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コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

頑張ること自体が楽しくなってくる

2020-04-05 08:54:27 | Weblog
頑張り続けると頑張ること自体が楽しくなってきます。
これは本当のことです。

まず、
やれるところまでやりきってみよう。
ちょっとのことでは死にはしないから。

人間の努力は時に不可能をも可能にする。

成功者といわれる人のほとんどが、
一つのことをあきもせずにやり続けた人である。

絶え間ない努力の先に本当の快楽が待っています。

寝ないで努力して
睡眠不足で死んだ人の話を私は聞いたことがありません。

今やるべきことを本気で死ぬ寸前までやってみてください。

そこで見えた景色は
きっと最高のものになっているはずです。


自分が人生を賭けてやり繰けるべきことが 仕事である

2020-04-04 11:22:57 | Weblog
自分が人生を賭けてやり繰けるべきことが
「仕事」であり
生活のために時間を切り売りすることを
「稼ぎ」という。
「仕事」で「稼げる」のが一番の幸せへの近道です。

世の中でもっとも幸せに成功する秘訣は、
勉強や出世の競争に打ち勝つことではなく、
自分の好きなことを仕事にして生活することです。

仕事とは自分のミッションであり
「天命」 と言い換えることができます。

ただし、
仕事で稼げるかどうかは
その人次第なので、
生活の ために「稼ぎ」に出る入が多いようだ。

今やほとんどの人が「稼ぎ」のために働いているといってもいいだろう。

仕事から受け取ることができる充実感は
お金には換算できない。

だからこそ、
仕事は収入とは関係なく続けていけるのです。

例えどれだけ年収が高くても
「稼ぎ」のために働いている人は、
この充実感を得ることがなかなか難しいものです。

人間の幸せの尺度の一つは
「仕事」で稼げているかどうかかもしれない。

人間は社会の中で競争させられることで
「勝ち」や「負け」を覚えていきます。

しかし、
本当は自分の満足度は自分の心でしか計れません。

人と比べて「勝っている」から幸せで
「負けている」から不幸だなんてことはありません。

誰かが決めた物差しではなく、
自分が満足できることがやれていれば、
それに勝る幸せなど、
この世のどこにも存在しません。


すぐにやる習慣を身につける

2020-04-03 09:12:00 | Weblog
自信がない
やることが分からない
どうしたらいいかわからない

そんなことがこの世の中にはいっぱいあります。

やらなければいけないことを、
すぐにやる習慣を身につける。

このことは言っても大切なことです。

やらなければいけないことをズルズルと先送りにしても、
いつかはやらなければいけなぜん。

そうであれば、
やらなければいけないことをすぐにやるか、
いち早くやらないか決めるか
それとも
分割して少しずつやる計画を立てた方が最終的に楽になる。

すぐにやる習慣をつけると
仕事が早く終わるものです。

結果、
趣味や大切な人と会う時間が確保できるはずだ。


恋人のご先祖様にまで感謝しよう

2020-04-02 07:45:00 | Weblog
昨日は病に感謝することの大切さを述べました。

もちろん病自身に感謝することも
大切ですが、
自分以外の他人で一番大切な人
それにも感謝しなくてはいけません。

自分にとって一番大切な人は
それは妻 であり、
恋人であろう。

そんな大切な人と一緒に映画を見たり、
ご飯を食べたり、
笑顔を見ることができるのは、
彼女を産んで育ててくれたご両親がいるからです。

さらに言えば
おじいちゃん・おばあちゃんや
ご先祖様がいたからこそ、
彼女と出会えたわけで、
これは本当に奇跡的なことだと思います。

今日の幸せは二人だけのものではありません。

「彼女をここまで育ててくれてありがとう」と感謝し、
自分達もまた連綿と続く
大きな流れの中にあることと、
自分の生まれた意味を考えてみたい。


「自分と向かい合う」とは どういうことだろう。

2020-04-01 08:57:24 | Weblog
「自分と向かい合う」とは どういうことだろう。

われわれ人間は言葉を発明しました。
言葉は他人との相互連絡ばかりでなく、
細かい意思疎通までも可能にしました。

日々の生活は言葉なくしては考えらません。
会話だけでなく思考活動においても、
われわれは言葉をつかわずにそれを進めることはできません。

相手を想定して、
相手のことを考えるときも同様です。

相手の顔を「名前」で思い出し、
相手の行動を「・・していたなあ」と思い出し、
相手の頭のなかを「・・と考えていたのではないか」
と思いめぐらします。

写真や映画のように映像で思い出すものもあるが、
「考えて」いくには 言葉をつかわないと1分ももちません。

そこで質問です。

われわれは、自分のことを考えるときにも、
誰かのことを考えているときと同様に考えて いるのだろうか?

自分のことを考えているとき、
われわれの頭のなかには、
「言葉」と「映像」が入り混じっています。

言葉は必ずしも文章のようなまとまったものではなく、
単語が浮かんだり消えたりします。
映像も同様で過去の記録映画のようなものもあれば、
スナップ写真あるいは未来の映像も混じって、
言葉と同様に浮かんでは消えていきます。

「自分を分析しよう」などと知性的に考えれば、
頭のなかの言葉の占める割合は増大します。

しかし、回想などをしているときには、
言葉は影をひそめ頭のなかには映像が増えてくる。

「次に・・が見たい」などと考えなくても、
次から次へと映像はあらわれてきます。

しかし、自分のことを考えるときは、
言葉がなくても考えることができます。

ところが動物には言葉がありません。
言葉によって知性を手に入れた人間が、
最も動物に戻り感性的になる瞬問です。
それが自分との対話の時問なのかもしれません。

病に伏せて、
きっと自分自身のことを考える時間。
それは自分自身を見直す、
最高の時であったかも知れません。

病に感謝!


病からの復帰

2020-04-01 08:55:56 | Weblog
私のことですが
1月16日から
病気をしまして
ここまで休養しておりました。

きょう4月1日をもって
復帰をいたします

新しく
The Grand Coach取締役代表ということで
仕事を始めます。

どうぞよろしくお願いいたします