陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

珠玉の映画<汚れなき悪戯>(スペイン;1955)

2010-01-10 22:30:20 | 読書・映画・音楽
 スペインのジャーナリスト、ホセ・マリア・サンチェス-シルバ(José María Sánchez- Silva)が、1952年に「パンとぶどう酒のマルセリーノ」(Marcelino Pan y Vino)と言う児童小説を発表した。14世紀のイタリア伝承をスペインに舞台を置き変えて書き直した作品だ。

 それを踏まえて、スペインの映画監督ラディスラオ・バハダが脚本を書き、1955年に映画化した。英語の映画題名は、「マルセリーノの奇蹟」(Miracle of Marcelino)である。

 このモノクロ映画の主題歌は、「マルセリーノの歌」として当時広く流布した。女性歌手(伊)ジリオラ・チンクエッティの歌声が YouTubeで流れていたが、今は消されている。日本語でこれを歌っている例があるのでそれを示した。年配の人達は、これを聞いたら映画内容の暖かさをを思い出して、ふと涙ぐむかも知れない。その歌詞は、主人公マルセリーノ坊や(5歳)の修道院における一日を歌っている。

マルセリーノの歌(日本語版) La Cancion de Marcelino (in Japanese)



 映画は、1955年カンヌ国際映画祭特別子役表彰ベルリン文芸映画普及協会賞を受け、1957年キネマ旬報外国映画ベストテン第8位文部省推薦映画にもなった。以下、あらすじを記してみよう。


<汚れなき悪戯>(モノクロ:スペイン製作、1955;日本封切1957

 19世紀も半ばを過ぎた頃、スペインのある小さな村では、「パンとワインのマルセリーノ祭」を迎えて賑わっていた。一人の修道士(フェルディナンド・レイ)が、丘の上にある修道院から出て来る。村人達は、行列を作って修道院付属の教会へ祈りを捧げるために向う。修道士は、彼らに優しく祝福を送り、村の中程にある家で、病臥に伏す少女を訪れた。そして、修道士は、彼女と両親にこの日にまつわるマルセリーノの物語を話して聞かせる。

 ナポレオン戦争の頃、フランス軍がスペインになだれ込み、ここの村人は総出でフランス軍と戦った。最後に、村人は戦争に勝利した。荒れ果てたこの村が平和を取り戻し始めた頃、三人のフランチェスコ会修道士が村を訪れた。彼らは、丘の上の立つ昔の貴族の屋敷、今は廃墟になった場所に修道院を建てたいとエミリオ村長に申し出た。

 思慮深い村長はそれを独断で許し、国の許可を得るように工夫した。再建に励む修道士達に村人は挙(こぞ)って協力し、新しく教会を併設した修道院が立派に出来上がった。僧侶たちは畑に野菜を作り、家畜を育て、つつましい生活を始める。そして、十年後、彼らに若い修行僧も加わって、全部で十二人となった。

 ある朝、当番の修道士が教会の門前で捨て子を見つける。生まれたばかりの男の赤ん坊だ。修道士達は驚いたが、その日が聖マルセリーノの祭日であったことから、その子に「マルセリーノ」と名付け、洗礼を施した。

 赤子の将来を危惧する修道院長(ラファエル・リベレス)の指示で、修道士達は赤ん坊の両親を村中に訪ね歩くが、該当者はいない。男ばかりの修道院では、赤ん坊を育てられぬ。

 そこで、今度は里親になってくれる家庭を探す。貧しい村民たちが迷惑そうに断る中で、鍛冶屋は引き受けると言う。が、彼の子供の扱いは乱暴と知り、修道士は赤ん坊を預けなかった。

 それで、修道士達は決心して赤ん坊を皆で一緒に育てることにした。世話をする役割分担も決めた。修道士らは、工夫を凝らしながら、心をこめた愛情を赤ん坊に注いだ。

 5年の後、マルセリーノ(パブリート・カルボ少年が演じる)は、健康で天使のように無垢な悪戯っ子に育った。少年は、僧侶らにそれぞれ仇名をつけて呼んだ。いつも世話をしてくれる台所担当のトマス修道士(フアン・カルボ)は「お粥さん」、ホセ修道士は「門番さん」、病弱でベッドにいることの多い高齢の僧侶は「病気さん」と言うように。そして、冒頭の「マルセリーノの歌」の動画は、この少年の一日の生活を描いている。

 ある日、僧院の前で旅の農夫が荷馬車を修繕していた。この時、マルセリーノは農夫の若妻に出会い、他愛も無い会話をする。若妻は、父がいるのかとマルセリーノに問うと、彼は「12人いるよ」と答える。お母さんは?と聞かれると「1人もいない」との答え。若妻は、「自分にも二人の男の子がいて、上のマヌエルの年はあんたと同じくらいだ」と教える。マルセリーノは、その時は会えなかったが、同じ年頃のマヌエルを頭の中で友達にした。

