CORRESPONDANCES

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//////////校正10回目//////////

2014年06月01日 11時19分11秒 | Bruxellesが守れなかったBarbara

「訳者あとがき」に特別にシャンソン通でもない、と出だしから断りがあったので、多少の内容の間違いにも鷹揚な対応をしてきた。バルバラの曲を初めから最後まで仮に一曲も歌えなくても、ラジオでBarbaraのマイナーな曲がかかっても、それがBarbaraと気づかなくても、徹底的に資料調査をすれば、翻訳に支障をきたすことはないだろうと思ってきた。翻訳家は翻訳家の範囲でBarbaraを訳せばいい。Barbaraの専門家じゃないのだから、仕方がないね、と笑って読めるだろうと思ってきたが、ここへ来て、論理の杜撰さが目につくようになった。

○例えば、「訳者解題」の最初のあたりに「バルバラは1996年に録音した、つきまとう場面、を最後に、(略)プレシー村の自宅に隠遁し、自らの喪に服しはじめ、本書を綴りつつ、衰弱した体を(略)」と書いてある。バルバラ自身の「まえがき」の部分には、「そのあと、(略)プレシーに帰った。それからの2年間、私は寂寞とした喪失感に襲われながら(略)人生の喪に服することになる」とある。「そのあと」とは人生最後の舞台のことだ。(参照:Music Cross Talk)1994年3月26日土曜日ToursのVinci、フランソワ1世ホール。つまり人生の喪は、1994年に始まっている。「訳者解題」では1996年「自らの喪に服しはじめ」と解説している。自分で訳しながら、意味内容を把握していないということだ。

○Barbara自身が書いた文章も、1994年3月26日、トゥールでの最後の公演を終えた夜の状態が書かれ、「わたしはひとりの幸せな女だった」で最後の筆を置いている(P.197)。その前には何度も中断され、取り消され、最終的に中止された1993年のシャトレ座の公演がある。Barbaraを紹介するにはこの最後の公演やシャトレを落とすわけにはいかない。ところが筆者紹介「バルバラ」のペイジには90年モガドール劇場で10週間のリサイタル、でそのあとが書かれていない。重要な舞台が抜け落ちているのである。これでは紹介にならない。

○「訳者解題」では文章を綴り始めたのも、1996年からのように書かれているが、Barbaraの兄弟が書いた「序」の最初の行に「書き出したのは1997年の春のことです」と訳されている。訳者が「訳者解題」に取り掛かる頃には、自分が訳した内容が、ほとんど頭から抜け落ちていたことになる。

○戻って、喪がいつから始まったかについて言うと、1994年3月26日からである。Barbaraが2年間と書いているのはなぜかというと、活動を休止していたBarbaraが2年後の1996年に突如最後のスタジオ録音のCD制作に取り掛かるからである。つまり喪を破ったのが、1996年のアルバムであり、このアルバムのあと喪が始まったとするのは、完全な取り違えである。喪の再開とでも言えば、言い逃れ可能なのだが。

○論理的欠陥について言うと、前にも触れたがP.201「父への怨念がこれらのシャンソンに潜んでいる」としながら、同じ「訳者解題」の、P.207では、「黒い鷲やナントでは、父親のイメージが美化され、ポエジーとなって、昇華されることによって、カタルシスの役を果たしているといえよう」となっている。「美化されポエジーとなっているのか、怨念が潜んでいるのか」同じ文章の中で整合性を欠いている。これは、Barbaraに関する知識というより、頭の中の論理力が訳者の意思にもかかわらず、お昼寝でも決め込んでいたからだろう。

○論理性の欠如は「訳者解題」の中に目立つ。Barbaraの人生を時系列に整理しないままに、訳した内容も把握・理解しないままに、かなり慌てて、書けば書くほど間違いで腹ふくるる「訳者解題」を闇雲に執筆された状況が想像できる。P.206に,「1970年以降、プレシーに移り住んでからは、新作の数も減り、(省略)」とあり一方P.207には「40代に入ってからバルバラに新鮮な空気を吹き込んだのは、当時25歳の(省略)」とあり、次々に生まれた新曲のタイトルが並ぶ。Barbaraは1930年生まれ、1970年以降はつまり40代に入ってから、ということになる。

