陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

鎌倉の紫陽花探訪

2008-06-20 12:46:30 | 旅行
 6月中旬は、鎌倉の紫陽花が満開になる。横須賀市に住むMK博士と懇談をする機会に、連れ立って紫陽花見物と洒落込んだ。

 晴れた日の午後、<鎌倉ホテルMori>にチエックインして待ち合わせ、<なかむら庵>(十割そば)へ赴き、盛りそばを食べる。この店は中々美味だが、量が少ない(笑)。北鎌倉駅へ電車で移動し、そこから出発して、まず鎌倉五山第二位、瑞鹿山「円覚寺」(臨済宗円覚寺派大本山)へ。

 円覚寺は、第8代執権北条時宗が無学祖元(シナの高僧)に勧請して開いた名刹。威容を誇る山門から覗いて見た所、ここの紫陽花は大したことがないと判断して入山を止め、覚山尼(時宗の妻)で知られる松岡山「東慶寺」(縁切り寺;臨済宗)へ行った。

 石段を登り、山門を抜けた東慶寺境内には青色の玉紫陽花(セイヨウアジサイ)が咲き乱れ、それなりに楽しめる。酸性度の強い土壌では、アントシアニンの変化で紫陽花の青色が強くなる。アルカリ性の土壌では赤味が増す。リトマス試験紙の発色とは逆だ。そして紫陽花は色変わりする。その移り気が気に入らぬ人もいる。

 「東慶寺」では、花菖蒲も美しく咲いている。ここには、文人達のお墓が沢山あるとのこと。お墓の横の大岩に、可憐な岩煙草の花が咲いていた。宝蔵の手前には、国歌・君が代に出て来る「さざれ石」(石灰質角礫岩)があった。

 次いで、10分ほど歩いて紫陽花の名所と言われる福源山「明月院」(臨済宗、本尊は観世音菩薩)へ行く。川沿いの途中に個人の洒落た絵画館があり、そこで一休み。鎌倉のお寺は、ベンチを置いていないので、休む場所を探すのに苦労する。金属製の洒落た椅子に座って暫く懇談を楽しんだ。

 「明月院」も青い玉紫陽花が中心で、株数は2500と随分多い。ガクアジサイも見られる。若葉の緑とよく調和した青色だ。花曇りで過ごし易い午後のだが、ウィークデーのためか、観賞する人の数は比較的少なかった。菖蒲園も併設されているが、別料金なのでこれは敬遠。本堂の丸窓が額のようになって菖蒲を見ることが出来る。

 休憩所で休んだ時、傍に大きな梅の木があるのに気が付いた。よく見ると実が沢山成っている。まだ収穫には早そうだ。MK博士の自宅庭には、梅の木があり、毎年沢山収穫し、梅酒を仕込むとの事。その梅の実に比べると、此処のは形も色も綺麗とのこと。俗界を離れると、梅の実も清浄になるのだろうか(笑)。

 境内にある第5代執権北条時頼(享年37歳)の墓所を詣で、「鉢の木」の故事を話題にした。時頼のような魅力ある政治家の登場が乱れきった現代には是非必要だ。

 「明月院」を出て、鎌倉街道沿いに進む。気温が上がったので、上着を脱いだ。偶々慣れぬ革靴を履いて来たため、足を痛めてしまい、引き摺るようにして歩く。鎌倉の散歩は、ハイキング・シューズか、スニーカーが一番。レストラン<去来庵>で一休みと思ったが、午後3時を過ぎていたので店は閉まっていた。ここは、ウィークデーの閉店が早いようだ。

 更に進むと、「亀ヶ谷切り通し」の手前に洒落たカフェ<鎌倉Sakura>があり、そこの板張りテラスで再び休憩。MK博士はコーヒー、私はビールを頼む。オーナーの若い娘さんの甲斐甲斐しい接待を受けた。街道沿いの民家にも、青、紫、赤など沢山の紫陽花が咲いていて、眼を楽しませる。
http://plaza.rakuten.co.jp/kamakurasi/diary/200802170000/

 10年ぶり位に訪れた鎌倉だが、鎌倉街道沿いは殆ど変わっていない。鎌倉五山第一位、巨福山「建長寺」(臨済宗建長寺派大本山)は既に門を閉じていた。ここは、紫陽花は大したことが無いと思っていたので、門から覗きもせず横を通り過ぎる。この寺は、北条時頼(最明寺入道)が蘭渓道隆即ち大覚禅師(シナの高僧)に請うて開山したこと、それにけんちん汁の発祥の寺であることを思い出す。

 福田政権の駄目ぶりを語りながら歩いていると、何時の間にか「鶴岡八幡宮」に到着。ここには、紫陽花の見所が殆ど無し。だが、池の花菖蒲が見事である。新装成った舞殿(静御前が頼朝の前で舞ったとされる)を眺め、継いでに源氏池にある鎌倉七福神の一つ「旗上弁財天」と洞窟をお参りした。

 三の鳥居を潜って八幡宮を出、「若宮大路」を歩く。桜の老木が車両排気ガスを浴びて、痛々しい感じがする。段葛を通り過ぎ、やがて鎌倉駅前のホテルへ戻った。これで、13000歩程度歩いたことになる。右足の靴擦れが痛く気になった。

