陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

《大序曲 1812年》 を聴く

2011-09-07 16:06:16 | 読書・映画・音楽
 表題は、ナポレオンのモスクワ遠征とその退却(1812)を描いく優れた情景音楽。ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが1880年に作曲(40歳の時の傑作)。変ホ長調作品49。初演は作曲の2年後にモスクワで行われた。

 フランス帝国皇帝ナポレオン・ボナパルト1世は、「トラファルガーの海戦」(1805)には破れたものの、「アウステルリッツの三帝会戦」(1805)で大勝利を収め、これを記念してパリに巨大な凱旋門を作らせた。ナポレオンが35歳の時である。残念ながら、これは彼が失脚した後に完成したのだが・・・。

 その後、紆余曲折を経て、ナポレオン(当時42歳)は大陸封鎖令を破ったロシア帝国と本格的な戦いを始めた。フランス帝国陸軍を中心に、同盟国軍隊を77万人組織動員した。これを欧州大陸軍と呼ぼう。この内、フランス兵力は約45万人。その中核は、騎馬兵に当時の高性能小銃を持たせ、迅速に戦いを進める竜騎兵、それに野砲軍団であり、これを効果的に運用するのがナポレオンの戦術的特徴だ。

 ロシア帝国軍は、コサック兵を含めて約90万人、これを各地へ分散配置した。だが、堅固な防衛線を構築しようとしても、欧州大陸軍の進撃が早過ぎて、それが上手く行かない。撤退を続けるロシア帝国軍は、総司令官を入れ替えて、クトゥーゾフ将軍が迎撃戦線を担当する。だが、彼も焦土作戦を以って、後退せざるを得なかった。

 しかし、ナポレオン軍も余りの進撃の早さに脱落する兵士が続出、総兵力は約15万人に激減した。寄せ集め兵力の悲哀である。この年の9月7日、大都市モスクワから約100km西部の大平原で、両軍は満を持して雌雄決する会戦を行った。所謂「ボロジノの戦い」である。

 残存する欧州大陸軍13万人であるが、迎え撃つロシア帝国軍はボロジノ部隊の12万人、1日で終わった激戦の結果は大陸軍3.3万人、ロシア帝国軍4.4万人の犠牲者を出し、事実上の引き分けになった。

 クトゥーゾフ総司令官は、残兵に総退却を命じ、兵力温存のためモスクワ郊外へ去った。

 さて、この曲の構成であるが、

前編(4分40秒)
 第1部 Largo、第2部 Andante

 語りかけるように、弦楽器で聖歌が流れる。それに木管楽器が加わって、オリエンタルな変奏。そこへティンパニーの強音があって、トランペットによるロシア軍の行進が示される。

後編(10分08秒)
 第3部 Allegro giustro、第4部 Largo、第5部 Allegro vivace

 ここでは、<ラ・マルセイエーズ>(仏国歌)をホルンで高らかに響かせながら、「ボロジノの戦い」が描かれ、ロシア帝国軍の退却を語る。

 フランス軍がモスクワへ入城し、静かな時が流れる。クトゥーゾフ将軍は、モスクワ防衛を困難と見て、欧州大陸軍がモスクワ入城後、街に火を放ち大火災を起こす。一方、後方に新たな防衛線を構築する。それらがオーケストラで語られている。

 市民が去り、焼き払われて食料調達が不可能なモスクワ。それを一応占拠した欧州大陸軍だが、初冬を迎え飢えと寒さに喘ぐようになる。兵站を軽視していたナポレオンは、脱走する兵士の多さを見て一旦引き上げを決意する。<ラ・マルセイエーズ>が弱々しく響く。

 引き上げを開始した欧州大陸軍に、士気を取り戻したロシア帝国軍は、大砲を撃ちかけて追撃。大陸軍はボロボロになって、総退却、欧州へ逃げ帰る。戦勝を祝うように、寺院の鐘が高らかに鳴り、野砲がこれに応え(11発)、ロシア帝国国歌が流れて、曲はクライマックスを迎え、コーダ(終曲)へ向かう。

 後半部に実際の野砲の音響と大寺院の鐘が響き渡る演奏もある。

チャイコフスキー 1812年(序曲) 小澤征爾指揮



 このナポレオンの大敗北により、欧州各地へは彼へ反旗を翻す国が続出、以後ナポレオンは凋落の道を歩む。


 私の持っているCDは

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ポリドール社製 GCP-1027

 この演奏では、最初の弦楽器演奏導入部部分(聖歌)をドン・コサック合唱団が担当。
 こちらは、フランス軍の侵攻をかなり勇ましく演奏している。
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