経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

5月2日礼拝

2021-05-03 11:05:06 | 礼拝
出エジプト記3章1~12節 「遣わす神」 

 モーセは不思議な導きによってエジプト王女の息子として育てられますが、一方、彼はイスラエル人(へブル人)だという自覚をしっかり持っていました。モーセはイスラエル人が奴隷として苦しめられていることに心を痛め、40歳の時、自分こそが奴隷のへブル人を救わなければならないと立ち上がろうとしたのです。そして、ある日、一人のエジプト人が自分の同胞であるヘブル人を打ち叩いているのを見ると、あたりを見回して誰もいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めてしまいました。そして翌日、彼は外に出てみると、二人のへブル人が争っていました。モーセは仲裁に入り、「どうして自分の仲間を打つのか」言うと、彼は「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。」と殺したことが知られていたのです。モーセはへブル人からは拒絶され、エジプトからも追われる身となり、孤立無援のままミディアンの地に逃れていくことになります。そこでモーセは妻となる人と出会い、荒野において更に40年間、羊飼いとして生活を送ることになります。荒野での生活は羊たちの世話をしながら神と深く交わり、自分自身を顧みる時となり、彼を成長させていきました。

 ある日、モーセは羊の群れを荒野の奥まで連れて行き、神の山ホレブまで来ました。シナイ半島の先端に近いシナイ山の麓です。そこで、不思議な光景を目の当たりにします。芝が確かに燃えているのに燃え尽きませんでした。モーセは寄ってみると、神は芝の茂みの中から彼に「モーセ、モーセ」と呼びかけ、神はご自身のきよさをお示しになるために、ここに近づいてはいけない、ここは聖なる地で、足の靴を脱ぐように命じました。さらに(6)「あなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」であることを示されました。まさしく、モーセが幼い時から両親から聞いてきた唯一まことの神であることを知らされて、彼は非常に恐れ顔を隠したのです。神はへりくだるモーセに使命を与えました。(7)「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。私は彼らの痛みを確かに知っている。」(10)「今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」しかし、モーセは (11)「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトかい導き出さなければならないとは。」と辞退します。彼の以前の失敗の経験がそう言わせたのかもしれません。神は (12)「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。」と仰せられました。しかしモーセは、私を遣わす方の名を聞かれたら、何と答えればよいかと尋ねます。すると、神は「わたしはある」という者だと答えられました。この世のすべての物が移り変わっても、永遠から永遠に存在されるお方です。それでもモーセは、民は「主はあなたに現れなかった」と言って信じてくれないでしょう、と言うと、神は一つの杖で、ご自分が共におられるしるしを示されました。しかし、モーセは話すのが苦手だと訴え、「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください。」と言うのでした。するとついに神に怒りが燃えあがり、彼の兄アロンを助け人にすることを提案します。それでやっとモーセは折れて受け入れたのです。神が用いようとしていたのは、若かりし自信満々のモーセではなく、まさにこのような無力なモーセでした。砕かれて自信を失い、他の人を遣わしてくださいというモーセを用いられたのです。それゆえに、もしもあなたが今、神の前に自分が無力だと感じているなら、まさにそのようなあなたを、神様はご自身の働きのために用いようとされているのです。そしてその働きのために必要な助けと力を与えてくださるのです。自信のない者、無力な者に力を与え、主の恵みによって立たせてください。
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