CORRESPONDANCES

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謎多きNicole Louvier

2014年02月21日 13時07分43秒 | 歌手の紹介に関して

謎多きNicole Louvier:
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もうすぐgoo blogのmailが消滅する。本当はどこかに内容を移行しなければならないのだが、そんな時間もないし視力も無い。しかしまあ、ほんの少しだけ消える前に覗いてみようと、今日過去のメイルを開いてみた。
Mathieu RosazからのメイルのなかにNicole Louvierの声について、Jeanne Moreauと Bardotの声を足して2で割った、という表現があった。Louvierの「商人」と言う小説も探して読んでいるようだ。薮内久氏の本によるとこれはレコード業界の内部暴露本だったようだ。それで前から不思議に思っていることだが、ラジオやテレビで何度も作られるBarbaraの追悼番組に、どうして一切Mathieu Rosazがでて来ないのだろうか?フランスで無名だというなら、もっと無名な若手歌手も、男女を問わずいやほど出てくるではないか?

Planete BarbaraではNicole Louvierをかなり昔から取り上げている。Correspondancesに於いてだけでも以下のような過去記事がある。
Correspondances過去記事:Nicole Louvier
Nicole Louvierの専門のジャーナリストとしてHelene Hazeraがいますよと教えてくれたのもMathieu Rosazだった。

Nicole Louvier - Hélène- Dans chaque chambre
Nicole Louvier - Le vent de Nara - Sayonara:
そういえばNicole Louvierは第三作の小説「商人」発表する前に来日している。そして一ヶ月以上滞在しレコーディングまで日本でしている。この「奈良の風」と言う曲も、おそらくそのときの書き下ろしだと思われる。Damiaのように葦原氏や塚本氏に取り上げられるような歌手ではなかったので、おそらくブラッサンスを歌うフランス人歌手程度のふれこみだったのではないか。彼女のオリジナルで日本でヒットした曲は1曲もない。ブラッサンスのようにギターの弾き語りをするので、また歌い方もやや古風なので、当時の日本人にシャンソンとはこんな感じなのですよと、紹介させるためには、ギター一本でどこへでも行けて、(呼び屋)側としては、使いがってがよかったのだろう。Nicole Louvierとしては、ちょっとした恋の逃避行と言う感じで、異国日本を楽しんだようだ。1964年にディスク大賞を受賞しているが、それ以後はぷっつり闇に、というより沼に沈んでいる。時代が彼女を裏切ったというより、それまでの輝かしい15年間を時代が彼女に与えた、と言ったほうがより適切かもしれない。
1933年に生まれて2003年に亡くなっている。両親はポーランド系ユダヤ人、大二次世界大戦中はブルターニュ地方の農家に隠れていた。作家としてそして歌手として彼女が業界の脚光を浴びはじめたころ、ギターであれなんであれ、弾き語りで歌う女性歌手は存在せず、まして自作自演できる才能を持つ女性歌手も存在しなかった。Anne Sylvestreが自分に刺激を与えた歌手としてNicole Louvierの名前を出すのも当然だ。時代的に言っても、自作自演の先達としても、また同じ体験を経たユダヤ系歌手としても、Barbaraの意識の中にNicoe louvierが存在しなかったとは言いがたい。Barbaraは下積みが長く、Nicole Louvierはあっという間に脚光を浴びた。一人が最後までスターだったのに比べもう一人は途中で沼に沈んだ。たやすく手に入ったものに、人は執着も努力もしないからだ。Nicole Louvierに歌手としてBarbaraに比するような才能が無かったのも事実だが、書き手としてはSaganに比するような人気・才能が無かった、とは言えまい。



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