昨年(2015)暮れから、緑内障が急に進行し、視力が著しく低下した。自家用車の運転は最早不可能だし、動態把握も困難になっている。白黒のコントラストを上手く捉えることが出来なくなった。PC画上では、文字を大きくしたりして見ることもあるが、直ぐに疲れてしまうので長続きしない。
加えて体調も思わしくなく、特に今年の夏は来客の時を除いてベッドで横になることが多かった。以前からTVを見る機会が少なかったが、珠(たま)には YouTube で<虎ノ門ニュース>を聞いたり、馬淵睦夫元ウクライナ大使、中西輝政京大名誉教授、あるいは藤井厳喜氏らの論説をベッドで寝ながら拝聴した。彼らの闊達な御意見を聞き、成程な・・・と思いつつ考え込んで、そのまま睡魔に誘われ熟睡することが屡々であった(笑)。以前は、大いに親しんだNHKの<ラジオ深夜便>とは殆どご無沙汰状態である。
徒然なるままに、古典音楽や抒情歌のCDに親しむこともあるが、今春以降軍歌や戦時愛唱歌をのんびりと聞いたりしている。その中でも、梅木三郎作詞、高木東六作曲の<空の神兵> は優れた作品と改めて感じ入った。
大東亜戦争開始直後の昭和17年(1942)2月14日、帝国陸軍はインドネシア・スマトラ島パレンバンへ陸軍落下傘部隊(300名)による奇襲攻撃を敢行、見事な形で目的を達成した。同島の石油資源確保が狙いであった。我が国民は、その勇気と栄誉を称え、また <空の神兵>の歌、及び関連映画を作製した。
空の神兵
https://www.youtube.com/watch?v=GZ2qbM6shVU
ここで朗々と唄っているのは、男装の麗人 佳館杏ノ助(よしたて きょうのすけ)さん。戦後も何人かの女性プロ歌手がこの作品を唄っていたが(例えば、ペギー葉山さん)、声量、音程、声の伸びやかさなど、佳館さんの歌唱は大変優れていると思う。
曲中に演奏されるグロッケンシュピール(チャイム)の音は、次々に落下傘が開く姿を表している。
さて、昭和45年(1970)の頃、私は長野県佐久市で企業技術者として勤務していた。大規模な工場建設が進行中で、事業部からの単身赴任者が多く、独身の若者たちと共に私は寮生活を楽しんだ。そんな訳で、会社も気を遣ってくれて2週間に一度は技術部の酒食懇談会を企業負担で気前よく催した。場所は市内の料亭で、25人位の部員が飲み食いをし、若い仲居さんと戯れる。その日は天下御免で会社(本社)の悪口を言い合った(笑)。
酒がどんどん進むと、幹事役が指名して皆に歌わせたりした。当時は、カラオケ機材など皆無だから、皆得意の歌をアカペラで披露し、気に入れば手拍子で大いに応援した。<私の城下町>や<瀬戸の花嫁>を唄い、<知床旅情>が流れ、新卒の社員は<若者たち>などを大声で合唱した。
ボスであるYI技術部長(工学博士)が指名された時、彼は立ち上がり、<空の神兵>を堂々と歌った。彼は島根県の出身で、別の幹部懇談会では<泥鰌掬い>の歌と踊りを楽し気に披露されていたから、私には些か新鮮に思えたのであった。私より6歳年下の後輩が部長の歌声に合わせて、3番、4番と歌い継いだのが印象的だった。歌い終わった部長は、私を指名されたから調子に乗って<ラバウル小唄>を披露したところ、多くの若者が唱和してくれた。
<空の神兵>を聞きながら、小池百合子東京都知事のことを思い起こした。彼女は、小泉郵政改革の中で、<刺客>として東京都豊島選挙区(衆議院)に落下傘兵(!)として挑戦、見事勝利を収めた。今年7月中旬の都知事選では、単身断崖から飛び降りると述べて、再び落下傘兵の如く振る舞い、その意思を通すことに成功した。只今は、築地市場移転、2020東京オリンピック・パラリンピック運営、広尾病院移転に絡めて、都政刷新に邁進している。彼女の健康の許す限り、初期の目標を完遂されるよう念じて止まない。
