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夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

出雲大社

2013-02-12 23:37:29 | 旅行


「縁結びの神」として知られる、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ=だいこくさま)を祀る出雲大社。今年は、私の担任する学年の生徒たちが三年生になるので、入試や就職試験に合格して、大学や専門学校などの進学、あるいは就職先と幸せなご縁を授かるようにお祈りしてきた。

昨年ここに来たときはまだ、写真奥の本殿が大修造中で、工場のように周りを覆われ、全く見えなかった覚えがある。しかし今回は、六十年に一度の「大遷宮」を今年の五月に控え、清らかに蘇った姿を見ることができた。背後の八雲山の緑と空の青に引き立てられ、葺き替えを終えた真新しい檜皮(ひわだ)と、千木・勝男木を頂いた本宮が、美しく映えている。

出雲大社では、生まれて初めて祈祷というものを受けた。生徒たちの学業成就を祈ろうと、受付で初穂料を納め、呼び出しを受けるまで待って、祈祷場所に移動。厳粛な雰囲気の中、祝詞があげられ、巫女さんが五色の帯のついた鈴を振り鳴らしながら舞う。その様子を見ていると、演劇が元来、神事に由来するというのがよくわかる。祈祷が終わり、御神酒を頂いて出てきた。次は神楽殿へ。



この神楽殿は、昭和五十六年に造営されたもので、祭典、祈願、結婚式などが行われる。私の大学の先輩は、ここで結婚式を挙げていた。(年賀状に、その時の写真が映っていた)。



この大注連縄(しめなわ)は長さ13.5㍍、胴回り9㍍、重さは五㌧もあり、日本最大の大きさなのだという。出雲大社では何もかもがスケールが大きく、ほとんど圧倒されて帰ってきた。

…今日の授業の時、生徒に、
「君たちの合格や進路実現を、出雲大社で祈願してきたよ。」
という話をした。
「だいこくさまは、どんな願いでも聞き入れてくれるらしいよ。」
と言ったあとで、この話を都合のいいように解釈され、努力を怠る生徒が出てきては困ると思い、
「あ、もちろん、自助努力しないヤツはだめだけど…。努力した生徒にはすばらしいご縁が、そうでない生徒にはそれなりに。」
と言ったら、生徒たちが笑っていた。

薬師湯

2013-02-11 18:18:52 | 旅行


温泉津(ゆのつ)温泉は、日本有数の源泉掛け流しの温泉。その湯元は二ヶ所にあり、その一つがこの薬師湯。レトロな洋風建築で、思わず入ってみたくなる。

営業は朝六時からなので、六時に目をさましてすぐに行ったつもりが、すでにお年寄り五人ほどが入湯しておられた。地域の方々で、ここの常連さんのようだ。私も湯に浸かりながらお話しするが、皆さんとうに還暦は過ぎておられるように見えるのに、シミひとつないキレイな肌でいらっしゃる。
「ここの湯に入ると、他には入られんなあ」
と言って笑っておられた。

彼らのうち何人かは、漁師さんであるらしく、ここ数日、海が時化て、漁にならず、体がなまってしかたがないと言っておられた。

旅に出ると、普段はまず会えないような人に会ったり、その地域の人々の暮らしに触れる機会を持てるのが楽しい。


〔2/13追記〕


薬師湯の建物の屋上(3F)はガーデンテラスになっており、町並みの眺望が楽しめる。出窓のある2F部分には喫茶スペースがあり、無料で美味しいコーヒーをいただくことができる。
写真右側の屋根は、隣接する木造洋館(大正8年建築)のもの。建築学的にも貴重な建物と評価されているそうだ。

旅館の窓から

2013-02-11 08:34:39 | 旅行
私の泊まった部屋は、この旅館で一番見晴らしがよいとのこと。
石見地方に特徴的な赤瓦と、龍御前(たつのごぜん)神社の旧本殿が見える。
屋根に隠れて見えないが、この下に本殿があり、一昨日そこで神楽が奉納されていたそうだ。
本物の石見神楽…。次に来るときは、必ず見てみたい。

温泉旅館

2013-02-11 07:42:49 | 旅行
明治四十三年創業、かつては廻船問屋を営んでいたという旅館。木造三階建て、廊下を歩くとミシミシいったりする。

休憩所のところに柱時計が並べてあったり、卓球台があったり、足付きのラジオ、客室にはこたつに鏡台に裸電球と、徹底した昭和レトロ志向にはこの旅館の心意気を感じる。

この温泉街で、最初に旅館に板前を置いたのはこの店らしく、食事はどれもとても美味しかった。写真は出雲蕎麦と糸引かるかん蒸し、魚の唐揚げ。この他にも、蛸酢、平政や鰆などのお造り、鴨ロース、蟹茶碗蒸しなど、舌でも目でも、存分に味わった。

いい感じにひなびた温泉街の風情を満喫できる旅館だ。

石見の海

2013-02-10 23:17:41 | 旅行
三里ケ浜の辺りで車をとめ、海を眺める。

冬の日本海の波の荒さは、知っているつもりでも、こうやって見ると、改めて人を容易には近づけない自然の厳しさを思う。

人麿も、冬の海を眺めて何かを思うことはあったのだろうか?また、隠岐島も、現代でも冬場は波が高く荒くなるので、フェリーが運航しなくなるほどだから、昔、配流された後鳥羽上皇が、冬の間、閉ざされた島の中でどのように暮らしていたのか、気になってしまった。

  つのさはふ石見の海にここだくも荒き波風磯に響動(とよ)みて