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今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

日本回帰の二つの波:自由にいいとこ取りした日本05

2012年11月04日 | いいとこ取り日本
日本文化のユニークさ7項目を8項目に変更した。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

これに従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。

続けて、新たに付け加えた(5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」に関係する記事を集約して整理する。

『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて
内田樹『日本辺境論 (新潮新書)』の書評ということで始めたが、これをきっかけにして自分の論を展開する形となった。要は、遣唐使の廃止以降に起こった外来文化の内面化と対比できるようなプロセスが、現代の日本で、しかも若者を先頭にして起こり始めているのではないか、ということである。かつて日本は、唐文化の影響が頂点に達した後、今度はその消化、日本化に向かって進んでいった。それと同じようなことが現代の日本で、今度は西欧文明との関係で起こり始めているのではないか。そして、その理由をこれまで3点から説明した。

1)明治以来、西欧文明を学び続けた日本は、多くの分野で「師」に追いつき、いくつかの分野では「師」を超え始めた。しかも「師」が掲げていた近代文明の原理そのものが今問われ始めている。つまり外部に「師」を求め得なくなった。これは日本の歴史の中で初めての経験である。(→『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら

2)日本で開発された技術や製品が世界中の人々の生活に大きな影響を与えるようになり、日本人自身がこうした事実をある程度自覚するようになった。これも有史以来、日本人にとって初めての経験である。(→『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力

3)マンガ・アニメに代表される日本のポップカルチャーが、近年広範に世界に広がり、世界の若者たちに影響を与えるようになった。日本人はまだその影響力を充分自覚していないが、それでも若い世代は、インターネットなどを通してかなり知るようになった。日本の文化が世界にこれほどの影響力を与えるようになったことも、日本の歴史上初めての経験である。(→『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力

これらの事実が示すのはいずれも、太古の昔から大陸の文明を「師」として学び続けた「辺境」日本という前提が崩れ始めたということである。とくに2)と3)で示されたような事実は、外部から学んだものを日本独自に再生させた技術や文化が世界に向けて発信され始めたということである。これらは比較的よく知られた事実だが、有史以来の日本史の中での位置づけや、日本人の意識に与える影響という観点からはほとんど論じられなかった。上の調査に示されるような若者中心の日本人の意識変化は、これらの事実を多かれ少なかれ反映しているのではないか。

『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム
今、環境問題や経済の混乱の深刻化などにより、近代の文明原理はかなり問題をはらむのではないかと疑われ始めた。では日本は、それに替わる新たな「世界標準」を生み出すことが可能なのだろうか。これに対する私の答えは、従来の「世界標準」という意味でなら「否」というものである。しかし、「世界標準」という言葉にこだわらずもっと柔軟な見方をすれば、必ずしも否と言えない。

日本は「辺境」の島国であったために、これまで「世界標準」を生み出すことはなかった。大陸で生まれた「世界標準」をひたすら吸収してきた。そうやって形成され日本の文化は、「受容性」を特徴としていた。それは、もっぱら「師」から学ぶ姿勢で吸収し続けることである。

ところが現代の日本は、長い長い受容の歴史の結果、その豊かな蓄積の内側から次々と独自の文化を生み出すようになった。江戸時代の独自な文化も幕末から明治初期にかけてフランスなどヨーロッパに知られ、その流行はジャポニズムと呼ばれた。現代のジャポニズムは、中国文明だけではなく西欧文明やアメリカ文明の受容と蓄積が加わり、それが縄文時代以来の日本の伝統の中で練り直され、磨かれることによって豊かに開花したものだ。それがインターネットなどの情報革命によって江戸時代とは比較にならないほど広範に世界に影響を与え始めた。

さて、日本文化のユニークさのひとつは、普遍宗教によって完全に浸食されてしまわずに、農耕文明以前の縄文的な文化が現代にまでかなり濃厚に受け継がれたことだ。これは世界史上でも稀有なことである。儒教や仏教を受容したときも、自分たちが元来持っていた自然崇拝的な宗教にうまく合うように変形した(神仏習合など)。

