CORRESPONDANCES

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Josephine Baker

2013年09月14日 10時26分02秒 | 海外の放送

Du Caf’Conc’a la rive gauche
Joséphine Baker:
le vendredi 26 juillet 2013

Joséphine Bakerと孤児院の話は有名だが、Joséphine BakerがOSSのエージェント、スパイだったという話はそれほど知られてはいないだろう。楽譜に炙りだしインクで情報を書いて、情報伝達工作をしていたらしい。イギリスの作家サマセット・モームもスパイだったし女優のデートリッヒも同じくスパイ活動をしていたことがわかっている。変わったところでは日米親善野球に来たMoe Bergプロ野球選手のスパイだったと言われている。

Joséphine Bakerあたりになると、時代を感じさせてくれる。それで彼女のfilmを3本用意した。取りあえず置くので、時間のあるときにゆっくりお楽しみください。いろいろ感じるものがあると思います。当時アメリカはまだ黒人差別が激しく、彼女がレヴューの女王になれたのもParisという文化都市であればこその現象だったのではないでしょうか。
Joséphine Baker: The 1st Black Superstar

Chasing a Rainbow: The Life of Joséphine Baker
フランス人が最も身近に感じたアメリカは
ひょっとしたらJosephine Bakerを通してだったかもしれない。
異国でこれだけ自分を開花させた黒人は他にいないだろう。
人種差別と戦い苦戦しながらも地位向上に貢献したという点では
カシウス・クレイ(モハメッド・アリ)の偉大さに匹敵する。
夢を追い現実に挑戦し完璧に実現できなかったとは言え
夢の家族を手に入れた事実は、個人の夢としてだけでなく
人類史の夢へのチャレンジとしても大きな意義を残したのではないだろうか。
歌唱の実力もその向上ぶりは目を見張るものがある。
Zouzou (1934) - Josephine Baker Film

・・・・・追記:2013年9月11日・・・・・
Parisに到着して3日目、まだホテル暮らしをしている頃に現金、TC, Openの帰国航空券、パスポートなどをソックリひったくられて、手元に残ったのは10万円の日本円のTCのみという状況にあった。この先どうするか考える余地もない頃地下鉄の通路を通ったら、Josephine Baker死亡の号外が張り出されていた。それが新鮮な号外だったか何日も前に貼り付けられそのままになっていた古ぼけた号外だったのかは思い出せない。BOBINOに出演中に亡くなった。それが西暦何年の出来事か、だから私はよく覚えている。Josephine Bakerは既に過去の人でラジオで曲がかかることも滅多になかった。
夏にはジョー・ダッサンの「レテ・アンディアン」が大ヒットしマイク・ボランの「ディ・リュイ」は歌手がもうこの世にいないのにヒットパレードを賑わせていた。二度目の飛び降りで、思いを遂げて死んだ。
歌がうまくハンサムで若くてセクシィーで、何もかも思い通りのはずだったに違いないのに、何故死んだのだろう。イスラエル人なのだがイランのテヘランで歌っているところをシルビー・バルタン様御一行にスカウトされParisにやってきた。最初の曲から大人気、大スターである。モナコの王女様に失恋したとか噂を聞いたが、Dalidaを調べた時にはDalidaとも関係があったことを知った。女性は降る星のごとくに、魚の大群のごとくに彼に近づいてきた筈だ。キブツに住んでいた素朴な青年の目には全ての女性が幸運の女神、絶世の美女に見えたに違いない。勝手な想像だが、その全ての女性を相手にするには時間が足りなかった、そのことを深く悩んで、解決できないことに絶望して、自ら命を絶ったのではないかと思っている。冗談で言っているわけではない。そういう悩みも充分ありえると思う。

・・・・・追記:2013年9月15日・・・・・
Josephine Bakerと言えば日本で大ヒットした曲がふたつある。
どちらかを選べといわれたら、私はこちらをえらぶ。
Josephine Baker "La Petite tonkinoise" : 1930年
実はこちらのリバイバル 1920年代初め?
Esther Lekain " petite tonkinoise " 1953
創唱者はこの人 1906年
LA PETITE TONKINOISE - POLIN

La Petite Tonkinoise
:
ベトナムの歴史
French colonialism in Vietnam:
日本とベトナムの独立
「可愛いトンキン娘」が何故ベトナムの歴史と関係が
あるのかと思われるかもしれない。トンキンは東京と
書くがこれはハノイのこと。この曲は宗主国の人間が
植民地の娘を歌った歌であることがわかる。

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