goo blog サービス終了のお知らせ 

夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

早春若菜

2016-02-14 23:21:06 | 短歌
この和歌短冊は、以前、東京の古書店から買い求めたものであるが、時期的にちょうどよいのでご紹介を。


「早春若菜」題で詠まれた和歌で、適宜表記を改めて書くと、

  初わかな摘む手にさゆる春風を袂にためて帰る野辺かな

作者は、短冊裏の小札に、「景樹翁御弟子/柳原安子御方/桂芳院殿ト号」とあるように、江戸時代後期の歌人・柳原安子。
和歌を香川景樹に学び、桂園派の女流歌人として知られた。
一昨年、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』で仲間由紀恵が演じた柳原白蓮の高祖母に当たる。

一般にはあまり知られていないが、柳原安子には自筆歌集(ただし未見)や、父の死の経緯を綴った『夢のなごり』といった著作もあって、相当に文才のある女性であるといってよい。
こうしてみると、血筋というか、文学的センスは遺伝するものなのかもしれないという気がする。

若菜摘みは、(主に女性が)早春の野に出て若菜を摘むことで、新年の行事。
先日、旧正月を迎えたばかりの今の時期にふさわしい話題かと思って取り上げた。

松江歌会(その5)

2016-02-07 21:33:12 | 短歌

米子では昨夜遅くから雪が降り、今日も時折小雪の舞う中、約5カ月ぶりに松江歌会に行って来た。
今回提出したのは、

  雪まとひ峰そそり立つ大山よ神座(ま)す山とむべも言ひけり
  天つ神くだると見ゆる雲間より朝日影さす伯耆大山

の二首。以前詠んでおいた歌を、歌会が始まる前、松江駅前で昼食時に一杯やりつつ推敲したのだが、あまりうまく表現を整えることができなかった。


米子には駅前、駅ナカに昼からこんな感じで気軽に飲める店がない(たぶん)ので、駅ナカにスタバ、ドトールがある点も含めて松江が羨ましい。

  「王禄」を飲みつつ歌の想を練る歌会前のひととき楽し

続 月次の会・一月

2016-01-27 23:38:18 | 短歌
今回の月次の会にも参加はできなかったが、二日後に結社の「新春の集い」があったので、当番の方に会場で詠草を渡していただいた。

今回提出したのは、次の二首。

 ①(提出歌)
   音に聞く山陰の冬の厳しさよ雪雲に日を幾日も見ず
  →(添削後)
  山陰の冬の厳しさ雪雲に覆はれて日を幾日も見ず

  ②(提出歌)
   粟島の丘より見れば中海の彼方に冬の陽は沈みつつ
  →(添削後)
   粟島の丘より見れば中海の彼方に冬の陽が沈みゆく


一首目は、岡山に住んでいたときも、山陰出身の方から、冬は寒く晴れの日も少なく気が滅入ってくる、と聞いてはいたけれど、十二月一月と過ごしてくるうちに、山陰の冬の厳しさを実感して詠んだものである。
元の歌で、下句の「雪雲に日を~見ず」という言い回しが窮屈だと感じていたが、先生の添削のように、初句の「音に聞く」を冗語であるとして省いておけばよかったと思う。
二首目は、わずかな修正であるが、「沈みゆく」としたほうが、今まさに冬の夕陽が沈んでいく光景が読者の心に浮かんできやすいだろう。

二首目は、授業で学生の創作短歌・俳句の投票結果を発表したときに、私の最近詠んだ歌ということで、写真とともに学生に紹介した。
学生たちが冬休みの課題で詠んだ短歌・俳句についての話題は、また後日に。

会津八一

2016-01-15 21:29:25 | 短歌
先週の今日、帰省した夜に、翌日の例会会場が早稲田大であることを母親に伝えると、ぜひ會津八一記念博物館に行くように勧められた。
そういえば、早大には過去二回ほど例会で訪れているが、早稲田キャンパスにある同館には行ったことがなかった。

会津八一(あいづやいち)は早大出身の古美術研究者、歌人、書家(明治44年〔1881〕~昭和32年〔1957〕)。
私は以前、講談社学術文庫の『現代の短歌』(高野公彦編)で八一の短歌を初めて読んだとき、その独特の平仮名ばかりの表記におどろいた記憶がある。


館内には八一の短歌軸が二つあり、いずれもその第一歌集『南京新唱』(なんきょうしんしょう、大正13年)の巻頭歌群「春日にて」のうちの著名歌。

  かすがの に おしてる つき の ほがらかに あき の ゆふべ と なり に ける かも
  もりかげ の ふぢ の ふるね に よる しか の ねむり しづけき はる の ゆき かな

同館には、八一の書いた「学規」も展示されていた。
これは大正3年、八一の郷里・新潟から上京した三人の受験生を自宅(秋艸堂)に預かることになり、八一が彼らのために与えた訓戒である。

  一、ふかくこの生を愛すべし
  一、かへりみて己を知るべし
  一、学芸を以つて性を貴ぶべし
  一、日々新面目あるべし

もともとは早稲田中学校の教師(一時期、教頭も務めた)であり、教育者としても真摯であったという八一の人柄がうかがわれるような言葉であった。

続 月次の会・十二月

2015-12-29 22:08:36 | 短歌
今回の月次の会には、無理をすれば出られるかとも考えたが、当日は夕方まで会議があり、翌日は部の遠征で山口だったので断念した。
昨日、当番の方から、当日の詠草が送られてきた。(ありがとうございます。)

今回提出したのは、十日ほど前、吹雪のあった日と、その翌朝に詠んだ歌。
前回の当番の方が、私に当日の詠草を送ってくださった際、「次回は、雪の大山のお歌があるでしょうか。」ということを書かれていたので、期待されているかもしれないと思い、拙い歌をひねってみたのである。


(提出歌)
  大山より海の方へと吹く風に雪おこしの音遠く響かふ
(添削後)
 大山より海の方へと吹く風は雪おこしの風か遠く響かふ

(提出歌)
  かくてこそ大山と思ふ白妙の雪降り積みて天にそびゆる
(添削後)
  かくてこそ大山と思ふ白妙の雪をかづきて天にそびゆる

一首目は、吹雪いて大荒れだった日に、窓の外を見やると、大山から海の方に吹き下ろしてくる風に乗って、遠くから雪おこしの音が響いてくるように感じられたので、詠んだ歌である。
句切れなしの説明的だった歌を、疑問形を用い四句切れとすることで、印象鮮明な、生気ある歌になった。
二首目は、わずかな変更とはいえ、「雪降り積みて」という客観的描写から、「雪をかづきて」(雪をかぶって、頭上にいただいて。)という擬人法を用いた表現にすることで、神山としての大山を詠むにふさわしい歌になったと思う。

今年の納会に参加できなかったのは残念だが、来年もまた、先生と歌会のみなさんと共に、よりよい歌を目指していけたらと祈っている。