陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

二・二六事件:昭和反乱の姿

2007-02-26 16:23:18 | 大東亜戦争
 今から71年前の昭和11年(1936)2月26日仏暁、東京在住の一部陸軍若手将校達が部下の兵士1483名を率いて、当時の為政者を襲撃・殺害した。彼らのスローガンは、「昭和維新・尊王討奸」であった。

 この報を聞いて、国家運営の見地から終始振れないで彼らを反乱軍と断じ、鎮圧を指令したのは先帝陛下(昭和天皇;御歳35才)と石原莞爾参謀本部作戦課長(陸軍大佐;42才)のみであった。綺羅星のように輝く陸軍大将が大勢いる中で、直ちにまともな対応や判断を下せる者はいなかったのだ。

 事件の発端、経緯、処分と影響については、ウィキペディア「二・二六事件」に詳しい。

 入手可能な書籍では

○高橋正衛「二・二六事件-『昭和維新』の思想と行動
改訂増補版(中公新書、1994)

○ 筒井清忠「昭和期日本の構造 二・二六事件とその時代」
(講談社学術文庫、1996)

○ 松本清張「昭和史発掘 8巻-13巻」(文春文庫、1979)

辺りがかなり詳しいし、時代背景が良く分る。

 陸軍皇道派の若手将校による突出行動を理論面から支えたのは、「日本改造法案大綱」を記した北一輝(51才)である。右翼理論家の大川周明(50才)は、4年前の五・一五事件(昭和7年:1932)に関与して、反乱罪により5年の禁固拘束中であったから、直接この事件には関与していない。

 結果は16名が反乱罪で死刑(銃殺)、6名が同罪及び反乱者利益供与で無期禁固となった。民間人の北一輝、元騎兵少尉の西田税(34才)も反乱罪で死刑になった。

 彼らを心情的に支持し、煽ったのは皇道派の巨魁真崎甚三郎陸軍大将(60才)、荒木貞夫陸軍大将(59才)である。真崎は、翌年1月、反乱幇助で軍法会議に起訴されたが、否認を続けて無罪となった。この両名は、事件後予備役に編入された。荒木は、その後2回(1938、1939)に亘って文部大臣を務め、軍国教育強化に寄与した。

 明治維新に範を取って、君側の奸を排除するとした青年将校であったが、将来展望も無く、肝心の天皇陛下の激怒を買った。軍人の暴挙は昭和に入り、張作霖爆殺事件を嚆矢として下克上の雰囲気を伴って著しくなり、二・二六事件でその頂点に達したと言える。

 私の意見は、青年将校の心意気は買う、だが、こんな中途半端な暴発なら絶対にやるなと言う事だ。立憲君主制の当時であっても、軍人は政治に関与すべからずとの「軍人勅諭」があり、真崎・荒木両大将を含めて青年将校達はそれに違反している。違反を承知で暴力革命をやるなら、必ず成功するように、そして革命後のグランド・デザインを持って運べと言いたい。

 何事にも、「志」が重要である。特に政治においてはそうだ。さて、現在の自衛隊の若手幹部には、二・二六事件の青年将校のような心意気があるのだろうか。
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1 コメント

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祝!建国記念日 (春九千(chunjiuqien@infoseek.jp))
2013-05-03 03:09:36
pdf版(*^ヮ゜)σ(http://ume-up.ddo.jp/cgi/up/qqq/nm65769.zip.html)
祝!建国記念日

日本国憲法が施行された5月3日は、日本国の建国記念日といっても差し支えあらへんでえo(^-^)o
いや、どっちかってゆうたら、2月11日よりも5月3日のほうが建国記念日にふさわしいんとちゃうか?( ̄▽ ̄)b

そうや!\(*>ω<*)/
今んとこ「憲法記念日」となってとる5月3日を(・_・)b
「建国記念日」に制定しようやないか!o(^▽^)○オーッ

祝!建国記念日
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