CORRESPONDANCES

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追悼:石井好子: 祖父 久原房之助 (2)

2010年07月22日 11時39分18秒 | 追悼:石井好子

石井好子氏が大好きだった母方の祖父 久原房之助
石井好子氏にいただいた「惑星が行く 久原房之助伝」
(1)
その目次世界一の大煙突
今日は日立鉱山の大煙突を紹介します。
日立鉱山の大煙突ドキュメンタリー Video
そのBlog : Nikkei :
何年か前、日立市に招かれて式典に参加してきました、という嬉しいお手紙をいただいた。
(2)その目次 :孫文支援
孫文支援者としては宮崎滔天が有名だが
日本で孫文の革命に最大の援助を行ったのは
久原房之助である。
(3)その目次 :
孫文に救われる
孫文支援の記録が見つかり巣鴨から生還
久原房之助 47/9/1  不起訴釈放
石井好子氏には「おじい様、お帰りなさいませ」という記憶があるのだ。
(4)その目次 雪のクレムリン宮殿
戦争屋による極東アジアの分断、戦争を回避するため、中国、ロシア、日本による独自の“非戦中立緩衝地帯”論をスターリンに説こうとした久原房之助。スターリンに会うことに成功した3人の日本人の一人と言われている。(スターリンは聴く耳を持たない。むしろ会談セッティングのために周辺から多額の金品を要求された。ー今本が手元にないので、私の記憶によっている。本は読んだ後図書館に寄付しました。ー)

・・・・・追記:2011年1月22日・・・・・

久原房之助の別荘、
八芳園には遊覧列車が庭内を走っていた。すべての孫は平等に、全部集めて一緒に仲良く遊ばせた。この祖父にしてこの孫あり、のスケールの大きさ。ついでながら一方朝吹登水子氏の母方の祖父は、こちらも蒋介石に軍隊教育をほどこした長岡外史、スキーの導入者として、また日本航空界のパイオニアとしても、そして日露戦争の功労者明石元二郎の直属の上司として、時代を牽引した人物である。

・・・・・追記:2011年4月19日・・・・・
天馬空を行く 久原房之助物語
 
No.1 & No.2 & No.3