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自虐の時代を脱しつつある:自由にいいとこ取りした日本03

2012年11月02日 | いいとこ取り日本
日本文化のユニークさ7項目を8項目に変更した。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

これに従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。

今回も新たに付け加えた(5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」に関係する記事を集約して整理する。

大陸から海で隔てられた「辺境」の島国日本にとっては、大陸から渡来するものはつねに崇拝の対象だった。中国や欧米の文明にたえず範を求め続けた。自分に自信がなく絶えずキョロキョロと外の世界に「世界標準」を探し続ける、これが日本人に染みついてしまった「辺境」人根性だと内田はいう。しかし内田は、外国に侵略された経験がなかったというもう一つの条件をほとんど見逃している。大陸をつねに崇拝できたのは、彼らの負の面を身を持って経験することがなかったからである。

さて、いずれにせよ従来の日本人に、内田のいう「辺境」人根性があったのはたしかだろう。しかしそれは永遠のものではない。近年、日本人は「辺境」人の呪縛から脱しつつあるというのが私の見方だ。

『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
海の向こうから来た文明の基準に合わせることに汲々とし、自ら文明の基準を生み出すことができない。それが「辺境」日本のさだめだと内田はいう。だから知識人のマジョリティは「日本の悪口」しか言わなくなる。この悪口は、「だから世界標準にキャッチアップ」という発想と込みになっていて、その世界標準を紹介・導入することが自分たち知識人の存在価値だと感じている。そういう人間たちが中心になって作っているから、メディアもそういう論調になってしまう。(内田樹『日本辺境論 (新潮新書)』)

しかし私は、内田のいう辺境人の「呪縛」から日本人は徐々に解放されつつあると感じる。団塊世代はまだ「呪縛」のなかにいるが、若い世代には明らかに変化の兆しが見える。そう私が感じるのは、いくつかのデータや、インターネット上での傾向などを見たときの全体的な印象からだ。個々の現象を見ていたのでははっきりしないが、総合的に判断すると、「辺境人」からの解放という像が浮かび上がってくると思う。

戦後に生まれ育った世代は、「近代合理主義」「進歩」「科学」「未来」「夢」などの価値意識を当然のごとく受け入れ信じていた。社会が近代化するということは、科学技術が進歩し、国民の意識がより民主的で個人主義的な方向に進歩することであった。しかし、1990年のバブル崩壊以降に小学生時代を送った世代(Z世代)は、こうした価値観が溶解するなかで育った。現代の若者にとっては、近代的でないもの、科学では説明できないもの、伝統的なものが新たな魅力を持ち始めたというのだ。その傾向はいくつかのデータで確認できる。(三浦展『ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)』)

『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)』(調査期間は2007~2008)で示された若者の和風志向・日本回帰という傾向は、別の調査でも裏付けられる。『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)』(山岡拓、2009)は、若者の消費動向を探るための調査結果をまとめたものだが、『ニッポン若者論』で示された傾向がより鮮明に見えてくる。その調査結果から浮かび上がる若者像をあらかじめ言葉で表現すると、以下のようになるという。

「今の若者が目指すのは、実にまったりした、穏やかな暮らしである。自宅とその周辺で暮らすのが好きで、和風の文化が好き。科学技術の進歩よりも経済成長を支える勤勉さよりも、伝統文化の価値を重視する。食べ物は魚が好き。エネルギー消費は少なく、意図しなくとも、結果的に『地球にやさしい』暮らしを選んでいるようだ。大切ななのは家族と友人、そして彼らと過ごす時間。親しい人との会話や、ささやかな贈りものの交換、好みが一致したときなどの気持ちの共振に、とても大きな満足を感じているようだ。彼らは消費の牽引車にはなれなくとも、ある意味では時代のリーダーなのかもしれない。」

これらの調査は、『日本辺境論 (新潮新書)』(内田樹、2009)がいう、文明の「保証人」を外部に求めようとする日本人のあり方が変化し始めていることを物語るのではないか。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが「辺境人」の発想で、それは「もう私たちの血肉となっている」からどうすることもできないと、かんたんに断定できない変化が、日本人に起こり始めているのではないか。日本人に「世界標準の制定力」があるかないかは別として、文明の「保証人」を外部にもとめていつも「ふらふらきょろきょろ」していた日本人の姿は、少なくとも今の若者には見られないということである。

『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
これまで、現代日本の若者の間に和風志向や日本回帰の傾向が見られることをいくつかのデータで見てきた。それは、日本の社会や文化をバカにし欧米の文化に憧れ追い求めていた親の世代に比べるとかなり大きな変化である。このような変化をどのような歴史的なスパンで見るかによって、その意味のとらえ方ににかなりの違いが生じる。

かつて奈良から平安時代の日本で、唐文化の影響が頂点に達した後、今度はその消化、日本化に向かって進んでいったことだ。それと同じようなことが現代の日本で、今度は西欧文明との関係で起こり始めているのではないか、というのが私の仮説である。前に「その変化は、千年二千年単位の日本歴史のなかでも重要な変化であるような気がする」と言ったのはそのような意味である。つまり、遣唐使の廃止以降に起こった外来文化の内面化と対比できるようなプロセスが、現代の日本で、しかも若者を先頭にして起こり始めているような気がするのである。日本を取り巻く世界情勢の変化がそれを加速している。

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)

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