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夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

思い人

2014-02-20 23:08:58 | 雑談
先日、古文の授業で『枕草子』第九十七段を教えたときのこと。
この段は、清少納言が中宮定子にお仕えしたばかりの頃のことと考えられている話である。

中宮定子の御前に、お身内の方々や上流貴族の人たちなどが大勢控えているので、清少納言は廂の間の柱に寄りかかって、同僚の女房たちと雑談をしていた。
すると、中宮が清少納言に手紙を投げてよこす。開けてみると、
「おまえを可愛がるのがよいか、どうか。自分を一番に思ってくれないなら、どうか。」
と書かれていた。

これは、清少納言が日頃から、
「およそ、自分が思う相手(ここでは、中宮定子)から一番に思われるのでなかったら、何にもならない。二、三番では死んでも嫌だ。」
と公言していたので、中宮が大勢の前で、清少納言がどんな対応をするか、見ようとしたのであろう。

中宮が筆と紙を与えたので、清少納言は、
「九品蓮台(くぼんれんだい)の間には、下品(げぼん)といふとも。」(→中宮様にお仕えできるのなら、下の扱いでも構いません)
と、慶滋保胤(よししげのやすたね)の願文の一節を引いて答えると、中宮は、
「自分が一番に思う人に、同じように一番に愛されたい、と思いなさい。」
と仰せになったので、清少納言は「いとをかし」、たいそう素晴らしいと思った、という話。

授業のとき、この「をかし」を“面白い”と訳した生徒がいたので、ここは“素晴らしい”の方がよいと言い、そのことをたとえ話を使って説明した。

「君たちも、自分が一番に思う人がいて、その人から“自分を思い人にしてもいいよ”ってお墨付きをもらったら嬉しいだろ?
たとえば…。
そうだな、男子なら能年玲奈、女子なら福士蒼汰みたいな人を好きだったとして、その人に、“あなたを私の一番の思い人と思ってもいいですか?”と聞いたら、…」
と言いかけたとき、ある生徒が、
「じぇじぇじぇ!!」
と言ったので、教室中が大笑いになった。私も思わず笑ってしまった。

話の腰を折られたのはシャクだが、たしかにたとえ話のこのシチュエーションだったら、こういう返事がかえってきても不思議ではない。
いとをかし。

恋がはじまる

2013-11-19 23:07:06 | 雑談

先日の話。
私の担任するクラスでは、毎朝SHRで5分間の英単語テストを行っているのだが(私が作成・採点)、一時期非常に成績が悪く、ある日採点していて、1点、2点、3点ばかりなので、終礼でついに雷を落とした。
「お前ら、受験を控えてなんだ、この点は! もっときちっとやれ!!(怒)」
などと叱った後で、
「だいたいなんだ、1、2、3、1、2、3って。子どもの行進か? 採点してて、いきものがかりの「恋がはじまる」が頭の中でかかってきたじゃないか。」
と言ったら、ひとりの生徒が笑い出し、
「ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー♪」
と歌い始めた…。

恋より勉強を始めてくれ、と思っていたが、最近になってようやくエンジンが本格的にかかってきた。
これからはあまり怒らなくて済むかな?

モテキ

2013-08-17 16:19:39 | 雑談
といっても、マンガや映画の話ではなく(そのどちらも面白かったが)、女性にモテてモテて困ったという話でもない。


昨日の午前中、私が最初に担任した卒業生の一人に、小論文の指導をしていた。
卒業してだいぶ経つのだが、現在、小学校の臨時講師をしながら教員採用試験を受けており、今週末に二次試験があるというので、私が小論文対策の指導を頼まれていたのだ。
先週、立川のラ・メゾンでお昼を食べているときに電話がかかってきて相談を受け、私が岡山に帰ったら練習することになった。
六日間ほどみっちり稽古をして、昨日が最終日だったので、
「よく私の厳しい指導に耐えた。えらい!」
と言って、昼ご飯をおごってやった。

「ま、本番もがんばってくれ玉へ。」
と励まして学校に帰ってきたら、三度目に担任した生徒たちが、私を訪ねてやって来た。
一人は大阪、一人は福岡、もう一人は地元の大学に進学しているが、夏休みで久しぶりに会ったので、母校に遊びに行こうかという話になったらしい。
彼らの近況を聞いたり、同じクラスにいた誰それが今どうしてる的な話題をしたりして盛り上がった。