(参考)
高山 正之・奥田 實 「なぜ大東亜戦争が起きたのか?~空の神兵と呼ばれた男たち」(ハート出版、2016、12)
加えて体調も思わしくなく、特に今年の夏は来客の時を除いてベッドで横になることが多かった。以前からTVを見る機会が少なかったが、珠(たま)には YouTube で<虎ノ門ニュース>を聞いたり、馬淵睦夫元ウクライナ大使、中西輝政京大名誉教授、あるいは藤井厳喜氏らの論説をベッドで寝ながら拝聴した。彼らの闊達な御意見を聞き、成程な・・・と思いつつ考え込んで、そのまま睡魔に誘われ熟睡することが屡々であった(笑)。以前は、大いに親しんだNHKの<ラジオ深夜便>とは殆どご無沙汰状態である。
徒然なるままに、古典音楽や抒情歌のCDに親しむこともあるが、今春以降軍歌や戦時愛唱歌をのんびりと聞いたりしている。その中でも、梅木三郎作詞、高木東六作曲の<空の神兵> は優れた作品と改めて感じ入った。
大東亜戦争開始直後の昭和17年(1942)2月14日、帝国陸軍はインドネシア・スマトラ島パレンバンへ陸軍落下傘部隊(300名)による奇襲攻撃を敢行、見事な形で目的を達成した。同島の石油資源確保が狙いであった。我が国民は、その勇気と栄誉を称え、また <空の神兵>の歌、及び関連映画を作製した。
空の神兵
https://www.youtube.com/watch?v=GZ2qbM6shVU
ここで朗々と唄っているのは、男装の麗人 佳館杏ノ助(よしたて きょうのすけ)さん。戦後も何人かの女性プロ歌手がこの作品を唄っていたが(例えば、ペギー葉山さん)、声量、音程、声の伸びやかさなど、佳館さんの歌唱は大変優れていると思う。
曲中に演奏されるグロッケンシュピール(チャイム)の音は、次々に落下傘が開く姿を表している。
さて、昭和45年(1970)の頃、私は長野県佐久市で企業技術者として勤務していた。大規模な工場建設が進行中で、事業部からの単身赴任者が多く、独身の若者たちと共に私は寮生活を楽しんだ。そんな訳で、会社も気を遣ってくれて2週間に一度は技術部の酒食懇談会を企業負担で気前よく催した。場所は市内の料亭で、25人位の部員が飲み食いをし、若い仲居さんと戯れる。その日は天下御免で会社(本社)の悪口を言い合った(笑)。
酒がどんどん進むと、幹事役が指名して皆に歌わせたりした。当時は、カラオケ機材など皆無だから、皆得意の歌をアカペラで披露し、気に入れば手拍子で大いに応援した。<私の城下町>や<瀬戸の花嫁>を唄い、<知床旅情>が流れ、新卒の社員は<若者たち>などを大声で合唱した。
ボスであるYI技術部長(工学博士)が指名された時、彼は立ち上がり、<空の神兵>を堂々と歌った。彼は島根県の出身で、別の幹部懇談会では<泥鰌掬い>の歌と踊りを楽し気に披露されていたから、私には些か新鮮に思えたのであった。私より6歳年下の後輩が部長の歌声に合わせて、3番、4番と歌い継いだのが印象的だった。歌い終わった部長は、私を指名されたから調子に乗って<ラバウル小唄>を披露したところ、多くの若者が唱和してくれた。
<空の神兵>を聞きながら、小池百合子東京都知事のことを思い起こした。彼女は、小泉郵政改革の中で、<刺客>として東京都豊島選挙区(衆議院)に落下傘兵(!)として挑戦、見事勝利を収めた。今年7月中旬の都知事選では、単身断崖から飛び降りると述べて、再び落下傘兵の如く振る舞い、その意思を通すことに成功した。只今は、築地市場移転、2020東京オリンピック・パラリンピック運営、広尾病院移転に絡めて、都政刷新に邁進している。彼女の健康の許す限り、初期の目標を完遂されるよう念じて止まない。
(参考)
高山 正之・奥田 實 「なぜ大東亜戦争が起きたのか?~空の神兵と呼ばれた男たち」(ハート出版、2016、12)