「一所懸命に仏道に帰依して、法に帰依して、わかってもわからなくても
何とか “この道” の為に精進していこう」
という、そういう姿勢にある人であれば、それは善、「善行(ぜんぎょう)を施している」
という人です。
しかし、はるか遠くに “この道” というものを眺めて、一向にそれに手を付けず
足を踏み入れないという人は、世の中でいう悪です。
ですから善悪の基準は、「ひたすらにこの法に親切であるか、不親切であるか」
という、そのことだけしかありません。
「一所懸命に仏道に帰依して、法に帰依して、わかってもわからなくても
何とか “この道” の為に精進していこう」
という、そういう姿勢にある人であれば、それは善、「善行(ぜんぎょう)を施している」
という人です。
しかし、はるか遠くに “この道” というものを眺めて、一向にそれに手を付けず
足を踏み入れないという人は、世の中でいう悪です。
ですから善悪の基準は、「ひたすらにこの法に親切であるか、不親切であるか」
という、そのことだけしかありません。