 こうして、マヌエルは一人遊びをするマルセリーノの親友になった。独り言を言いながら、マルセリーノは見えないマヌエルに自分の宝物の説明をした。そして、マヌエルの優しい母親を思い出しては、自分の母親はどんな人なのだろうと考えるようになる。

 一番親しい「お粥さん」に、誰でも母親はいるのかと聞いたのを手始めに、マルセリーノは僧院長にまでお母さんはいるのと尋ねる始末。修道士たちは、そうしたマルセリーノを可哀想に思うがどうしようもない。

 元気に外で一人遊びするマルセリーノに、とんでもない事件が起きる。石の陰にいた蠍(さそり)が彼の足を刺した。悲鳴を聞いて駆けつける修道士達。外で遊びなさいと叱った「お粥さん」は、後悔することしきりであった。高熱で苦しむマルセリーノ、だが修道士たちの手厚い看護によって、彼は再び元気を取り戻す。

 賑やかな村祭の日、一人の修道士と共にマルセリーノは村に行った。少年のちょっとした悪戯は、思いがけぬ大混乱に発展、村民の負傷者まで出た。前村長の後を継いだ新村長は、あの例の鍛冶屋だ。彼は、これを僧侶らに対する攻撃材料とし、1ヵ月以内に修道院退去を命じた。僧侶たちは、失望に陥る。

 何も知らぬマルセリーノは、一人で空想のマヌエルと遊ぶが、修道士達が不機嫌そうだし、相手にしてくれないので寂しい。それで、何とはなく古い階段を上がって、2階の納屋を探検してみようと思った。この階段に近づいてはいけないと厳しく禁じられていたにも拘らず。

 農機具や保存食料を置いた納屋奥の小部屋に、おっかなびっくりで入って行くと、壁に取り付けられた十字架上に等身大のキリスト像を見つける。最初は驚いたが、マルセリーノが小窓を開け、明るい中でよく見ると、茨の冠をかぶったキリストは痩せ細っているし、随分お腹が空いている用に見えた。

 可哀想に思ったマルセリーノは、1階に降りて物陰に隠れ、台所にいる「お粥さん」に大声で呼びかける。呼ばれた「お粥さん」が台所を離れて表に出た隙に、マルセリーノは一切れのパンを盗んで二階の納屋奥へ取って返す。そして目を輝かせながら、そのパンをキリスト像へ差し出す。「お食べなさいよ」
静かにキリスト像の右手が動き、マルセリーノからパンを受け取る。これは、実に感動的なシーンだ。

 それからのマルセリーノは、飢えと寒さに悩むように見えるキリストの許へ、パンやワインを繰り返し運ぶ。キリストは、十字架から降り、マルセリーノの準備した古椅子へ座って、パンを食べながらマルセリーノに優しく話しかける。

「私が誰か、わかるかね」
「神さまでしょ」
「お前をこれから『パンとワインのマルセリーノ』と呼ぼう」

とキリストは言って、ワインを浸した指でマルセリーノの小さな頭に触れ、祝福を与える。

 マルセリーノは、キリストの頭にある茨の冠を外してやり、「痛いでしょう」と言う。キリストは、「とてもね」と応える。

Joyas del cine espa�・ol. "�・Te dol�・a?" Marcelino Pan y Vino. 1954.


 ある嵐の晩、心配して二階に登って来たマルセリーノに、キリストは「お前は私に優しくしてくれた、その好意に報いよう」と静かに話しかける。彼の望みと思うことを、キリストは色々と例示する。

 だが、少年は「天国のお母さんに会いたい」とだけ答える。キリストが、「それは今直ぐか」と聞くと、マルセリーノは「ええ、今直ぐ」と言う。

 キリストは、古椅子に座ったまま、優しくマルセリーノを呼び寄せて抱き、「眠りなさい」と言う。こうして、マルセリーノは永遠の眠りについた。その周りには、何処からともなく穏やかな光芒が差し掛けている。

 この奇蹟の一部始終を覗き見した「お粥さん」は、涙を流しながら修道士達を大声で呼ぶ。彼等は階段を登って、キリストに抱きかかえられながらマルセリーノが昇天する姿を声も無く見守る。神の行う奇蹟に、彼等はただ畏敬の念を抱くのであった。

 この事件は、たちまち村中に伝わり、マルセリーノの葬式には、業付くな町長(鍛冶屋)を始めとして、総ての村人が神妙に参加した。それ以来、この日は「パンとワインのマルセリーノ祭」の日となった。

