クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理

2012年02月12日 | 母性社会日本
前回の記事の最後近くで「文明そのものが、母性的な自然との一体化を脱して父性的な原理に立つことによって成立するともいえる」と書いた。これに対してコメントで、「果たして、そう言い切ってしまっていいでしょうか」との疑問をいただいた。なるほど、そう言い切るのはかなり乱暴だと私自身も思った。

ただ私が強調したかったのは以下のようなことだ。日本列島に住んできたわれわれは、「母なる大地」に象徴される豊かな自然の恩恵をたっぷり受けながら母性原理的な宗教を保ち続けることができたユニークな民族である。それに対して大陸の諸民族は、多かれ少なかれそうした「自然性」から脱することで「文明」をきずいていった。その違いにこそ、日本文化のユニークさを考える上での大切な観点が隠されているのではないか、ということである。

ともあれ問題を少し整理する必要があるだろう。世界史は大きな流れとしては狩猟・採集文明から農耕・牧畜文明へと変化していったといえるだろう。その流れを母性原理、父性原理の視点から考えるなら、狩猟・採集文明はどちらかというと母性原理が強く、農耕・牧畜文明はそこに父性的な原理も入り込んでくるといえるのではないか。さらに多神教・一神教という区分でいうなら、アニミズム的な自然崇拝では母性原理が強く、精霊崇拝からある程度明確な多神教という形をとるようになると多少ととも父性的な原理も入り込んでくる。そして一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という「地中海三宗教」において出現し、かなり父性的な性格の強い文明の基盤となっていくのである。

たとえば縄文人は、日常生活の根拠地としてムラの周囲のハラを生活圏とし、自然と密接な関係を結ぶ。生活舞台としてのハラの存亡に影響を与えることは、生活基盤の破壊につながりかねない。だから自然との共存共栄こそ、その恵みを永続的に享受する保障につながる。彼らは、ハラのさまざまな自然の背後に精霊を感じ、その恵みに抱かれて生きていることを実感しただろう。

一方、農耕民は自然をあるがままにせず、開墾し農地を確保する方向に進んでいく。ムラという人工空間の外にもう一つの人工空間としての農地=ノラを設け、その拡大を続ける。つまり農耕民はただ単に母なる自然の懐に抱かれているのではなく、自然を征服するという意識と態度を自覚していく。これは多かれ少なかれ母性原理からの脱却を意味する。

ところで日本列島に生きた人々は、農耕の段階に入っていくのが大陸よりも遅く、それだけ狩猟・採集の文明を高度に発達させた。世界でもめずらしく高度な土器や竪穴住を伴う狩猟・採集であった。このように高度に発達した母性原理的な縄文文化がその後の日本文化の基盤となったのである。しかもやがて大陸から流入した本格的な稲作は、牧畜を伴っていなかった。牧畜は、大地に働きかける農耕よりも、生きた動物を管理し食用にするという意味で、より自覚的な自然への働きかけとなる。そして牧畜は森林を破壊する。

さらに日本列島の人々は、他民族にも襲われずに、母なる大地の恵みを最大限に受けながら悠久の昔からそこに住み続けることができた。そのような条件にあったからこそ、自然の恵みを基盤とする自然崇拝的な宗教を大陸から渡来した儒教や仏教を共存さて、長く保ち続けることができたのである。神仏混淆とは、一方の文化が他方の文化を圧殺しなかった結果に他ならない。

一方大陸では、そのような条件に守られ続けることはほぼ不可能であった。それゆえ、多かれ少なかれ母性原理の文化から脱出せざるを得なかったのである。精霊信仰や自然崇拝はもちろん、部族の宗教を保つことも不可能だった。部族宗教相互の闘争が起こり、一方が他方によって抹殺され、やがて普遍宗教によって支配される大帝国も出現した。闘争や統合によって成立する宗教は、自然の恵みに抱かれる自然性の原理の宗教に比べれば、はるかに意識的であり、男性的・父性的な原理を含んでいるのである。

それゆえユーラシア大陸の歴史を巨視的に見ると、母性的な自然との一体性から脱し、農耕・牧畜によって自然に働きかけ征服し、部族相互の闘争を繰り返しながらより普遍的な宗教を形づくっていくという形で、父性的な要素を徐々に取り込んでいったのではないか。その極限にあるのが一神教的な西欧文明であり、その源のひとつがユダヤ教なのである。西欧文明のもう一つの源は、もちろん合理主義的なギリシャ文明である。

日本の歴史と文化のユニークさは、民族相互の抗争と無縁なところで母性原理的な森の宗教の原型を残し、しかも大陸の厳しい歴史の精華の部分だけを、その母性原理的な文化の中に取り入れることができたというところにあるのではないか。

《参考図書》
縄文の思考 (ちくま新書)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)

《関連記事》
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない
日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ15:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ18:縄文語の心
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
日本文化のユニークさ21:宗教的一元支配がなかった(1)
日本文化のユニークさ22:宗教的一元支配がなかった(2)
日本文化のユニークさ23:キリスト教をいちばん分からない国(2)
日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ユダヤ人と日本文化のユニー... | トップ | 日本文化のユニークさ37:通... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
一神教 (阿部明)
2012-02-14 23:34:47
>その極限にあるのが一神教的な西欧文明であ
>り、その源のひとつがユダヤ教なのである。

 歴史の結果から見ると、これだけ世界に広がっている一神教が正統であるかのように思えますが、本来、古代ユダヤ教においては多神教であり、その多くの神の中から、民族を守護してくれる神として、雷の神を一番強そうだという
事で、選んだらしいのです、

 多くの神の中から、ユダヤ人はお前を選んでやったのだら、お前も我々を守れよ、その約束に人間とエホバは契約を結ぼう!
 という事だったらしいのです、それを考えれば、神との契約、洗礼というのは、日本人には想像もつかないほど重要なのでしょう、

 一神教と言っても、その背後には多神教がある事を考えると、多神教の持つ多様性を、制限する形で存在してきたのではないでしょうか?


 話は変わって、今やフランスでは、神を信じる人は変人と見られるそうですから、日本の母性文化の影響で、今まで失われてきた母性の要素を回復する為に、我々の想像より早く、父性原理から母性原理への回帰が、欧米では進んでいるようです、
バアル神への信仰 (cooljapan)
2012-02-17 18:42:21
〉歴史の結果から見ると、これだけ世界に広がっている一神教が正統であるかのように思えますが、本来、古代ユダヤ教においては多神教であり、その多くの神の中から、民族を守護してくれる神として、雷の神を一番強そうだという
事で、選んだらしいのです、

北のイスラエルは、バアル神への信仰が強かった時期があり、その頃アッシリアに滅ぼされた。存続を続けたユダ王国は、ヤハウェの神への義が足りなかったからこのような結果になったのではないかと考えた。これがヤハウェの一神教への信仰をより強めたという説もあるようです。

〉話は変わって、今やフランスでは、神を信じる人は変人と見られるそうですから、日本の母性文化の影響で、今まで失われてきた母性の要素を回復する為に、我々の想像より早く、父性原理から母性原理への回帰が、欧米では進んでいるようです

キリスト教はフランスではそんな現状なのですか。興味深いですね。

母性社会日本」カテゴリの最新記事