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コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

とりあえず「やってみる」

2014-09-22 06:35:39 | Weblog
年をとってくると
何をやっても飽きやすいですね。

どうも先が見えるのか
面倒でしょうがない

私の場合
HPの更新が面倒で
そのままになっている。

仕事もそうです。
2~3年で誰だって飽きてきます。
どうも仕事ができる人は、
仕事が飽きないように自分で工夫されているようです。

毎日毎日同じ仕事をしていれば誰だって嫌になってきます。
同じ仕事でも考えて仕事をしていないと飽きてきます。
つい隣の芝生が青く見てしまいます。

そこで
とりあえず「やってみる」
ことをお勧めします。

とりあえず始めてみると
「作業興奮」が起こります。

「作業興奮」とは、
何事でも始めてからしばらく経つと、
少しずつ調子にのって集中できるようになることです。

でも、最初のとりあえずがまた難しい。

結局、好きなことしか
とりあえずも始められないのか?

醜いものでも直視する

2014-09-19 06:18:38 | Weblog
美しい景色などを見ると
自分の心のイメージを豊かにしてくれます。

しかし、
世の中はじっさいには醜いもののほうが
多いかもしれません。

醜いものもしっかり直視しないと、
事態を打開できない場合もあります。

つまり、
醜い出来事、
醜い行為、
そういうこともあるがままに
受け入れざるを得ないことがあるのです。

それは、
言いかえると
失敗を避けないということでもあるし、
失敗から目を背けないことでもあります。

たとえば、
会社経営をしている人は
同業者を出し抜いて、
自分のところに仕事を持ってこようという行為は、
正当な競争である限り、
資本主義社会では当たり前のことです。
出し抜かれて、
仕事を奪われる側から見ると、
とても許せない行為なのです。

価格やサーピス、
内容で競争するのが資本主義の原理であるとはいっても、
出し抜くという行為であることに変わりはありません。

学校でも教室に花をもってきて
先生に褒められるという行為を、
友人が翌日実行するつもりなのを知って、
出し抜いて花をもってきて、
先に褒められるような行為です。

人がなぜそういう行為をするのか、
というところを直視する必要があります。

社会の中で、
群の中で白分の評価を高めたいという欲求、
願望があるのです。
けれども、
それが競争につながるとしたら、
とりあえず資本主義社会である限り
あながち否定されるものではないことでしょう。

また、
醜い部分を知ることで、
人の心の本当の美しさがわかる、
ということがあります。

たとえば、
人は他の人を助けることができます。
ボランティアで福祉活動の手伝いをする人の心は、
透き通った湖のように澄んでいるのかというと、
そうとばかりも言えないこともあります。

震災ボランティアにおいても
ボランティア同士で、
いじめがあったり、
権力闘争があったりしていました。

そういった、
人間の心の醜い部分を認めた上で、
一緒にできることをやっていこう、
というスタンスでなければ、
ボランティアもうまくいかないのです。


醜いものでも直視する

2014-09-19 06:17:18 | Weblog
醜いものでも直視する
美しい景色などを見ると
自分の心のイメージを豊かにしてくれます。

しかし、
世の中はじっさいには醜いもののほうが
多いかもしれません。

醜いものもしっかり直視しないと、
事態を打開できない場合もあります。

つまり、
醜い出来事、
醜い行為、
そういうこともあるがままに
受け入れざるを得ないことがあるのです。

それは、
言いかえると
失敗を避けないということでもあるし、
失敗から目を背けないことでもあります。

たとえば、
会社経営をしている人は
同業者を出し抜いて、
自分のところに仕事を持ってこようという行為は、
正当な競争である限り、
資本主義社会では当たり前のことです。
出し抜かれて、
仕事を奪われる側から見ると、
とても許せない行為なのです。

価格やサーピス、
内容で競争するのが資本主義の原理であるとはいっても、
出し抜くという行為であることに変わりはありません。

学校でも教室に花をもってきて
先生に褒められるという行為を、
友人が翌日実行するつもりなのを知って、
出し抜いて花をもってきて、
先に褒められるような行為です。

人がなぜそういう行為をするのか、
というところを直視する必要があります。

社会の中で、
群の中で白分の評価を高めたいという欲求、
願望があるのです。
けれども、
それが競争につながるとしたら、
とりあえず資本主義社会である限り
あながち否定されるものではないことでしょう。

また、
醜い部分を知ることで、
人の心の本当の美しさがわかる、
ということがあります。

たとえば、
人は他の人を助けることができます。
ボランティアで福祉活動の手伝いをする人の心は、
透き通った湖のように澄んでいるのかというと、
そうとばかりも言えないこともあります。

震災ボランティアにおいても
ボランティア同士で、
いじめがあったり、
権力闘争があったりしていました。

そういった、
人間の心の醜い部分を認めた上で、
一緒にできることをやっていこう、
というスタンスでなければ、
ボランティアもうまくいかないのです。


休日に何をしたらよいのかわからない

2014-09-18 06:03:43 | Weblog
平日はいつも忙しく働いているが
たまに空いた休日に
何をしたらいいのか分からない
という人も多いかもしれません

急に休みだといわれても、
予定もなければやりたいことも特にない。
何をしてすごせばいいか困ってしまいます。

では、
何か打ち込める趣味や好きなことが
あれば良かったのにと思うが・・・。

かといって
それを探す気にもならない。
実は最近の私にはよくあることです。

そこで、
本当に大切にしたいことを
先に予定表に入れようと思っています。

たとえば
休みの日に暇だったら家族と食事に行く
という人が多いかもしれません。

考え方を逆にして
家族と食事にいくのをこの休日にする。
そして、
休日に仕事がある場合に何をこなすか。

結局、
自分の大切なものを
先にスケジュールに
書き込む習慣をつけたいですね。

人生の目覚まし時計

2014-09-17 06:16:57 | Weblog
私たちの人生で
「本当に重要なこと」は
突然それも劇的な形で気づかされることがよくあります。

それは人生の目覚まし時計とも
思われるものです。

例えば 「大切な人の死」。
突然、家族や恋人がいなくなり、
「したかったが、しなかったこと」
がはっきりと見えてきます。
それまでは仕事中心であまりにも忙しく、
大切な人との「豊かな人間関係」を
築くことなどしてこなかったのです。

または「子どものいじめ(加害者)」。
自分の息子が友達をいじめていることに、
ある日突然気づかされるかもしれません。
子どもとの関係を豊かにできたはずの機会が、
そのときになって初めて
次から次へと頭に浮かんできます。
しかしそのときまでは、
「子どもは親の言うことを聞くものだ」
「自分の子は知り尽くしている」
などと関係を大切にしてこなかったのです。

あるいは「病気の宣告」。
医帥から残り数か月の命だと宣告されるかもしれません。

あるいは「妻(夫)からの離婚要求」。
離婚の危機に立たされるかもしれない。
このような突然の危機に直面、
初めて自分にとって「本当に重要なこと」に
気づかされることがあるのです。

このような危機的状況を知らせる
「人生の目覚まし時計」に起こされない限り、
多くの人は
人生の根源的な問題を考えるということを
しないかもしれません。

危機的な状況に出会ったら
それは何か重要なものを語りかけているはずです。

自分自身を目覚めさせてくれる要素が
隠されています。

一時的な応急処置をするのではなく
その背景になるものを
じっくり考えるようにしたいです。