夜、家に帰って書き物をしていたら、十時過ぎに、今度は私が二度目に担任した生徒たちからケータイに電話がかかってきた。
「センセー、今から出てこれませんか?」
一人は山口、一人は愛媛、一人は島根の大学に行ったが、すでに卒業して社会人になったり、大学院に行ったりしている。岡山で久しぶりに会って、すっかり盛り上がっている様子だったが、…酔っ払った勢いで電話をかけてくるんじゃない!
「明日、保護者対象の進学説明会で、朝早くから準備があるからごめんなー。」
と言って断らせてもらったが、翌日何もなかったら、顔を見たかったし、一緒にも飲みたかったな…。

というわけで、昨日はなんだかマンガ『モテキ』の冒頭を思わせるような展開だったので、しょーもない話かも…と思いながら書くことにした。読者の方には、軽くお読み捨ていただければ。

すごく便利

2013-06-13 22:32:16 | 雑談
先日の話。私の担任するクラスで、教科担任の都合により、翌日の授業に急遽、自習が出ることになった。特に自習課題はないということなので、先日実施したマーク模試の、英語リスニング(30分)の聴き直しをさせることに決めた。すでに自己採点は済ませてある。

しかし、終礼(終わりの会)の時に、「明日、リスニングの問題冊子と模試の『解答の手引き』を持って来ること!」と生徒に連絡するのを忘れてしまった。特に『解答の手引き』には、放送された英文のスクリプトが載っているので、これなしにリスニングを聴き直しても、効果が薄いのだ。

後になってから連絡忘れに気づき、放課後の教室をのぞいてみると、数人が残って勉強している。手分けして、自分の知っているクラスメートにメールで連絡してもらおうと思ったら、委員長が、
「(クラス)全員のメルアド知ってますよ。」
「…一斉送信できる?」
「はい。」
「ラッキー~~~!!!」

早速、一斉送信でメールを送ってもらったが、いやはや、なんとも便利な時代になったものだ。昔だったら、きっと一軒一軒、電話をかけるはめになったのだろうな。

と同時に、さすが委員長、としきりに感心する。人望のある人は、こういうところからしてやはり違うのだ、と改めて気づかされたように思った。

無意味芸能

2013-05-11 22:49:52 | 雑談
先日の現代文の授業で、梅棹忠夫「情報産業社会における芸能」を教えた。高度情報化社会では、本来、生産性を高めるために開発されたはずの最先端技術が、カラオケのような無意味芸能に惜しげもなくつぎ込まれるという、逆説的な事態が生じることを指摘した卓論である。型通り教えたあと、生徒たちとカラオケについての雑談になった。

「先生も高校生の頃は、友達とカラオケに行ったりしてたんですか?」
と聞かれたので、
「あのなあ…(呆れ)」
当時はそんなに気軽に行けるような娯楽ではなかったことを話してやった。

まだ昭和だった私の高校時代、地元にはカラオケボックスなどというものはなく、カラオケはスナックなどで、一曲いくらという感じで歌わせてくれるサービスであった。それも、音源はカセットテープで、歌いたい曲をリクエストすると、お店の人が、その曲は何巻目のテープの何曲目にあるかを確認して、先送りor巻き戻しで頭出しするので、歌い始めるまでに時間がかかった。しかも、今のように、歌詞が画面に表示されるわけではなく、カセットテープとセットの歌詞ブックの該当ページを開いて、手で持って歌うスタイルであった。

「先生、なんでそんなに詳しいんですか?」
「高校生なのに、スナックに行ったんですか?」
…こいつら、勉強は私が当ててもロクに答えられないのに、なんでこういうことには鋭いのだろう。
生徒にはシラを切り通したが、実は高2のときに一度だけ行ったことがある。(両親には黙っていたが、もしかしたら気づかれていたかも。)

カラオケで初めて歌った曲は、当時の文通相手と一緒に「ふたりのアイランド」、あとは「雨音はショパンの調べ」も歌った気がする。
当時は、ビデオカラオケも出始めていたと思うが、高校生にはなかなか縁がなかった。大学に入ってからは、カラオケはメジャーな娯楽となり、その後のレーザーディスク、通信カラオケ、というテクノロジーの進歩もあって、大いに楽しみ、社会人になってからも同僚たちとしばしば歌いに行った。それでも、いちばん楽しかったのは?と聞かれたら、紙を見ながら合わないキーで歌ってしどろもどろになった、最初の時をきっと挙げると思う。