陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

73年前に沖縄戦で散華した叔父を想う:鎮魂のために<海行かば>を捧ぐ

2018-05-31 21:50:38 | 大東亜戦争

 気が付いたら明日から6月、時の過行く様は早いものだ。

 芍薬が大輪の花を咲かせている。菖蒲(あやめ)も濃い紫の花を付けて、すっきりと伸びている。今年は木香薔薇(もっこうばら)が殊の外元気が良く、沢山の白い花を咲かせた。実に平穏無事な日常である。

 

 さて、叔父(父方)・八郎は、73年前の昭和20年5月下旬、鹿児島県にある鹿屋海軍基地から零式戦闘機(ゼロ戦)に乗り、激戦中の沖縄方面に出撃、特攻により戦死した。享年24歳(未婚)。海軍横須賀航空隊からの転属であった。

 何処で戦死いたのか、その戦いぶりはどうであったのか全く伝えられていないのだが、私は百田尚樹著<永遠のゼロ>で描かれた戦闘場面のようなものであったろうと想像している。

 当時、私は4歳で帯広の郊外に住んでいた。生前の八郎叔父に会うことも無く、また亡き父はこの弟のことを殆ど語らなかった。

  現在、叔父は靖国神社に英霊として祀られているが、改めて感謝と慰霊の誠を捧げ、<海行かば>を聴くことにした。

<軍歌・準国歌>海行かば

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