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夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

続 月次の会・十一月

2015-12-04 17:24:16 | 短歌
今回も月次の会には、詠草のみの参加。
昨日、当番の方から、当日の詠草が送られてきた。(ありがとうございます。)


今回提出したのは、十月に校外研修の引率で、三瓶(さんべ)山にある施設に宿泊したときの歌。夜にナイトハイクがあり、降るような星々を眺めながら、学生たちと施設周辺の山道を歩いたのだ。

  ①(提出歌)
    星明かりあびつつ歩む新月に近き三瓶の夜の山路を
  →(添削後)
    星明かりあびつつ歩むは月いまだあらぬ三瓶の夜の山路

  ②(提出歌)
    夜間飛行したる心地す満天の星を見つつのナイトハイクに
  →(添削後)
   夜間飛行のごとき思ひぞ満天の星の下なるナイトハイクは

一首目の「山路」は、添削後は「やまみち」と詠むのだろう。
新月に近い、晩秋の三瓶山からは、太古の昔から人々が眺めたような、たくさんの星を見ることができた。
手に取ることができそうなほど近くに星空を見上げながら歩いていると、夜間フライト中の飛行機から夜空を眺めているように感じられた。
先生の添削で、そのときの気分をようやく言葉に乗せ、すくい上げられたかもしれないと思う。

君ありて

2015-11-28 21:17:35 | 短歌
先日、岡山市の吉備路文学館に行ったとき、「15人の文豪による泣菫宛書簡展」という企画展の中に柳原白蓮の歌があった。
倉敷市出身の詩人・薄田泣菫は、大阪毎日新聞社に入社後、学芸部長に進み、芥川龍之介、菊池寛、志賀直哉、谷崎潤一郎、武者小路実篤らを新聞小説の執筆者として積極的に起用するなど、文学界の発展にも貢献した。(同展解説による)


この企画展では、倉敷市が所蔵する泣菫宛の文学者達の書簡が展示・紹介されていたが、芥川龍之介・有島武郎・菊池寛・北原白秋など、錚々たる顔ぶれに驚く。今回初公開の資料もあり、どれも興味深かったのだが、私がいちばん印象に残ったのは、白蓮の短歌だった。

大正9年4月10日の日付を持つ短歌の詠草31首で、筑紫時代の白蓮が、伊藤子の名で大阪毎日新聞に投稿したものである。

  侍女が死にて百日過ぎぬかくてなほあるがごとくもふと文を書く
  筑紫には京(みやこ)育ちの侍女も逝きていよよ淋しき春は又来ぬ
  白雲のただよふ見れば鳥辺野の煙りの末と亡き人おもふ

など、侍女をなくした悲しみを詠む歌に始まり、全体的にしめやかな情調の叙情歌が多い。
その中でも、

  今日もまた夢の続きを見る如くはかなきことをして暮らすなり
  思はれて思ひを知りぬ君ありてこの淋しさも慣らひそめたり
  大方の世の嘆きにも馴れ馴れて今より後は何に泣くらん

の三首、特に二首目の歌が心に残った。この日は、晩秋の時雨が冷たく身にしみるように降っていたので、いっそう。


時雨空

2015-11-14 17:26:23 | 短歌
時雨は晩秋初冬の景物だというが、確かに一昨日の立冬を挟んで、先週から今週にかけ、冷たい雨が降ったりやんだりである。
このところ急に寒くなり、空を暗くして降る雨に、気分が滅入りそうになるが、「時雨」という言葉を思い出すと、その響きになぜか、この時期にしか与えられない素敵なもののような気がしてしまう。


今日の午前中は、来年度からの文化講座についての打ち合わせのため、市内に出ており、その後買い物を済ませて職場に戻って来る途中で、久しぶりに弓ヶ浜に寄ってみた。
秋の頃とは違って、やはり波が高く荒くなったように感じられる。

  時雨する弓ヶ浜より荒れ初めし波路に遠く美保の関見ゆ


空は曇っているが、今日は空気が澄んでいるからか、視界が遠くまで開け、大山の山肌まではっきりと見えた。

  初冬の空かきくれて雲おほふ大山の峰に時雨降るらし

「幾山河」と中国山地

2015-11-12 22:51:19 | 短歌
今回の牧水の全国大会で面白かったのは、お話をされた方々が口々に、牧水の「幾山河」の歌と中国山地との関わりについて言及されていたことだ。
長谷川櫂氏が述べられていたことを、以下簡単にまとめる。

