今回は、今後このブログでどんな話題を展開していきたいか、現時点での大雑把ないくつかの計画を書いておきたい。
1)まず今日のタイトルに掲げた「若者の文化的『鎖国』が始まった?」だが、「鎖国」という言葉を使うのはかなり誤解を招きやすいかもしれない。最近の若者に対する意識調査など読み取れる傾向をちょっと刺激的な言葉で表現しようとすると文化的「鎖国」という言葉もありかなと思った。若者が海外旅行や留学にあまり興味を持たなくなった、洋楽や洋画よりも、JPOPや邦画を好むようになった、日本的な伝統文化を誇りに思う率が高くなったなど、和風志向や日本回帰、伝統的な価値観の復活の傾向が、いくつかのアンケートからはっきりと読み取れる。
これはもしかしたら、長い日本の歴史の中で三番目の文化的・心理的な「鎖国」傾向が始まる兆しかもしれないと私は思っている。
遣隋使、遣唐使が中国から多くを学び取り、律令国家体制を築いたあと、やがて遣唐使を廃止して平安朝の国風文化が花開いたのをかりに第一の文化的「鎖国」とする。
第二番目は、フランシスコ・ザビエルなどイエズス会の宣教師たちがキリスト教とともに南蛮文化を日本にもたらしたあと、国内でのキリスト教の広がりに危機感を感じた江戸幕府がおこなった文字通りの鎖国である。その後、いくばくかの時を経て豊かな江戸庶民文化が開花した。
そして明治維新後は主にヨーロッパから、第二次大戦後はアメリカからも、日本人は必至にあまりに多くを学び、多くを取り入れ続けた。もちろん個別にはまだまだ学ぶべきことはあるだろうが、大勢としてはヨーロッパやアメリカと同列、いや一部はかなりすぐれたところまで来たと日本人は気づきはじめた。そこから第三の文化的、心理的「鎖国」が始まったのだ。そういう時代の流れを無自覚に、しかしいちばん敏感に感じとっているのが、20代の若者たちではないのか。
もちろんこれだけ情報化し、グローバル化した現代に文字通りの鎖国などありえない。しかし、「学ぶべきモデルはすべて欧米にあり」という心理的傾向は今の若者にはない。それが学ぶこと一般への情熱の減少にもつながっているかもしれない。そして日本の若者は、少しずつ始まった心理的な「鎖国」傾向のなかで、世界中から集められた素材で煮込んだポップカルチャーを生み出してきたのであり、それが知らず知らずのうちに世界に発信されるようになっていた。江戸時代の鎖国と違い、文化の出力の方は閉ざさしていないから、日本発ポップカルチャーは生み出されるとほぼ同時に世界に広まっていく。浮世絵が幕末になってやっと世界に知られたのと大きな違いだ。
日本の歴史は、国外から必死に学び取る時代と、内向化して学び取ったものを自分流に熟成して独自のものを生み出す時代とを、交互にくり返してきた。今は、ひたすら学び取る時代は終わり、次の段階に入りつつある時代なのではないか。日本史の、こうした長いスパンの中で、現代若者の意識変化や、世界に広がるクールジャパン現象を位置づけてみたい。ゆっくりやっていきたいが、こんな企画をひとつ考えている。
《関連図書》
『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
』
『ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
』
《関連記事》
クールジャパンに関連する本02
(『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
』の短評を掲載している。)
1)まず今日のタイトルに掲げた「若者の文化的『鎖国』が始まった?」だが、「鎖国」という言葉を使うのはかなり誤解を招きやすいかもしれない。最近の若者に対する意識調査など読み取れる傾向をちょっと刺激的な言葉で表現しようとすると文化的「鎖国」という言葉もありかなと思った。若者が海外旅行や留学にあまり興味を持たなくなった、洋楽や洋画よりも、JPOPや邦画を好むようになった、日本的な伝統文化を誇りに思う率が高くなったなど、和風志向や日本回帰、伝統的な価値観の復活の傾向が、いくつかのアンケートからはっきりと読み取れる。
これはもしかしたら、長い日本の歴史の中で三番目の文化的・心理的な「鎖国」傾向が始まる兆しかもしれないと私は思っている。
遣隋使、遣唐使が中国から多くを学び取り、律令国家体制を築いたあと、やがて遣唐使を廃止して平安朝の国風文化が花開いたのをかりに第一の文化的「鎖国」とする。
第二番目は、フランシスコ・ザビエルなどイエズス会の宣教師たちがキリスト教とともに南蛮文化を日本にもたらしたあと、国内でのキリスト教の広がりに危機感を感じた江戸幕府がおこなった文字通りの鎖国である。その後、いくばくかの時を経て豊かな江戸庶民文化が開花した。
そして明治維新後は主にヨーロッパから、第二次大戦後はアメリカからも、日本人は必至にあまりに多くを学び、多くを取り入れ続けた。もちろん個別にはまだまだ学ぶべきことはあるだろうが、大勢としてはヨーロッパやアメリカと同列、いや一部はかなりすぐれたところまで来たと日本人は気づきはじめた。そこから第三の文化的、心理的「鎖国」が始まったのだ。そういう時代の流れを無自覚に、しかしいちばん敏感に感じとっているのが、20代の若者たちではないのか。
もちろんこれだけ情報化し、グローバル化した現代に文字通りの鎖国などありえない。しかし、「学ぶべきモデルはすべて欧米にあり」という心理的傾向は今の若者にはない。それが学ぶこと一般への情熱の減少にもつながっているかもしれない。そして日本の若者は、少しずつ始まった心理的な「鎖国」傾向のなかで、世界中から集められた素材で煮込んだポップカルチャーを生み出してきたのであり、それが知らず知らずのうちに世界に発信されるようになっていた。江戸時代の鎖国と違い、文化の出力の方は閉ざさしていないから、日本発ポップカルチャーは生み出されるとほぼ同時に世界に広まっていく。浮世絵が幕末になってやっと世界に知られたのと大きな違いだ。
日本の歴史は、国外から必死に学び取る時代と、内向化して学び取ったものを自分流に熟成して独自のものを生み出す時代とを、交互にくり返してきた。今は、ひたすら学び取る時代は終わり、次の段階に入りつつある時代なのではないか。日本史の、こうした長いスパンの中で、現代若者の意識変化や、世界に広がるクールジャパン現象を位置づけてみたい。ゆっくりやっていきたいが、こんな企画をひとつ考えている。
《関連図書》
『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
『ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
《関連記事》
クールジャパンに関連する本02
(『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
現状の経済状態を含めて
『余裕が無い』に尽きるのではないかと
思います。
あるベルギー人のコメントのようですが
以下のようなものがあります。
OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに妙に納得した。
日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。
外国文化に負けまいとしているのではなく、
世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、
今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。
その結果、同じものを志す者同士の
「これすごいだろ、おもしろいだろ」
合戦が始まり、そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。
でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。
そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、
それがすごいものであることを知らされる。
ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。
もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。
だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、
この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、
知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。
これ今のボカロにもぴったり
当てはまるんですよね。
動画サイトで拡散の速度が
速まってるだけで根っこは変わらない。
ガラパゴス化は決して悪いことではないと。
まさに図星という感じですね。
凝り性で、ハイクオリティー化したものが、インターネットでほとんど同時的に世界に紹介されてしまう。そういう日本に世界中が興味津々といったところなんでしょう。
私の第三の鎖国論も、そういう面があるかどうか、じっくり検討していこうと思っています。