 ホテルで休憩してから、鎌倉駅西口近くの割烹<仲の坂>へ行き、鱸(すずき)の洗いや鯛の刺身、揚げ出し豆腐、お浸しなどで熱燗を味わう。

私「紫陽花の青も結構濃い場合があって鮮やかですが、それと瑠璃色のフェルメール・ブルーは大分違いますな」
MK「フェルメールのは、ウルトラマリン無機顔料だしね。不透明で、しかも彩度と言うか青の深みが違うのでしょう」
私「真珠の耳飾りの映画では、少女が精製した顔料を丁寧に擂り潰して、亜麻仁油を加え絵具にしていた」
MK「あれは当時とても高価な顔料だったようだよ」
私「画集で見る写真の青色と、マウリッツハイス美術館で見た原画のブルーは相当に違うようですね」
MK「それは、黄色も同じだと思う。アムステルダム美術館の『牛乳を注ぐ女』の洋服の色を見ると良く分かるんじゃないかな」

 フェルメールと紫陽花談義が弾んで、料理に手を付けるのを暫し忘れていた。最後は、卵雑炊で仕上げ。二人とも、年寄りだから余り食べないのだ(笑)。この割烹では、MK博士に御馳走になり、実に恐縮。歩き疲れたためか、ホテルへ戻ってベッドへ入った途端、ぐっすりと眠り込んでしまった。

 翌日は、朝食後に江ノ電で「長谷寺」へ行く。ここの紫陽花は、青、紫、赤、白と将に色取り取り、西洋紫陽花、顎紫陽花などそれぞれに種類も実に豊富。中々見事な景観であった。長谷観音を拝観した後、眺望の良い場所に置かれた頑丈な木製のテーブル付き椅子に座って、暫し遠くに広がる由比ガ浜海岸を眺める。観光バスが来ていないためか、観光客の数は今の所少ない。

 MK博士の小型スケッチブックを拝見しながら、水彩画の妙味を聴く。彼は、画才があり、水彩絵葉書が得意で、旅行誌に何度も入選する腕前。私も、彼の描いた果物の絵葉書やブダペスト風景の絵葉書を頂いたことがある。懇談を続けながら、ゆったりとした贅沢な時間を過ごす。

 長谷の大仏さんは敬遠し、次は「御霊神社」へ。ここの裏庭小路の紫陽花は、あまり人に知られていないとの事、種類が多くて、花弁数を比較しながら楽しんだ。

 痛い足を引き摺って、弘法大師ゆかりの法立寺「成就院」(真言宗)へ移動。「極楽坂切り通し」の道沿いにある「成就院」への石段をゆっくりと登る。この108段の石段沿いに、各種紫陽花がこれでもかと言う位に咲き誇り、実に見事であった。ここへ訪れる観光客は多いから、通り抜けるのに苦労する。

 今までに見た中で、ここの紫陽花は株数も多く(262株)、一番見事であった。石段を登り詰めると、由比ガ浜の海岸が良く見える。山門は午前8時開門だから、その頃来るとゆっくり紫陽花を観賞出来たのかも知れぬ。「成就院」境内には、本尊の不動明王を除き、特に見るものも無い。石段に佇む観光客が益々増えたので、上りとは反対側の石段を下って、切り通しの道を歩き「極楽寺」へ。

 霊鷲山「極楽寺」(真言律宗)の茅葺山門を潜り、桜並木を通る。残念ながら、この寺には紫陽花の見所は無かった。大きな百日紅(さるすべり)の老木が目に付く。ここは忍性上人の開基した大寺であったが、足利時代や戦国時代の戦火で焼かれて、今は本堂(吉祥院)を残すだけ。

 江ノ電・極楽寺駅から乗車して長谷へ戻り、由比ガ浜まで歩いた。砂浜では、海の家の設置準備をしている。早めの昼食をと海岸沿いのレストランを探したが、ウィークデーは午後4時から開業とのこと、あるいは案内書にあった店は臨時定休日だったりして期待はずれ、鎌倉駅へ戻ることにした。

 確かに、鎌倉周辺には紫陽花が多い。有名な社寺は勿論、普通の家にも垣根のように育てていたり、庭の植え込みになっている。紫陽花生育に向いた土壌なのだろうけれども、このように沢山あるのは歴史的理由でもあるのだろうか。

 全国には、何万株もの紫陽花を植えた名所が幾つもあると聞く。また関西には、宇治・三室戸寺の紫陽花園のように、鎌倉に負けない変化と情緒を持った場所もある。そこは、私にとって懐かしい場所でもある。関東には、700―800年の歴史遺跡を持つ場所としては鎌倉以外に無いから、紫陽花観賞と共に歴史を探訪したり、明治以降多くの文人達が住んだ場所としての興味が持たれるのだろう。

 二日間、紫陽花を楽しんだ思い出を胸に、MK博士とJR鎌倉駅で別れを惜しんだ。彼は、美味な鎌倉名物<井上かまぼこ>を土産に整えて下さった。感謝!!
http://plaza.rakuten.co.jp/kamakurasi/diary/200701130000/

 あと2週間もすると、我が家の紫陽花も開花するだろう。それを合図に、「笹野観音」の紫陽花大群落を見に行くことにしよう。
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