」 というと、何かありそうな気がするものです。

それでまた探し求めることになるわけです。

 

「迷倒の衆生となる」 というのは、「迷い」 とは何かということです。

何に迷っているのか、見るもの、聞くもの、感じることはちゃんと全部

「迷い」 から離れていることは 「知(識)って」 いるのです。

 

自分で迷っているということさえも、自分自身で 「知(識)って」 いるのに

決まりがつかないのです。

 

実に 「不思議」 なものです。