今日、高梁から新見にかけての山々を見ていて、この歌がこの山々から生まれたのが分かった。「幾山河」はまさにこの景色を詠んでいると思った。
なだらかな丸い、幾つも重なった山々。土地が古びて無になっていく。東日本の厳しく切り立った山々や、九州の火山が多い山々とも違う。中国山地の山々でなければ成り立たない。
歌は、その土地から切り離せないところがある。土地と結びついている。
そういう意味で、新見の山々と牧水とが出会ったのは、奇跡的なことだ。

長谷川氏の講演に続いて行われたシンポジウムでも、パネリストの方々が、新見の山々を見て「幾山河」の歌はこれを詠んだものだと実感したと述べておられた。


(牧水二本松公園にある妻・喜志子の歌碑。「あくがれの旅路ゆきつつ此処にやどりこの石文の歌は残しし」)

さて、この日最後のシンポジウムは、「青春の旅 壮年の旅 牧水における旅の諸相」と題して行われた。
パネリストは栗木京子氏・小島ゆかり氏・米川千嘉子氏のお三方で、いずれも新聞歌壇の選者を務めるなどして著名な歌人である。コーディネーターは、歌人であり若山牧水記念文学館館長の伊藤一彦氏だった。

冒頭、伊藤氏から、〈自分と牧水との出会い〉について語ってほしいとリクエストがあり、お三方がそれに答えたところが印象に残った。
栗木氏は、初めて牧水を読んだとき、素敵と思った。男女問わず心を開いて受け入れてくれるところがある。万葉語も自然に声調の中に溶かし込むという生かし方をしている、と述べられていた。
小島氏は、今から10年前に、哲西町から声をかけられ歌碑などを訪れたそうだ。牧水という縁で今も皆さんとつながっていることに感謝していると語っていた。また、牧水の妻・喜志子に触れ、夫は旅をしなければ魂が死んでしまう人だということを理解しつつも、喜志子も生身の女性なので、色々と葛藤があり、歌を見ると屈折した思いも歌っているということを言われていた。
米川氏は、若山牧水賞を受賞した後、新聞などに牧水について書く機会が多くなり、その時に全集を読んだそうだ。米倉氏も夫が歌人なので、夫婦で歌人というのはどういうことか、歌人としてのやりとり、競合などについて、生々しく感じるものがある。喜志子の歌を見ていると、牧水に決して負けていないし、夫が新しく使った言葉を自分の歌に取り入れたりもしている、と話されていた。

時間の都合で最後まで聴けなかったのが残念だが、現代を代表する3人の女性歌人のお話はとても面白かった。

牧水と旅

2015-11-11 22:34:52 | 短歌
若山牧水顕彰全国大会の話題の続き。

先生の基調報告に続き、俳人の長谷川櫂氏が「牧水はなぜ旅をしたか」と題して講演。(長谷川氏は牧水の研究家としても有名。)
氏の講演から、私の印象に残ったところをまとめると…。

若山牧水は、旅によってしか自分の人生をまかなえない、旅をすることでしか生きられない人だった。
旅は死と連続している、死の世界とつながっている。永遠は死の世界の向こう側にしかない。死への憧れは、生の世界から離脱していきたいという願望と一体のものだった。酒も旅と同様、牧水にとっては、この物憂い人生から一時的にせよ、引き離してくれるものだった。

  幾山河越えさりゆかば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

の「さびし」は、単に孤独ということではない。形而上的な、宇宙的な寂しさであり、それがなくなる国はどこにあるのだろう、と感じつつ今日も旅を続けて行くと牧水は歌っている。
宇宙的な孤独、永遠とつながっている、あるいはそこに触れている。よい歌・句や詩には必ずそれがある。萩原朔太郎、西脇順三郎、谷川俊太郎なども然りだ。


(牧水二本松公園の歌碑。「けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれてゆく」)

長谷川氏の講演は、牧水と旅との関わりだけでなく、短歌、また詩歌の創作や鑑賞についての示唆にも満ちあふれており、たくさんのことを学ばせていただいた。