「世界標準」の普遍宗教は、激しい闘争の中で民族宗教の違いを克服することによって生まれたも言える。それもあって、それぞれの普遍宗教を背景にもつ「世界標準」自体は、お互いに相容れない傾向がある。自分こそ「世界標準」だと言い張って互いに争うのである。現在までのところ、その勝者が近代ヨーロッパだったわけだ。ところが日本人は、そうした「世界標準」の原理原則にこだわらずに、自分たちに合わせて自由にいくつもの「世界標準」を学び吸収してきた。神道を残したまま儒教も仏教も西欧文明も受けれ、併存させたのである。それが日本文化に豊かさと発想の自由さを与えた。そういう日本人が新たな「世界標準」を生み出すはずがないことは明らかだろう。

そして逆説的なことだが、ひとつの「世界標準」にこだわらず自由に学び吸収しつづけたからこそ、そこから生まれた独自の文化が、今後の世界にとって新たなモデルになる可能性を秘めているのではないか。

『日本辺境論』をこえて(10)なぜ若者は伝統に回帰する?
明治時代の日本の知識人は、自分たちの過去や伝統を激しく否定することによって、いわばその否定をバネにして西欧の文明を懸命に吸収した。西欧と日本の力の差が圧倒的だったことも、そうした日本人の態度の背景にある。

それと似たことが、太平洋戦争後にも再び起こった。もちろん西欧文明の吸収は、明治時代とは比べられないほど進んでいたが、敗戦のショックと戦中の軍国主義への嫌悪が、またもや自分たちの過去と伝統を全否定する方向へと日本人を向かわせた。そして、今度の学びの対象となった「世界標準」はアメリカ文明であった。

《参考記事》
日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(1)
日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(2)

自己否定の強さは、敗れた相手である米国の文化やGHQの占領政策を礼賛する感情と表裏をなしていた。米国側でも、日本が米国と戦う意志や力を二度と持つことのないよう、軍国主義の社会的基盤を根こそぎにし(財閥解体など)、戦中の軍国主義がいかに邪悪であったかを日本人の意識に徹底的に植え付ける政策をとった。

そして、この政策は見事に成功した。この政策が、日本人の「辺境人」根性と合致して相乗効果を生んだからである。日本人が、「世界標準」の文明からすみやかに効率的に学び取るのが得意なのは、そのさい自己卑下に徹し、自分たちの伝統をなかったことにして、ほとんど白紙の状態で学べるからである。つまり過去を否定するからだ。日本人のそうした性向と米国のプロパガンダとが、誰も予想しなかったほどにうまくかみ合てしまった。こうしてアメリカ文明が礼賛される一方で、日本の伝統的な文化は、軍国主義や封建制に結びつくものとして極度に否定される結果になったのである。

この傾向は、太平洋戦争を体験した世代から、戦後生まれの団塊世代への確実に受け継がれていった。しかし、その子供たち、さらにその子供たちの世代になると、さすがに戦争のトラウマや、その体験と結びついた自己否定や、アメリカの洗脳などからの解放が進んだ。まさに「呪縛」がとかれ始めたのだ。

「呪縛」がとかれると、いままで強く抑圧していた反動からか、伝統的なものが逆に新鮮で価値ある大切なものとして若者たちの心をとらえ始めた。その時期と、日本のポップカルチャーが世界で注目を浴び始める時期とが重なった。ポップカルチャーだけではなく日本の文化全体が世界で高く評価されるようになった。トラウマから解放された日本の若者は、親たちの世代が想像できないような自信をもって自分たちの伝統文化を肯定することができるようになったのである。

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)
人類を幸せにする国・日本(祥伝社新書218)

《関連記事》
『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が
『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら
『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力
『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力
『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて
『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム

若者の文化的「鎖国」が始まった?今後の計画など(1)
日本人が日本を愛せない理由(1)
日本人が日本を愛せない理由(2)
日本人が日本を愛せない理由(3)
日本人が日本を愛せない理由(4)
日本文化のユニークさ01:なぜキリスト教を受容しなかったかという問い
日本文化のユニークさ02:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ18:縄文語の心
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?
日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ
日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み
日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤
日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)
日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)
日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)
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