先日、古文の授業で『枕草子』第九十七段を教えたときのこと。
この段は、清少納言が中宮定子にお仕えしたばかりの頃のことと考えられている話である。
中宮定子の御前に、お身内の方々や上流貴族の人たちなどが大勢控えているので、清少納言は廂の間の柱に寄りかかって、同僚の女房たちと雑談をしていた。
すると、中宮が清少納言に手紙を投げてよこす。開けてみると、
「おまえを可愛がるのがよいか、どうか。自分を一番に思ってくれないなら、どうか。」
と書かれていた。
これは、清少納言が日頃から、
「およそ、自分が思う相手(ここでは、中宮定子)から一番に思われるのでなかったら、何にもならない。二、三番では死んでも嫌だ。」
と公言していたので、中宮が大勢の前で、清少納言がどんな対応をするか、見ようとしたのであろう。
中宮が筆と紙を与えたので、清少納言は、
「九品蓮台(くぼんれんだい)の間には、下品(げぼん)といふとも。」(→中宮様にお仕えできるのなら、下の扱いでも構いません)
と、慶滋保胤(よししげのやすたね)の願文の一節を引いて答えると、中宮は、
「自分が一番に思う人に、同じように一番に愛されたい、と思いなさい。」
と仰せになったので、清少納言は「いとをかし」、たいそう素晴らしいと思った、という話。
授業のとき、この「をかし」を“面白い”と訳した生徒がいたので、ここは“素晴らしい”の方がよいと言い、そのことをたとえ話を使って説明した。
「君たちも、自分が一番に思う人がいて、その人から“自分を思い人にしてもいいよ”ってお墨付きをもらったら嬉しいだろ?
たとえば…。
そうだな、男子なら能年玲奈、女子なら福士蒼汰みたいな人を好きだったとして、その人に、“あなたを私の一番の思い人と思ってもいいですか?”と聞いたら、…」
と言いかけたとき、ある生徒が、
「じぇじぇじぇ!!」
と言ったので、教室中が大笑いになった。私も思わず笑ってしまった。
話の腰を折られたのはシャクだが、たしかにたとえ話のこのシチュエーションだったら、こういう返事がかえってきても不思議ではない。
いとをかし。
この段は、清少納言が中宮定子にお仕えしたばかりの頃のことと考えられている話である。
中宮定子の御前に、お身内の方々や上流貴族の人たちなどが大勢控えているので、清少納言は廂の間の柱に寄りかかって、同僚の女房たちと雑談をしていた。
すると、中宮が清少納言に手紙を投げてよこす。開けてみると、
「おまえを可愛がるのがよいか、どうか。自分を一番に思ってくれないなら、どうか。」
と書かれていた。
これは、清少納言が日頃から、
「およそ、自分が思う相手(ここでは、中宮定子)から一番に思われるのでなかったら、何にもならない。二、三番では死んでも嫌だ。」
と公言していたので、中宮が大勢の前で、清少納言がどんな対応をするか、見ようとしたのであろう。
中宮が筆と紙を与えたので、清少納言は、
「九品蓮台(くぼんれんだい)の間には、下品(げぼん)といふとも。」(→中宮様にお仕えできるのなら、下の扱いでも構いません)
と、慶滋保胤(よししげのやすたね)の願文の一節を引いて答えると、中宮は、
「自分が一番に思う人に、同じように一番に愛されたい、と思いなさい。」
と仰せになったので、清少納言は「いとをかし」、たいそう素晴らしいと思った、という話。
授業のとき、この「をかし」を“面白い”と訳した生徒がいたので、ここは“素晴らしい”の方がよいと言い、そのことをたとえ話を使って説明した。
「君たちも、自分が一番に思う人がいて、その人から“自分を思い人にしてもいいよ”ってお墨付きをもらったら嬉しいだろ?
たとえば…。
そうだな、男子なら能年玲奈、女子なら福士蒼汰みたいな人を好きだったとして、その人に、“あなたを私の一番の思い人と思ってもいいですか?”と聞いたら、…」
と言いかけたとき、ある生徒が、
「じぇじぇじぇ!!」
と言ったので、教室中が大笑いになった。私も思わず笑ってしまった。
話の腰を折られたのはシャクだが、たしかにたとえ話のこのシチュエーションだったら、こういう返事がかえってきても不思議ではない。
いとをかし。