Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

体格

2014年08月06日 | Weblog

           

若い年代の人たちは身体がEdの年代より一回り大きくなったと思う。電車で7
人掛けシートに若い人が7人座ると窮屈になる。間に小柄な人や女性が入れば
よいが、全員男性だったりすると6人で掛けても少しだけ余裕が出来る程度だ。


とはいえ、どちらかというと背丈より横幅が広い(つまり肥満体の)人が多いよう
に感じる。西洋人が骨格から大きくてガッシリしているのに比べて、我々日本人
はまだまだ華奢である。


Edは身長169cmである。髪の毛が無くなった今は1cmくらい背が縮んだ。^^! 
学生の頃はそれでもクラスで真ん中か、やや大きい部類だったからEd年代は今
の若い人たちより平均で10cmほど背が低かったわけだ。それから推測すると、
これから二世代、三世代後の日本人は今の欧米人並に背が高くなるかも・・・


身体が大きくなれば、スポーツの世界では有利になるけれど、フツ―の生活で
は必ずしも良いことばかりではない。衣食住のコストが上がり、あまり効率的と
は云えない。家も車も電車も大型化の必要が出てくるし、食糧だって消費量が
増える。


以前、イギリスのマンチェスターで民族博物館に入ったところ17、18世紀当時
の庶民の生活を実物大の蝋人形で展示してあった。人間も住いも何だか小さく
てみすぼらしく思えた。案内してくれた友人の説明では、昔のイギリス人はこの
人形みたいに小さかったのだという。真偽ののほどは定かでないが、平均的日
本人もあと100年、200年先はノルウェー人のように巨大になるのだろうか・・・
^^!


                                          

相撲の世界では巨体は有利である。大関、横綱になるには大きな体と強靭な筋
力は不可欠と見えて、強い力士は皆恵まれた体を持っている。その上で精神力
(強い心)が備わっていないと横綱にはなれない。モンゴル人に横綱を独占され
てしまっている現状は、まさに日本人力士の精神力の弱さ、ハングリー精神の
無さが災いしているような気がする。


十分な巨体と筋力を持っているくせに取りこぼしが多かったり、優勝しそうにな
ると緊張して相撲そのものより”重圧”に負けてしまう。大関止まりの力士がご
ろごろ居てもあまり面白くない。胸のすくような日本人横綱が現れないものいだ
ろうか・・・


千代の富士は小柄な横綱だったけれど並はずれた筋力と素早い動きで小錦や
曙などハワイ出身の巨躯を豪快に投げ飛ばしていた。小柄でも一旦相手の回
しを取れば、土俵に根が生えたようにビクともせず、巨体の力士が吊り上げよう
としても持ち上げることが出来なかった。引き付けが素晴らしく強かったのだ。

彼のもう一つ優れていたことは負けん気の強さだろうか。顔には常に気迫がこ
もっていた。
次の横綱は、気の強い若い日本人力士に期待する他ないな・・・

  


運動

2014年08月04日 | Weblog

                

夜明けが少しづつ遅くなってきている。朝4時は薄暗い。昨晩(日曜の夜)は風
があって涼しかったから久しぶりにエアコンなしで寝た。カミサンの寝室は西側
にも窓が大きく開いているから風が良く通る。


土、日は二日とも寝坊してしまい、目が覚めたらもう5時半だったのでウォーキ
ングはサボってしまった。


昨日は夕方息が詰まる発作が起きて鳩尾辺りに強い痛みが走った。最近は起
きていなかったからすっかり忘れていたけれど、これまでは年に何回かこの発
作が起きていた。心臓かも知れない。2、3分我慢していれば収まるから大事な
いと思う。今回は自宅居間だったから直ぐその場で寝転ぶことができて楽だった。


・・・なので、今朝のウォーキングはチョッと躊躇したけれど、いつも通り40分ほ
ど歩いてきた。年齢とともにキツイ運動は出来なくなる。その代り、緩い運動で
もいいから毎日続けていないと、そのうち歩くのも億劫になってくると思う。涼し
くなったらまた高尾山でも行ってこよう。前回登った時は、かなりキツイ感じがし
たから、脚力が落ちてきたのだろう・・・


                                              

孫は先週一週間埼玉の親戚の方へ行っていたけれど、昨晩電話があって今晩
爺婆の所へ戻ってくるそうである。生憎バアちゃんは明日まで仕事で、夕食の面
倒が見られない。
ま、飯くらい代わりにジイちゃんが作ってやるから心配するな。^^!


それより、目的の高校見学(サッカー部の実体験)の方はどうなったか知りたい。
埼玉では3校ほど見てくると云っていたが、全部見られたのだろうか。千葉に戻
ってから更にあと一校観に行くそうである。この暑い最中に大変なことだ。


カミサンは孫をあちらこちら連れていきたいらしいが、今は丁度大人子供の時期
だから、何に本当に興味があるのか判断が難しい時である。本人に何処か行き
たいところはないかと訊けば「サッカーにしか興味がないから・・・」という返事が
返ってくる。ディズニー・ランドでもないし、鉄道博物館や航空宇宙展でもない。
さりとて上野の美術館でもないだろうし、車でどこか遠くへドライブにでも誘い出
してみようか。^^!


