陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

66回目の8月15日

2011-08-16 23:40:43 | 大東亜戦争
 8月15日(月)の正午、燦々と照る陽光の下で、先の大東亜戦争中に落命した英霊に対し、静かな祈りを捧げた。樹木の間から聞こえる蝉の集(すだ)く音は姦しい位だが、66年前のこの日、玉音放送でポツダム宣言受諾を聞いた時は、やはり蝉が激しく鳴いていたのだろう。私は幼児だったので、定かでないのだが・・・

 この日は、「終戦の日」として我が国では定着しているが、玉音放送が「終戦の詔勅」と言われることと関係しているのだろう。だが、戦争はこの日で終わったのではなく、ポツダム宣言を受諾し、我が帝国陸海軍が武器を置くことを国民に知らしめた日である。

 実際、満州や北方領土では、不法に攻め込んだソ連軍との戦いが続いた。我が国に上陸した占領軍先遣隊との争いは無かったが、9月2日、東京湾上に浮かぶ米国戦艦<ミズーリ>上で、帝国陸海軍代表が降伏文書に調印し、それで敗戦が確定した。

 だが、広義の戦争は未だ終わっていなかった。それから6年と8ヵ月後、昭和27年(1952)4月27日深更まで、GHQによる日本占領状態は続き、その間国家主権は完全に停止された。サンフランシスコ講和条約が4月28日に発効して、我が国は独立し、ようやく主権を取り戻したのである。この講和条約発効が真の終戦を意味し、本来なら4月28日を国家記念日に制定すべきだろう。

 菅<亡国>内閣の閣僚は、昨年に続き誰一人として「靖國神社」へ参拝しなかったが、英霊も薄汚れた彼等には会いたくはないであろう。


参考:

 終戦の詔勅
http://blog.goo.ne.jp/charotm/e/d123cb51a22f20ca6d61019348c074c9

 終戦記念日に想う
http://blog.goo.ne.jp/charotm/e/a765c9b945a2e657bacd82debc94fbaf

 63回目の終戦記念日
http://blog.goo.ne.jp/charotm/e/f218d281bccb4cecabb9fdcaeccdd279

 「終戦の日」と「敗戦の日」
http://blog.goo.ne.jp/charotm/e/cee1269fb677a06639925b4f3e091b11
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 献金疑惑に塗(まみ)れた菅... | トップ | 五山送り火と「高田の松」の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大東亜戦争」カテゴリの最新記事