「新作の数が減った」のと同じ時期に、「F.W.に刺激を受けて次々に新作が登場する」と横並びのペイジに平気でかけるのも、論理力のお昼寝、に起因するのだろうか。また古くからの日本のファンは誰でも知っているが1970年代前半は日本におけるBarbaraの絶頂期である。またプレシーにBarbaraと一緒に移り住んだのはF.W.その人である。P.206とP.207はもう内容が支離滅裂なのだ。

○「訳者解題」P.209.Barbaraがエイズの活動をすることに関して「かつて彼女が愛したひとりの男性が、刑務所につながれた思い出があり、また近親姦容疑者として手錠をはめられるべきだった父親に代わっての、罪滅し的行動ではないかと解される」、一人の男性の名前が特定できないなら、情報価値はない。それはどうでもいいが、バルバラのエイズの活動に、どうして父親の話が関連付けられるのか?しかもBarbaraは被害者であり、「罪滅し」の必然もない。「罪滅し的行為ではないかと解される」と書く以上、論拠を示すべきだろう。はっきり言うが「訳者解題」自体が、訳者の独断と偏見に満ちた見苦しいこじつけである。Barbaraがエイズの活動で刑務所を訪問することに、「手錠をはめられるべきだった父親」が、また「罪滅し」が何故くっつくのか?論理的云々よりはるか以前の、単なる露骨な連想ゲームであり、論理が導く「文章」とは言い難い。

○P.207「訳者解題」バルバラの「不倫」を取り上げ、この歌は「息子が母親を愛しすぎたこと」で、警察沙汰になる物語を歌っている、と書かれている。どの資料の何ペイジからの「丸写し」なのだろうか?歌を聞けば分かることだがそんな内容の歌ではない。1975年のコンサートでバルバラ自身が「これは近親相姦愛というより、親子ほど年の離れた女と男の愛の物語です」とステージ上で解説したのを私は聞いて覚えている。そのほかに、Barbaraが歌詞のまだ出来ていないこの歌を練習しているFilmがある。全編スキャットであるが最後だけ「私の愛しいイサベル」と歌詞がついていた。「イサベルって誰?」という苦笑のコメントが付いていた。これがまたBarbara目を閉じて実に官能的に歌っていた。資料を使う場合は確認作業が絶対的に必要だということを忘れないでいただきたい。

実は今回問題はここではなくて、この部分のあとに「ここでバルバラにつきまとう父親との関係が浮かび上がってくる」とまたしても、父親との関係へのこじつけが出てくることだ。大した説明もなくいきなりの結論でp.208「歌によって通俗化させることで、少女時代に刻まれた傷痕を形骸化させたかったのではないか」と解題されている。タイトルだけの連想ゲームではなく、まず前提としてこの曲と、父親による近親愛との関連を、論理的に説明してから「解題」していただきたい。繰り返す。論理的云々よりはるか以前の、単なる言葉の連想ゲームである。論理が導く「文章」とは言い難い。

長い文章になってしまった。今日は文章の中に「はっきり言うが訳者解題自体が、訳者の独断と偏見に満ちた見苦しいこじつけである」と、いつも遠慮してうじうじしているBruxellesとしては珍しく思い切った書き方をした一行がある。
Bruxellesブチ切れの巻である。
Je voudrais l'epargner, dire les choses le plus doucement possible.
Mais je ne peux reprimer par moments mon agressivite,
malheureuse de ne pas etre aidee, comprise.


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Barbara, quinze ans déjà : France Inter:
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参照 Actualités : Yves Montand
参照 Damia - Le grand frisé
参照:Georges Brassens Oncle Archibald
参照:Marianne Oswald - Évidemment bien sûr
参照:Damia "Les ménétriers" 1927
参照 Claude Francois - Meme Si Tu Revenais
参照:Dalida - Non è casa mia (Même Si Tu Revenais)
Les dames de la poste:  du soleil levant Bruxelles:
:
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できるだけ多くの資料を読み
できるだけ多くの歌を聴き
Interviewや特番を聞き
多くの人の見解を聞き見識を拡め
VideoやDVDや、生のステイジをたくさん見て
選択し分析し検証し整理して
最後には独自の思考をまとめる。
文章を公に商業化するのはその後でいい。
それらのどれ一つを省略しても、
文章に対する義務や責任は自覚できない。
書き手の実力やプライドはその自覚の裏側に
自然発生的に付着するものでしかない。

・・・・・・・・・
人々はBarbaraが亡くなる前に自ら書いた
回想録だと思うからこそこの本に飛びつくのだ。

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