CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

Barbara論の誕生 ゲッチンゲン(2-2)

2016年01月29日 14時56分06秒 | Barbara関連情報

Barbara - und wer ist noch auf dem Foto?
Deutschlandradio Kultur  Barbara, Göttingen:
追記:2016年1月30日
上の写真に関して中祢氏からご連絡をいただいた。
資料には1964年と記されてはいるが本当は1967年のものらしい。
判定の根拠はMonsieur Kleinの顎鬚の有無。

・・・・・・・・・・・・・・・
Barbara論の誕生 ゲッチンゲン(2-2)

文字数過剰のため前ペイジに入りきれなかった、
註、の部分を以下に追記します。
・・・・・・・・・・・・・・

 7) 歌詞の表記はBarbara: Ma plus belles histoire d'amour, Lœuvre intégrale, Archiposche, 2000. pp.83-84. に依った。

 8) ibid., p.17.

 9) ibid.

 10) Barbara, Il était un piano noir... Mémoires interrompus, Fayard, 1998. なお,小沢君江氏による訳書(『一台の黒いピアノ… 未完の回想』,緑風出版,2013年)も参照したが,小論ではその訳文は借りず,筆者が訳した。小沢訳は,驚くほど初歩的なものから致命的なものまで,夥しい数の誤訳を含んでいるうえ,巻末の「訳者解題」における「捏造」も甚だしいからである。この点については,Bruxelles氏の徹底的な分析に基づく説得力ある批判(「Bruxellesが守れなかったBarbara」:http://blog.goo.ne.jp/correspondances/c/470863a6f52a899a97886cc0a79d300e)を参照。ちなみにBruxelles氏は小沢訳が出る9年前にこの部分をほぼ完全なかたちで翻訳している(「GOTTINGENの成立過程(1)~(3)」:http://musiccrosstalk.blog7.fc2.com/blog-entry-22.html)。Mémoires は,話の筋を組み立てた「未完の物語」(Récit inachevé)と,「記憶の断片」(Fragments)からなるが,前者はGöttingenの成立過程の記述で終わっている。バルバラはここを書きかけているときに急死したのである。

 11) バルバラが Göttingen を発表した1960年代半ば,フランスではホロコーストの時効をめぐる論議もあった。人類史上例のない犯罪に時効概念を適用することに仮借ない異議を唱えたV.ジャンケレヴィッチ(Vladimir Jankélévitch,1903-1985)は,「罪人が『経済の奇跡』によって肥満し,[…]富んでいるならば,許しなどは腹黒い冗談である。[…]自分たちの諸々の大罪を後悔することがあれほどに少なく,あれほどに稀な者たちを,どうしてわれわれは許すだろうか」と,ドイツ人を厳しい口調で糾弾している(「われわれは許しを乞う言葉を聞いたか?」吉田はるみ訳,『現代思想』[特集]和解の政治学,2000年11月,vol.28-13,78-88頁より抜粋)。エリゼ条約締結後も,ドイツ人に不信感を抱くフランス人は多かったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
参照:世界を変えた歌(2)中澤英雄(東京大学名誉教授)
参照:Goettingen: The song that made history:
・・・・・・・・・・・・・・・・・
参照:La Belle Dame Sans Publicité:
参照:Here are a few of the songs
featured in Radio 3's documentary:
・・・・・・・・・・・・・・・・・

 



最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。