若しかしてJ1の試合でも観戦したいのだろうか・・・夜ならいいけど、昼間では
爺婆が倒れてしまいそうである。(笑)


ヤレ、ヤレ・・・

               


生存確認会^^!

2014年08月03日 | Weblog

                   

先週の金曜日、高校時代の仲間6人だけの小さいクラス会をやった。去年までは
全員で7名の会だったのだけれど、残念ながらこの1月に一人欠けてしまった。
彼女は多才で活動的な人だったから、もっともっと長生きしたかったのだろうが、
病には勝てず闘病1年で敢え無くこの世を去って行った。


”生存確認会”だと笑うメンバーもいるけれど、残った我々6人は皆元気そうで未
だ当分は集まれれそうな気がする。^^!


                                               

今回は珍しいトルコ料理(丸の内・国際ビルB1のトプカプ)を選んだ。オードブルは
田舎パンとパンに塗るスパイスの効いた8種類のパテ、挽肉と茸などにチーズをま
ぶした鉄板焼、トルコ風春巻き揚げ、3種類のケバブなどだ出た。流石に年取って
みんな食が細くなったのか、最後に出されたケバブは半分近く残ってしまった。^^!


ここ数年、話題は健康の話、病気の話、墓の話などで盛り上がっていたが、今回は
「死に様」で盛り上がっていた。年齢的には、もう次に誰が逝っても不思議はないか
ら、「死に様」の話題も出て当たり前かもしれないが、さすがに「この話はもう止めよ
うよ!」という異論が出て、苦笑とともにチョンになった。^^!


6人中フル稼働しているのは二人、ペースを落とした者ふたり、そして完全にリタ
イアした者二人である。ありがたいことに、誰一人老人ボケした様子はなく、皆む
かしの色々なことをよく憶えていて感心する。Edは皆さんの話を聞きながら、「あ~、
そういえばそうだった・・・」と思い出すことが多くて、一番ボケてるのは自分かもし
れないと心配になった。^^!


会が終わって未だ7時半だった。早いからお茶を飲んで帰ろうということになり、
残った4人で同じビルの「ムンバイ」というインド料理店へ入った。コーヒーだけで
よいか訊いたら「よい」ということだったので、亡くなったメンバーの思い出など話
して8時半ころまで過ごした。楽しかった。


このミニ・クラス会もあと何回続けられるか分からない。年2回は”生存確認会”
を続けたいものである。(笑)

            


汗顔の至り

2014年08月01日 | Weblog

                

命永ければ恥多し・・・という。Edも幼い頃、若い頃から今日に至るまで(そして
これからも)恥ずかしい思いや失敗を繰り返しながら生きてきた。


笑える失敗なら未だよいけれど、今もって後悔の念に刈られるような取り返し
のつかない大失敗もいくつかあって、それらは心に傷の如く残っており、忘れ
たくても忘れられない。いずれも後で考えて「あれは相手に失礼だった・・・」と
慚愧の年に駆られるのだ。


                                          

34歳だった。新製品の研修でスイス本社に半年単身赴任した。同僚たちは
Edのことを色々気遣ってくれて、休日にはトレッキングやキャンプに連れて行
ってくれたり、頭の悪い東洋人に手を尽くして難しい流体圧力波理論を教えて
くれた。6ヶ月後、帰国前日の晩にそういう仲間の人たちが一堂に集まってEd
の送別会をしてくれた。ワインと食事のあと主だったEdの”先生”数人が代わる
代わる挨拶をしてくれた。


Edは前もってメモを用意してあった。最後にそれを答辞で読むつもりだったの
に・・・大勢の前で拙い自分の英語で喋る勇気がなかなか出せず自ら立ち上が
らなかったので、ついにEdからの挨拶が無いまま会はお開きとなってしまった。
・・・あの時何故「私から一言」と云ってメモを読まなかったのだろう・・・今もって
自分の勇気の無さに臍を噛む思いと同時に、あれは彼らに対して真に失礼な
ことであり、取り返しのつかない大失態だったと思う。


                                         

32歳だった。出張で度々台湾・高雄へ行った。出張先のアルミ精錬会社の人
たちは年配の方は皆日本語を普通に喋れたから、言葉に不自由することがな
かった。このアルミ会社ではディーゼル発電プラントを導入していたからドイツ
人の技術者数人も長期滞在していた。従って夕食や飲み会は彼等と同席の
ことが多く、世話役の台湾人の呂さんはEdのことを何かと良くしてくれた。


その呂さんが、ある日ひょっこり日本に現れ、Edの勤務先へ訪ねてきた。突然
の来訪でEdは何の心積りも無かったなく彼を連れて夕飯を食べに会社を出た。
台湾に出張した時は彼から何度となく接待を受けていたのだから、本来ならお
世話になった彼に十分返礼をすべきだったのに、生憎その日は持ち合わせが
少なくて、ビル地下のレストランで軽い食事をしただけで帰してしまった。

お金は他人に借りてでも呂さんをきちんとした処へ連れていけばよかった、と
思っても後の祭りである。(Edは全く機転の利かない奴である!)


後で彼を接待できなかったことがひどく悔やまれ、呵責の念に駆られて仕方
なかった。今思い出しても呂さんには、世話になるだけなっておきながらお返
しも出来ず、本当に失礼だったと思う。