 話し終った修道士は、ゆっくりと僧院へ戻り、改めて教会の祭壇前に膝まずく。そして、マルセリーノと優しく対話したキリスト像を見上げながら、神の与えた奇蹟に深い思いを寄せるのであった。

 最後の場面を YouTube で見ると

Marcelino.avi


 5歳の少年のあどけない振る舞い、この子を心から慈しむ12人の修道士たち、十字架のキリストを可哀想に思う少年の率直な思いやり、彼が抱く母親への憧憬、そうしたものが渾然一体となって、映画を観る人々の心を癒し惹き付ける。

 キリストは、何故幼い少年を召して天国へ連れ去ったのか、色々な見方が出来るだろう。クリスチャンであれば、神の行う奇蹟として感動的に捉える。私は、クリスチャンではないので、元気いっぱいのマルセリーノが死んでしまうことを単純に可哀想にと思ってしまう。

 少年は、蠍に刺された時に、既に命を終えていたのかも知れぬ。その後、彼は現実の世にあっても仮の姿で振る舞い、その魂はキリストとの率直な交流を通じて人々に昇天する姿を見せ、修道士たちと村民の融和を願ったのだろうか。

 何れにせよ、この作品は宗教を越えて人の心の優しさを示した珠玉の名画と思う。

 マルセリーノを演じたパブリート・カルボ少年は、当時6歳であった。子供のありのまま、自然な姿を演じ、多くの人々の共感を呼んだ。この映画に出演後も、子役として活躍したようだが、詳しくは知られていない。彼は、2000年に逝去したけれども、マルセリーノ坊やの映像は不滅である。

 この映画のDVDは、Amazon で入手可能である。(¥1,494)
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(参考)

J・M・サンチェス-シルバ(M.カリアーノ、西本明訳)「汚れなき悪戯―パンとブドウ酒のマルセリーノ」(春秋社、1956)
この本は、現在入手が難しいが、沢山のカラー挿絵があって、一読に値する。
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7 コメント

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Unknown (出会いとはなんたるか)
2010-01-13 16:32:12
素晴らしいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。
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名画と名曲 (村長)
2010-01-14 12:51:00
 このころの欧州の映画には名画と言われる作品が多かったですね。「道」、「刑事」、「鉄道員」、「禁じられた遊び」など。
 そして、それらの音楽も印象的でした。名画の影に名曲あり。
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珠玉の映画「汚れなき悪戯」 (家康)
2010-01-15 11:26:36
マルセリーノの舞台、スペインに行きたいです。1955年に中学2年、全校観覧しました。封切でした。ブログを拝見して、当時の感激が甦ってきて、感無量、シエーシエー。
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コメント御礼 (茶絽主)
2010-01-16 21:18:13
>出会いとはなんたるか様

おほめ頂き、恐縮です。
なお努力したいと思います。

>村長様

本当に、私もそう考えます。米国映画にも「エデンの東」や「慕情」、「旅情」などがありましたね。西部劇では「荒野の決闘」なども懐かしい。どれも、印象的な音楽が背景に流れました。
今年もどうぞ宜しく。

>家康様

私もスペインへ行ってみたい。この映画とは関係無いですが、「アルハンブラ宮殿」を眺めてみたいです。
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何故 (笑美子)
2015-04-30 23:45:04
私もこの映画を観て泣けます。
ただ、何度観ても、お母さんに会いたかったマルセリーノにとって、本当に幸せだったのでしょうか。何故キリストはマルセリーノをあんなに幼いまま召したのか、私は可哀相な気持ちのほうが強く、神の奇跡がまだわかりません。。。
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本当に。 ()
2017-02-20 20:46:28
小学校の頃テレビの映画を観て初めて泣いたのがこの映画でした。子供にも 伝わったのだと思います。以来 ずーっと 忘れられません。この素朴な作り 役者さんの素朴な演技 あの時代の静けさ全てが おっしゃる通り珠玉の名作だと思ってます。同じように この映画を愛する方がいらして(コメント欄にも)感慨無量です。それくらい。好きです。この映画は。ずーっと 秘密の小箱にしまってましたが、今日は この映画を愛する方々のブログにお邪魔することができ 静かに 噛み締めさせて頂いております。イエス様とマルセリーノ 本当に何回。何回観ても号泣ですね。
ありがとうございます。本当に深いと思います。
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コメントへのお礼 (茶絽主)
2017-03-10 19:42:02
夢様

 コメントを有難うございます。
 思い出に加えて、人間って何だろうと考えさせていただくようなコメント内容、私も改めてこの映画のDVDを見直した次第。我が眼には細かなところまで見えないのですが、雰囲気を知ることは出来ます。
 この数年、中東で亡くなったマルセリーノと同じ年の子供たちがどれ位いるのでしょうか?彼らには何の罪も無いのにね。
 また、お遊びにお出で下さい。
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